2023年6月15日木曜日

性自認は本来あいまいなもの

2022年12月スコットランド議会で、法律上の性別変更の手続きを簡易化する法案が賛成多数で可決された。これによって性別変更申請は16歳から、客観的な性別違和の診断書なく自己申告のみで可能となった。具体的には、自分で今日から女になります、男になりますと役所に届を出せば即受理されるということ。 LGBTインクルーシブ教育の最先端を行くこの国では、4歳から保護者の同意なしに幼稚園や学校で名前と性別を変更することができる。

日本で今このままの法案が出たら、そんなバカな!と保守派でなくても反対多数で否決となるだろう。しかし日本でも「同性婚が認められないのは違憲」という判決が出ていることからも、同性婚を求める当事者が増えているというより人権活動家が勢力を伸ばしていると見るべきだろう。

自分の性別を意識するのはいつかといえば、やはり身体が大きく変化する性徴期になろうかと思う。身体の変化に心がついていかなくて、変に意識したり嫌だと思ったりするのは誰にでもあることで、そんな子供たちをそっと温かく見守ってやるのが年長者の務めだろう。幼い子は父母や兄弟姉妹、友達などの真似をして成長するものだ。個性を形成する段階に性別を、親から引き離して自分で決定させるとは恐ろしい、自由という名の洗脳ではないか。

極端な発想に至る背景には風土・民族・文化・宗教が密接に関わっており、強い抑圧のある地域ほど新しいイデオロギーは生まれやすく、根付きやすい環境が整えば周辺地域は簡単に侵食される。

日本では近世まで同性愛はタブー視されなかったようだし、祭りで宴会で男の女装は当たり前、BやTの居場所も寛容の中にあったのではないだろうか。江戸時代後期の『東海道中膝栗毛』弥次さん喜多さんなど明らかにゲイカップルなのだが、変人扱いするどころかありがちな微笑ましいキャラとして描かれる。残念ながら女性の性自認や嗜好の実態はよく分からないが、宗教的な理由で迫害対象になることはなかったと思われる。そもそも生活に余裕があり両性のバランスが欠けた環境においてこそ、生きて繁殖する以外のことが発生するというものだ。寛容の中に微妙なバランスを保っていたところへ、いま新たな思想が巣作っている。

極端なLGBT擁護によって民主主義が悪用されている事態を、もはや対岸の火事と笑っていられなくなった。(スコットランドではレイプ犯が裁判中、自己申告でトランス女性になり女性刑務所に収監された事例がある。)せめて教育現場だけでもインクルーシブ教育に侵略されないようお願いしたい。




どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...