2021年3月28日日曜日

はぐくむ

紫の上は結局子供を産まなかった。10歳で源氏に引き取られて寝食を共に、といってもこの時代のことであるが、仲睦まじく暮らしてきたのにである。 教養豊かで可愛く美しく自分にとって完璧な妻に「育て上げた」ので、息子夕霧にも姿を見られてはならぬと大切に大切に扱ってきた、のにである。源氏としては残念な気持ちはあるけれど、子供なら他所で産ませれば良いし、機嫌良くしてくれているならそれでいい。何がなんでもという気持ちがあるなら御祈祷したり子宝温泉にでも連れて行っただろう。もしそうやって子が授かってしまったら物語は実につまらなくなる訳で、紫の上にはとことん悩む女としての使命がある。

父親に認知されていないので源氏とは正式に結婚していない、まともな婚礼もしていない。源氏は左遷先で中流家庭の女性と婚姻関係になり姫君が誕生。脇役たちとの浮気はさておき、皇女に正室の座を奪われショック大のところ男子が誕生しトドメを刺される。ひたすら出家を望むが許されず43歳で病死。

ネガティブ人生といえばそうでもない。明石の姫君を幼い頃から引き取り入内させるべく后教育を施す。やがて女御となった姫君は第一皇子を出産、紫の上は国母の母としての栄誉を得る。また里帰りした姫君の出産を手伝い、生まれた御子たちを盛んに世話してやっている。臨終には中宮となった姫君が高い身分にあるまじき行為ながら直接看取っている。

お腹を痛めた子だから愛情が湧く、完全母乳育児だから愛せる、抱きしめたから親子になれる、3歳までは母の手で、そういった「神話」への挑戦がこの時代にもちゃんと存在している。実子でなくても、哺乳瓶でも、身体が不自由でも、人に預けることがあっても親子は親子になっていくのだ。はぐくむことで不毛だった紫の上の心は救われていく。

源氏物語において女性が出家を望むのは仏教的帰依というより俗世間からの離脱、つまり婚姻恋愛関係からの逃避の意味合いが目立つ。紫の上の場合、臨終の間際に「離婚してください」と言っていると考えるのは拡大解釈だろうか。恋愛小説には男女のすれ違いが欠かせない。ヴィーナスはマリアになって逝ってしまった。

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2021年3月25日木曜日

座布団の下ではだめ?

 源氏物語に登場する女三の宮は、見た目は可愛らしいが「年齢の割に幼すぎる」「内面がない」とか散々な書きようで、高貴な身分に対する紫式部のやっかみではないかと言われることもある。また冷泉帝出生の秘密の応酬であり、紫の上の死への伏線とする人もある。

誰の説なのかまだ確認が取れないが、頭が弱い、知恵遅れと解釈する人もあるという。「幼い」「ぼんやりしている」「女性たちの話に入っていけない」「判断が鈍い」「不器用」などの表現を拾い集めると、今で言う発達障害の特徴にも似ていると思う。他でもない当事者がそのように感じているのだが確証はない。ただこれは身分の高い姫への嫉妬心ではなく、ちゃんとモデルがいてそれを忠実に表現しているのではないかと思える箇所がある。

一つ目は猫につけたひもが引っかかって御簾が上がり、蹴鞠をして遊ぶ公達に姿を見られるシーン。高貴な姫がボーッと立ったまま庭を眺めていて御簾がめくれたのも気付かない。この時代のこの身分の女性なら風呂上がり裸で縁側に仁王立ちレベルだろうか。

もう一つは柏木からの懸想文を隠そうと座布団の下につっこんだ三の宮。「同じ色の文を源氏の大臣がご覧になっていました。あれはどうされたのですか?」と侍従に聞かれて飄々と「座布団の下に入れたけど何か?」とすぐ事態がつかめない。

母君が早く亡くなったから教育がなされていないというのは朱雀帝の第三皇女としては考えにくく、柏木を引き入れてしまうような頼りない侍従しか付いていないのは、そういう年近く優しい感じの女性しか側に置きたがらない三の宮の性格も垣間見える。本当は「宮様それはいけません!」と叱ってやらねばならないのだが。

恋愛も経験せず一回のレイプで妊娠する不運、訳のわからないままに出産、命を絶つように落飾し舞台から姿を消す。身分の高い女性の中に、一定数こうした性格の人がいたと考えられはしないだろうか。

2021年3月23日火曜日

混浴年齢制限を引き下げ

 昨年末、厚労省は公衆浴場における衛生等管理要領等に定める男女の混浴年齢制限の目安等を改正、「おおむね10歳以上」に代えて「おおむね7歳以上」の男女を混浴させないこととした。これを受けて各都道府県が条例を改正し、小学校入学前後を目安に制限年齢を引き下げる動きが出ている。

