2020年12月29日火曜日

住まいについて

 築35年になるこの家は親からもらったもので20年あまり住んでいる。初めて空っぽになった家に入るとまるで能舞台みたいに声が響いて天井吹き抜けの玄関が寒々しい。もう3月も終わりだというのにカーテンもカーペットもないフローリングは底冷えして、それまでの集合住宅の2DKとは比べ物にならないほど広く感じた。

前の家主は脱サラして大阪で奥さんの実家の家業を継ぐとかで、義父と共同名義だったというわけだ。2階は夫婦の寝室にお子さんの個室が二つ、たんすが置かれていた場所すら壁紙や畳の傷み具合で分かる。リフォームは後でゆっくり考えようとそのまま引っ越してきたが、15年分の生活感はそこかしこに残っており、掃除に明け暮れた。

広いと感じた家も20年経つと4人の大人が住むにはギリギリで、5人いた時は子供が小さいうちは何とかなったがプライバシーを保つのがかなり厳しかった。人数によって伸びたり縮んだり、他の土地へ持って行けたらいいのに、なんて遊牧民みたいなことを考える。もし長生きしたら小さな家で少ない荷物と静かに暮らしたい。

ずいぶんまえに「つみきのいえ」というアニメーションを見た。ふとしたことでレンタル映画のリストに見つけてもう一度見たくなった。加藤久仁生という日本のアニメーション作家による12分の短編映画である。水の中に沈んでゆく街で積み木のように上へ上へ家を作って暮らす老いた男。セリフは一切ないし音楽も控えめで非常にアーティスティックだが、登場する事象のひとつひとつが積み重なる人生を表現し、深く包み込まれる。









2020年12月22日火曜日

親の役目は欲目

 ある高学歴タレントが、受験勉強中に両親にしてもらってうれしかったことを聞かれて「いつも通り普通に接してくれたこと」と答えていた。察するにこの人のお母さんは普段通りに食事を用意し服を洗濯してやり、時には頑張っとるねぇと労いの言葉をかけたりしていたのだろう。実際にはどうだか知らないが、ほのぼのと幸せに大きくなった雰囲気の漂う人である。

若くて血気盛んな親なら、子供にかけっこもお絵描きも1番をとってこいと叱咤激励するのだろうか。事実、心底競争が好きな人もいるからそういう家庭に生まれたことを感謝しているかもしれない。ただ常にてっぺんを目指す人でも相対的評価抜きで無条件に誉め、労ってくれる存在があるのとないのでは大きく違うと思う。それは祖父母や父母でもよいし妻や夫、親類、子ども、親友、恋人などもそういう存在になりうる。逆にこういう親しい人から手厳しい客観的評価を受けた時は悲劇を生みやすい。

子供の「初めて」を目撃する機会に恵まれた親は幸せだ。初めて寝返りができた時、初めて歩いた時、初めて意味のある言葉をしゃべった時。もしかして本当の初めてじゃないかもしれないけど、このスペシャル感はその後の親子関係構築に役立ってくれると思う。賢い親、良きトレーナーになれないなら、あの時あの必死に寝返ろうとしている赤子の姿を思い出してお馬鹿な親に徹した方が余程良い。

親切心から口出しせずにいられないとか、照れくさいから素っ気なくするとか、はっきり言ってあげた方が相手のためとか思うのは、家族の情がある故だろうか。引きずられないよう心がけたい。

2020年12月18日金曜日

いまさらにジェンダーフリーについて

1990年代から2000年代はじめ、アメリカに遅れること10年くらいで日本でも行き過ぎたジェンダーフリー教育とそれに反発するバックラッシュ の動きがあったという。今また選択的夫婦別姓制度やLGBT問題などで新たな動きが出てきている。

私に関して言えば、ただ生きて家庭の主婦になれば上々という期待しかされぬ当時でも特殊な家庭環境で育ち、個人の適性の問題と相まって、どうしてもジェンダーフリー教育には納得いかぬ部分が多い。男女が同じ土俵に立てばどうしても体力面など女が不利になるから、それぞれの得意分野で活躍機会を均等にする動きは大いに賛成。ただそこへの前段階で、子供たちに行き過ぎたジェンダーフリー教育を施して社会を変えてやろうという発想は危険だと思う。一見男女の差がない世界に見えたとしても、それが裏切られた時の若者の失意を考えたことがあるだろうか。幻を見ていては心身を守る術が身につかない。

個人個人がその特性を家庭で話し合ってどう生きるか考えるのが理想であり、中にはジェンダーフリーな人がいて良いと思うが、そんな特殊な思想を学校で推奨するのはいかがなものか。男女区別のないトイレは性同一障害の人には優しいかもしれないが、生理中の女子や下痢で顔真っ青な男子にはキツいのだ。設備はそのままに生活慣習を強制的に変えただけで問題解決したようにドヤ顔しないでいただきたい。

