2022年5月23日月曜日

更生プログラムの有効性

 長男が生まれたのは私が29歳で次男は33歳だったから、30代は子育てに明け暮れたと言っていい。年齢的体力的にベストの時期だったが、自分の子育て能力と知識のなさに困り果てた。精神的に余裕がない時は、躾と称してパシっと手が出てしまい、思い出すと今でも胸が痛い。

では自分の生い立ちはどうだったかといえば、怒られたことはあっても叩かれた記憶はなく、本当に大切に育てられた。1970年代私の育った環境では、親が子供のお尻を叩くとか、軽く頭をはたく程度のことはごく普通だったと思う。特に近所の男の子なんかはしょっちゅうそんな目に遭っていたから、男の子を育てるというのはそんなものだという刷り込みがあった。昔はこうだったといってパワハラやセクハラがやめられないオヤジと同じである。

小学校も4年くらいになるとプロレスごっこなど荒々しい遊びが流行り、隣の担任はいつもジャージ姿で竹刀を持っていて、それで叩いたりは無かったが腕で締め上げるようなことをされている男子を毎日見た。せわしなくバタバタと動き回り奇想天外なことをやらかす異星人のように思え、その異星人が自分の腹から出てくるや、途方に暮れた。長男は臍の緒が巻き付いて緊急手術で出てきたせいか、新生児室では際立って血色の悪い赤ん坊だった。大きな声で一日中泣いており、特に寝ぐずりと夕方泣きは凄まじかった。

やがて長男が3歳くらい、下の子が生まれて1歳くらいになったあたりが私のストレスのピークだったかもしれない。長男は今思えば可愛いいたずら盛りで、長靴しか履かない、癇癪を起こしては道で寝そべる、スーパーで走り回って迷子になるなど気ままで最高に面白いことをやってくれる時期だった。赤ん坊を身体にくくりつけて「危ない、やめなさい」と目を三角にしながらヨロヨロと追いかけ回し、挙句の果てに手を上げていた。

こうした暴力性は潜在的に私の中にあり、他者が行うのを見て当たり前と認識し、適当な正当性を付けてエスカレートさせていく。ところがある日、世間では子供を叩く行為が体罰とされていると知って衝撃を受けた。私の知らないうちに時代は変化していたのだ。とたん周囲の目が怖くなり、常に母親として的確かどうか審査されているような脅迫観念に襲われた。幸い子育て広場や幼稚園の存在に支えられて、極端な考え方も和らいで深刻にならずに済んだけれど、今も自分のDV体質に恐怖することがある。亡くなった義母に対しても意地悪な感情が抑えられず、介護施設など他者の目がなかったら犯罪を犯していたかもしれない。

閉鎖的で密な関係はDVと親和性が高い。婚姻していない男女のデートDVに特化した調査によると、出会って付き合いだしてから性行為に至る前と後では圧倒的に後の方が発生しているという。DV被害者を守ることを最優先にするのに異論はないが、DV加害者の更生に取り組んでいる団体もあると言う。DVは病気ではないので治療とは言わず、間違った考え方を更生する必要を説いている。教育によって人を正すということ、ダメなものはダメということだ。

人間には多くの人格があって、普段はどれが優先的に前に出ているかだと言う人もある。性格が家族やパートナーの組み合わせで豹変する理由を考えたのだろう。ならば一歩踏み入れて、心を許しひとつになりたいと思うことが、どうして自他の境界線を消して思いやりの気持ちを失うことになるのか説明してほしい。そんな組み合わせは切り捨てるのが一番なのだろうが、加害側も自業自得とはいえ辛い。本当は嫉妬深く暴力的な自分を出さずに生きる方法を望んでいるのだ。







どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...