「子どもの発育発達と公衆浴場における混浴年齢に関する研究」(令和元年度厚生労働科学特別研究事業)の研究成果や、パブリックコメントの結果等を踏まえて改正に至ったとあるが、ここ50年ほどの間に子供の羞恥心や身体の発育、大人の意識に変化がみられた結果だろう。

そもそも女湯に男児を、男湯に女児を入れるのは保護者が子供の安全を確保する行為のはずである。それでなくても6歳の男児が1人で身体を洗ってマナーを守って湯船に浸かり、身体を拭いて服を着て忘れ物もなく出て来れたら驚異的だ。昭和の時代だって子供の誘拐はよくあったというから、親は気が気でなかったろうし、これほど子供を狙った性犯罪が横行する今の世の中にまず安全面をどうするかの議論が欲しかった。

次第に家族風呂を備えた宿を予約するとか、そもそも大浴場を利用しない方向へシフトしていくのだろうか。幕末西洋人が目にして驚いた日本の公衆浴場文化はやがて消えていく運命なのかもしれないし、伝統文化のタトゥーやトランスジェンダーの問題も今後議論に加わっていくだろう。

まだ幼かった息子2人連れてプールの更衣室で困ったことをふと思い出して、書き留めておく。


2021年3月22日月曜日

織りなす物語の経緯

林望先生は自著のガイドブック『謹訳 源氏物語 私抄』の冒頭で、源氏物語について「「恋の物語」という性格を横糸とすれば、それらの恋の種々相を折り連ねていく縦糸として「親子の物語」という性格が考えられなくてはなるまい」とされている。なるほど夫婦や親子の関係という普遍的なテーマの上に非日常的な恋愛が重ねられているから、こんなにも多くの人に受け入れられているのだろう。

朱雀院の皇女三の宮が降嫁してからの源氏は、栄華を極め幸せを感じながらも残酷・陰鬱な面をあらわにする。正妻の座を奪われた紫の上のご機嫌をとりつつ、朧月夜との濃密な逢瀬を復活させてご丁寧に報告する。やがて紫の上は病がちになり六条御息所の怨霊が取り憑く。

娘である明石の女御が入内して若宮が誕生する一方で、三の宮は衛門の督(柏木)と通じ懐妊。源氏は凄まじい圧力で柏木を追い詰め死に追いやり、三の宮は薫を産むと自責の念により出家を望む。

一方で、同じくらいの齢の娘を持つ身として朱雀院の父親としての気持ちを慮って三の宮を憐れに思ったり、ライバル(元、頭の中将)の息子柏木の思慮の浅さを嘆く余裕もある。感心しない行いの数々にGo To Hell ! と叫びたい場面にもかかわらず、作者はここにも親子を持ち出して同情を誘ってみたりする。憎らしいけど憎めない、光源氏を不朽のプレイボーイに据え置く要素として、縦糸=「親子の物語」にも目を向けてみよう。



2021年3月20日土曜日

親子以上恋人未満

 源氏物語には様々な性格の女性が登場する。ネット上の「好きな登場人物ランキング」をいくつかみると上位に紫の上、朧月夜、明石の君あたりで、男性読者には夕顔も人気のようだ。時代の流れで多少好みが変化しても、こうした女子トークは実に1000年以上続いてきた。

物語の中でもうひとり存在感のある女性に玉鬘がいる。表向きには源氏の養女でありながら、事実上愛人と言っていい。帝に差し上げるか然るべき婿を探すか、後見として真剣に考えてやろうとする程、スケベ心が止まらない源氏。美人で頭もいいから他人にやるのが惜しくて堪らない。次々届く恋文をチェックして返信の内容に口出しするかと思えば、親の言うことはきくものだと衣を取り...このまま婿を通い婚にさせて時々会いたいな…などと考えるとはもはや変態レベル。嫌だわ困ったわと言いつつ源氏に惹かれてしまう辺りが玉鬘の人気を落としているのだろうか。

お蔭で帝を見ても兵部卿にしても全然ときめかないし、よりにもよってタイプでないマッチョ髭黒の右大将にさらわれる羽目に。髭黒はというと、この美人妻が予想に反して処女だったからもう有頂天、自邸を改装したりおめかししたり。北の方が嫉妬のあまり火の着いた火鉢の灰をぶっかけても気を遣うつもり全くなし。やがて身の程を知り運命に身を委ねて幸せをつかんでいく玉鬘の姿が好ましい。

玉鬘はやがて二男を儲け、源氏の四十歳の賀に家族で訪れる。髭黒の右大将が祝賀を取仕切る宴は盛大で、源氏ファミリーが最も華やかな時を迎える。また源氏と玉鬘は血縁こそないが、父娘として互いに心を通わせる特別な関係が続いていく。