行き過ぎたところに反発があり一般市民は振り回されがちではあるけれど、個人と共同体のあり方の終わりない関係を押したり引いたりしていくしかない。全否定するのでなく時代に合った変化も必要だろう。ただ強要だけはNOである。

2020年12月15日火曜日

暦と祭り

 新型コロナウィルスの影響で来年の初詣は正月三が日を避けた「分散参詣」を、との呼びかけがあった。温暖化の影響か季節感が薄れ、年中行事が大切にされるのは伝統芸能の継承者と、イベントを作らねばならぬ保育園・高齢者施設くらいだろうか。せめて盆と正月くらいは残したいが、それすら自分から何かアクションを起こさないとメリハリがつかない。

おそらく宇宙船の中で何年も暮らすようになったら、最初はなんだかんだと地球のイベントを持ち込んで祝っていてもしだいに実感が湧かなくなってきて、今の暮らしの中から記念日を作っていくのではないかと思う。ただどんなに文化が変わっても、地球が太陽の周りを一周する時間の単位は変わらないだろうし、長年人類が慣れ親しんできた24時間を半分に夜と昼を分ける暮らしは、人工的に作っても継続されるだろう。

もう20年近く前になろうか隣町の地元の夏祭りに親子で出かけたことがあった。大きな川に架かる橋の袂にある古い社であるから、水難から村を守り豊作をもたらす神様が祀られているに違いない。狭い通りの両側に夜店がずらりと並ぶので間を人がすれ違うのがやっとというような具合であった。露天商も全国を回っているプロらしく、わたあめや焼きとうもろこしに混じって焼き鳥や牛串などビールに合いそうなのも充実しており、たい焼きのオヤジの怖い顔も祭りのムードを盛り上げる。値段だって容赦無く高い。角のスナックの前には胸の開いたヒラヒラのワンピースを着た、これまた険しい形相の還暦も過ぎようというのがタバコをふかしている。

翌年には駅前開発で道路は拡張され、露天商は一掃されて広場で役場の職員が地元の産物を売るようになったとか。ストッキングが洗濯ピンチにぶら下がりマネキンが割烹着を着ていた商店の猥雑な妖しさ。いつか見た鞍馬の火祭りだって猥雑そのものだ。ベロベロに酔った男らが尻丸出しの締め込み姿に女物の着物をひっかけて、担いだ松明から火の粉を散らしてぞろぞろ歩く。見たいような見てはならぬような。ざわざわした気分は新日本紀行で松たか子がナレーションするような上品な代物ではない。サイレヤ、サイリョウ。

祭りにはあの世とこの世を行き来する闇があって、ハレとケを分けるのは季節と暦である。だから暦をなくし祭礼を忘れた今、原点に戻って夜空を見上げてみよう。

2020年12月5日土曜日

生まれ変わったら

 時は幕末。とある田舎に代々続く家があったが、後継に恵まれなかったため遠戚から夫婦養子を迎えた。祖父トシオの両親である。トシオの母は合計で13人の子を産み、8人目の男子であるトシオを末子の大叔父を出産する時に1年ほど長男夫婦に預けた。流石のおたあさん(そう呼ばせていたとか)も13人目の出産は身体に応えたと見え、トシオも長男夫婦に遊んでもらえば喜ぶと考えたというが。

1年経って連れ帰られたトシオが見たのは、おたあさまを占有している赤ん坊。ショックで完全にいじけてしまったのを見て、おたあさんはトシオが大人になっても「あの子を預けるんじゃなかった。目を離したのは間違いだった。」と悔やんでいたそうだ。

悪さをすると箒を持ってどこまでも走って追いかけてくるから、お陰で足が速くなったとか。真夏、高校の野球部でランニングの途中で家に立ち寄って、おたあさんが用意したスイカを食べて何食わぬ顔でランニングに戻ったとか。東京に出て勤め出した頃、熱を出して入院した時は夜行列車で上京してきて息子の容態を確認するや、せかせかと土産物を同室の人に配って田舎へ帰っていったとか。おたあさんの思い出話は愉快で温かい。

病気で何度も死にかけ、妻や息子を亡くし、零細企業の経営も苦労の多い人生だったに違いないが、明るくてとにかく生きることに貪欲な人だった。娘(私の母)には「ワシ、生まれ変わったら女になりたいねん。」と恥ずかしそうに打ち明けていたそうだ。なんでも、お洒落な洋服を着て高級レストランで食事したりオペラやコンサートに行きたいらしく、還暦を過ぎた父親が真面目な顔でいうので娘として非常に複雑だったとか。買うでもないのに婦人服売り場でマネキンをじーっと見ていたり、店員さんの着ているものを「それいいねー!」と言って困らせたり。「ワシ、電線よりアパレルやりたかったなぁ。」と言っていたから真意はそこなんだろう。そうだとしても、寂しがりで女性への憧れが強かった要因の一つは、おたあさんの影響だろうと確信している。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...