2022年12月10日土曜日

毒を喰らわば

 2025年の大阪万博開催まであと2年ばかりとなった。前回の1970年の時は母のお腹の中であったのに対して、当時小学生だった夫は結構鮮明に覚えていた。何をみたというより親たちのはしゃぎようが異様だったのを記憶しているそうだ。ビデオ通話やバブルジェットバスなど今では珍しくも何ともないが、今度の万博もそうした未来を感じられる演出になっていることと思う。ただ決して未来が明るくはないだけに昔のようにお祭り騒ぎとはいかないかもしれないが。

先日、加入している生活協同組合のサーバーがサイバー攻撃を受けて2ヶ月が経つがまだ完全に復旧していない。食料品日用品購入のかなりの部分をネット注文に頼っていたため買い物の回数を増やすことになり、結構負担が大きい。この度はエンドユーザーがネットを使わなくても頼んだはずの品物は届かないし個人情報は危機に晒された。システムがマルウェアに破壊され構築し直しをしているか、あるいはランサムウェアにやられて身代金を組合出資金から払っているかもしれない。私の出資金が最近よく飛んでくる隣の国のミサイルになっていたらどうしてくれるのだ。

ガス電気などのインフラ、ネットプロバイダー・携帯電話会社が所有する個人情報はクレジットカード・銀行口座と紐付けされているし、その銀行口座もネットバンキングでどこからでもアクセスできる。ユーザーがネット利用しようがしまいが私達はとっくにデジタル管理の中にいて、等しくリスクにさらされている。

大学生になる息子の大学生協の組合証も、少額決済限定ながら立派にクレジットカードでありコロナ禍で不定期な通学に合わせて購入したPiTaPaなる後払い式乗車券もクレジットカードである。入学当時はキャッシュカードもしばらく渡さないでおこうと思っていたのに、いきなり管理するものが増えてしまった。

ID・パスワード、2段階認証、生体認証、顔認証と本人確認はデジタル社会で不可欠の技術だ。つい先日「本人が来とるのにワシの金が下せんのか。カネ返せ」と通帳を失くして銀行ロビーでわめいている爺さんのすぐ横で、通帳レス印鑑レスの口座に顔認証登録をした。今後一層の厳しいデジタル認証が求められることを予測して、積極的に使っていくことで不正利用など異変をいち早く察知するよう心がけたい。少なくとも今のデジタルネイティブと言われる人たちが社会の主役になった時、我々ネット黎明期世代は高齢者となっていて完全にデジタル管理下に生きていることは間違いない。もう身体にICチップを埋め込むか首筋にQRコードをタトゥーして下され。

IDカードとしては普及が遅れるマイナンバーカードにしても、普段の生活にはなくても何も困らない。ただ自分の預かり知らぬところで個人番号がすでに多くの場所で使われており、その全貌はわかりにくい。だからと言ってカードを取得しなければ安全ということはなく、むしろ蚊帳の外に置かれる。ならばカードを持って実際に使ってみることで、見えてくる問題点や不十分な部分を明らかにしてみたい。今後生まれてくる子どもは誕生と同時に個人番号を与えられ一生にわたって使っていくのだから、我々より多くの個人情報が紐づけられる。まずはデジタル黎明世代が体を張って何が安全で何が危険なのか、使ってみてから意見を言おうではないか。

今のところマイナカードの機能の中で、公的書類のコンビニ交付は非常に便利だと思うけれど、コンサートチケットの購入のような民間利用には賛成できない。情報が芋蔓式に取り出せる訳ではないと言われても、直接ではないにしろ個人の嗜好や購買傾向を国に把握されるのは流石に気味が悪い。そうはいっても買い物をしてポイントを集めるのでも個人情報を提供しているのだから、それがどうマーケティングに利用されたり売買されているか預かり知らぬことも認めたくない事実ではある。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...