2022年11月22日火曜日

倍速、大盛りで

中島京子『夢見る帝国図書館』(2019文藝春秋)の感想を書くつもりが、図らずも樋口一葉でお腹いっぱいになってしまったので前回の補足として続ける。

本作は一葉ファンの個性的な70代喜和子さんと上野の図書館を中心に、謎解きのような展開になっているが、またもテーマを盛り込みすぎてちょっと何が言いたいのか分かりづらい。『小さいおうち』『長いお別れ』『FUTON』と作風は似ているものの、紫式部文学賞を受賞したという割には見劣りする。

戦後生まれの中年女が田舎の男尊女卑を絵に描いたような家庭を飛び出し、夫と娘の存在も忘れ本来の自分を取り戻し気ままに生きて死ぬというのが、あまりビジュアル的にそそらない。多種多様な登場人物もトレンドを盛り込んでくるが今ひとつ観察力に乏しくリアリティがない。喜和子さんの弔いが男たち(含むLGBT)・女たちに別れて2回行われ、家出後と家出前の心情や行動を辿っていくのだけど、そこまでの魅力や求心力が喜和子さんにあるかなと言えば、せいぜい妄想の域かなと。

国立図書館の物語だけでも十分面白いのに、盛りだくさんな内容をもう少し整理したら良かったのにと思う。最近は映画の展開や結末を手短かに知りたくて、2倍速再生で見たりする人が少なからずいるそうで、短くまとめた違法動画を作って捕まったのなんのというニュースを見る。そんなせわしない昨今にふさわしいのかもしれないが、いささかこの度はうるさいと感じてしまった。

中島さんの作品は、明治から昭和初期の作家たちを生き生きと動かし身近に感じさせてくれるので、樋口一葉もそうだし田山花袋や永井荷風のように文学史で名前だけ知っている作家に出会わせてくれる。昔と今をつなぐ橋渡しに作中作を持ち込んでくるのもお決まりの形式ながら、この人ならではの作風であり、不満を抱えつつ期待もしている。

『たけくらべ』『にごりえ』の、躍動と静寂の対比は芝居の影響が色濃い。この時代のエンタメ要素そのものといったらそれまでだが、情景描写と絶妙な速度感が一葉作品の「推し」ポイントに違いない。せっかく紹介してくれるなら、少しそのせわしなさを抑えて欲しかった。中島さん、貴女が得意とする「必死のパッチの可笑しみ」は、もしかしてストレートに文学を語るのがこっ恥ずかしいとか、本当はよく分かっているくせに照れくさいとかそういうことなんですか???


2022年11月16日水曜日

たけくらべワンスモア

 キャッシュレス決済が現金払いをすっかり凌駕した昨今、2024年上半期を目処に日本銀行券のデザインが刷新されるという。約20年ぶりのリニューアルになって材質や偽造を防ぐ工夫がさらにバージョンアップすることは言うまでもない。その前回2004年の刷新で採用された肖像画の人物で初めて女性が起用され、それが樋口一葉であったのはもう記憶の彼方になっていた。1000円札は自販機でも使えるし、高額紙幣と言えば10000円というイメージで、5000円札というのはそれほどしげしげとは見ない。先日その5000円札を現金のみ取り扱いの店で出しながら、樋口一葉の作品をまだ一度も読んでいないことに気づいた。

偶然に中島京子の『夢見る帝国図書館』(2019文藝春秋)の作中作に、樋口一葉が上野の帝国図書館に通ってくる情景がコミカルに描かれている。これは代表作くらいは読まないとどうにもならないと、スマホに入れている「青空文庫」のアプリを開き『たけくらべ』をダウンロードする。

これは浄瑠璃本かと思うほど読みづらい。文に切れ目がなく句読点もほとんどないまま延々と続いていく。当時はみんなが着物を着て下駄を履き、厳しい身分制度の下に昔の価値観で生きているのだから、文体だって違和感があって然りというもの。そこで一旦分かりづらいところは放っておいて想像で補っておけば案外スイスイいけた。古典的な文体がむしろ、130年近く経っても今と変わらない、浮世に横たわるどうにもならないものを意識させる。(わざわざ現代語訳するほどのこともないような。)

一葉は残念なことに極貧と過労の末、肺結核を患って24歳という若い命を散らしてしまった。もっと早く本が売れて裕福になったら、あるいは和歌のサロンを引き継いでいたらまた違った人生があったかもしれない。豊かになって作品が書けなくなるよりは、命を削った甲斐があったとも言えるがやっぱり惜しい。「我は女なりけるものを」は、敗北感とあまねく女なるものとの感情の共有、そして自分の書きたかったテーマをつかんだ一葉の叫びのような言葉なのだろう。

ふと高校時代のことが浮かんでくる。学校に来ても化粧ばかりしていたクラスの子がいて、容姿に無頓着な私をゲラゲラと笑った。彼女は14歳でお父さんを亡くしてから気持ちが不安定で、どこぞの男子と付き合って妊娠中絶したとうわさで聞き、私は別世界に住む異星人のように思った。後になって聞いた話では、シングルマザーだったお母さんは勤めていたお酒を出す店でお父さんに見初められ、年齢差が親子以上だったので母娘2人まるで娘と孫娘のように大切にしてもらったそうだ。100家族があれば100通り、それぞれに違う事情があることを、そして彼女も私と何も変わらない高校生だったんだなぁと今になって思う。

やがて私は学生となり「女はいいなぁ結婚に逃げられて」と言われムッとした日もあったが、5年後には本当にそうしていた。しかも経済的には蓋を開ければずっと実家にぶらさがったままで。また歳をとった今、若い頃50代60代のおばちゃん達の行動の全てを、ただ拒絶していたことを反省する。これからは昔の時代背景や言葉遣いの古さにとらわれず、もっと自由にリアリティを感じて本を読んでみたい。

『夢見る帝国図書館』で一葉=樋口夏子は背中を丸め近眼でせっせせっせと本を読んでいる。昔の本を読む以外これといって際立った経験もなく、あの若さで女の一生を知り尽くしたかのような文を書くのはやはり並はずれているし、人の心情を掘り下げ感情移入する仕事は相当なエネルギーを要したろうと思う。真面目な性格からか俯瞰したり少し笑わせるようなあそびの部分がほとんどみられないのが残念だけれど、それは早世の作家には無理というものだろう。





どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...