玉鬘は田舎の中流家庭で育ち人間関係の苦労もそれなりに経験している設定だ。登場の時は既に成人しており、大人の女性として落ち着いていたから危ういことにならなかった。物語では珍しく平凡な幸せを得ただけでなく、源氏と魂で惹かれあう数少ない女性と捉えるのは深読みが過ぎるだろうか。



2021年3月17日水曜日

危うい、きわどい、全部見せない。

 『源氏物語』は主人公、光源氏が普通でない恋愛に燃えてしまう話であり、初っ端からいきなり後宮スキャンダルなど不謹慎な内容にも関わらず発禁処分になったことがない。むしろ教養になると盛んに読み継がれ、絵巻が描かれ、嫁入り道具になり、能楽・歌舞伎でオマージュされ、美術工芸品の図柄などエンドレスである。

恋愛だけでなく、政界スキャンダルの風刺もちりばめられており、もし時の権力者である藤原道長が全ての巻を目にしていたら五十四帖全て残っていたかどうか疑問だ。あからさまには描かず注意深くボカシを入れ、都落ちした源氏は疑い晴れて出世街道に戻るといったありえないファンタジーに仕立てているが、道長の息のかかったサロンにいるからこそ安心して好きなことが書けたのかもしれない。

この時代になると『紫式部日記』、藤原実資の日記『小右記』、清少納言『枕草子』、『栄華物語』、『大鏡』と立場や目的・形態は違えども平安初期に比べると史料が圧倒的に多くなる。こうした記録によって当時の貴族の生活習慣や考え方の裏付けができるからこそ、後世の人が『源氏物語』を読めるようになったという。というのも『源氏物語』では「分かりきったことは描かない主義」が貫かれているからである。飲食や睦事はわざわざ書くほどのことでもなく、政治的背景についても「いずれの御時か」でどうぞ好きなようにお読みくださいと。

紫式部の私生活や宮仕えの様子を探ってみると、ストレスフルで味濃い女の人生が浮かび上がってくる。そこに光源氏のモデルとなった公達との恋愛があったと考える人も多い。

推理小説みたいで面白かった!






2021年3月13日土曜日

ようこそ古典文学

 国文学、特に古典文学に触れたのは14、5歳の頃で遅く感じられるかもしれないが、私の年代でよほど教養のあるご家庭で育ったのでなければそんなもんだと思う。忙しい学校生活、慣れない電車通学、流行りの音楽・ファッション・部活その他ごちゃごちゃにいっぺんに入ってきた情報の一つに過ぎない。中学3年から高校3年までみっちりと古文を教わった筈なのに、覚えているのは先生の黒のショール、グレイのまとめ髪と真っ赤な口紅だったりする。

教科書に取り上げられた作品の中でも一番難解なのは間違いなく源氏物語で、音読すれど誰が何を言っているのかも理解できず鑑賞どころではない。最近はありがたいことに現代語訳もより現代人に馴染む文体で読むことができるので、少しずつまた古典の世界に気持ちが向いている。

源氏物語はその成立期や複数作者説など研究対象としても存在感がある。衣の色合わせや香の合わせ方など優美な宮廷生活を知る一級史料であるし、光源氏の華やかな恋愛の数々を追えばエンタメ要素だって抜群だ。それだけにも留まらないのが源氏物語であり、汲めども尽きることのないミステリーの泉である。

源氏物語は紫上系と玉鬘系の長編ストーリー2つと他にいくつかの短編という構成になっている。(研究者によって呼び方や分類が異なる)紫上系では青年源氏が幼少で亡くした母の面影をもつ藤壺中宮、六条御息所、妻の葵上、夕顔などを経て理想の妻を手に入れるまでの話。また後半では文化的教養を発揮する一方で孤独に苦悩する紫上が描かれる。

玉鬘系では、夕顔の忘れ形見である玉鬘をめぐって源氏、冷泉帝、蛍兵部卿、髭黒の右大将が個性豊かに登場する。紫上系とほとんど被らない内容であることや、男性の心理がリアルに語られることから作者複数説やら男性説まで様々。男の物語と女の物語を一対にするつもりだったのか、単なるスピンオフストーリーなのか。

一説には紫式部は親しかった弟からいろいろと話を聞いて創作活動に活用したとかしないとか、その取材力と想像力には驚くばかりだ。式部自身の結婚は20代後半と遅く、翌年一女を儲けると2年ほどで死に別れている。夫とは齢が離れ他にも妻が多くいたから夫婦としての実体験には乏しい。一方、女童からの宮仕え、父の北陸・武生への赴任に同行、結婚出産死別と7〜8年のブランクを経て、中宮彰子への出仕とキャリア女性として見聞きした情報が創作に繋がった。

兎にも角にも限りなく遠くて近い不思議な物語としておいて、次回につなげよう。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...