2022年4月29日金曜日

眠り、闇。

 『白河夜船』(2015制作 原作:吉本ばなな)を観る。ちょっと難解だけれど、これも冷たい閉鎖的な恋愛の世界になる。眠りこけて何が起こったのか分からない、という文字通りの意味がタイトルに込められているのだと思うけれど、何かこうぴったりくるようなこないような。闇の中に恋人を閉じ込め異次元で安らぎを得て、現実の暮らしでは誰にもきちんと心遣いをする。長く植物人間でいる病床の妻の見舞いにも行くし、その親達とも付き合う。そうしないと気が済まないのに、あるいはそれを続けるために恋人と会うという不毛な人間関係。

正直あまりこの世界に長くはいたくないが、クセになる人は少なからずいるだろう。この関係は誰のためになるのか、と疑問をもつような状況は結構身近にあると思うから。この人のためになることをしてあげたいとか、もっとこうして欲しいとか、描ける未来のない恋愛は脳死状態なのかもしれない。その存在価値の有無や、生死の判断を決める基準を、どこに求めれば良いのだろう。あるいは考えるのを止めることで自分の生を放棄すれば、ある意味脳死状態ではないか。

江戸時代には人は寝ている時、枕に魂を預けているという迷信があったとか。だからぐっすり眠っている人の枕を取ってはいけない、魂が肉体に帰れないかもしれないというからちょっとオカルトだ。技術が発達して夢を映像化して保存できるようになったら、私は自分の夢だけは他人に見られたくないと思う。そうでなくとも寝言が多いことが複数の人に指摘されていて、家族ともできるだけ同じ部屋で寝たくないのである。枕の中にデータが取り込まれて勝手に「こいつこんなこと考えとる(笑)」などと笑いものになる未来は想像するだに恐ろしい。どうかどうかそんな時代が来ませんように、枕よ私を裏切らないでおくれと言い聞かせておこう。



2022年4月24日日曜日

油持ってきたけぇ!

 『海賊と呼ばれた男』(東宝2016)を観る。出光興産の創業者である出光佐三がモデルの、百田尚樹による小説の映画化で多少美化が過ぎる面はあるが、起業家の伝記としてもっと知られてもいいと思う。映画では日章丸事件について英国海軍に凄まれるだけで現BPと法廷で争うところは省かれており、米国メジャーへの挑戦を軸に話の展開がすすむ。映画制作に当たってあちこちに配慮すれば無理もないだろうし、エネルギー問題から戦争を肯定すればたちまち国内からバッシングを受ける。

南方の石油開発で米軍捕虜となって亡くなった親類のことは前に書いた。敗戦国となった日本はGHQの統制化で軍隊を持たぬ国にさせられ、平和憲法さえあれば無傷でいられるような刷り込みを受けてきた。世界中同じような価値観の上で、双方武力衝突を避けるつもりなら世話はない。世界のサプライが複雑に絡み合っている中で、世界中の経済が細かな駆け引きで成り立っているかと思うと、突然の侵略戦争でめちゃめちゃに壊されたりする。

佐三最期のシーンでは佐三の幼いひ孫が、初代日章丸の精巧な船模型をじっと見つめる演出がある。1980年代はイランイラク戦争が勃発し、米国はレーガン政権に移ったところだ。今はロシアによるウクライナ侵攻で多くの犠牲者が出ているが、イライラ戦争の頃民間人がスマホを持って世界に発信していたらもっと悲惨な映像がテレビに映っただろう。米国軍は毒ガスも使ったし、その後の無秩序となった地域からは際限なくテロリストが派遣されてくるようになった。

再生エネは不可欠でも、まだ化石燃料には頼らざるを得ない。原子力だってまだ湯を沸かしタービンを回している段階では蒸気機関と大きくは変わらない。開発にもリサイクルにも電気が必要だ。日章丸はこれからどこへ向かったらいいのだろう。



2022年4月23日土曜日

Venusが夢を見るとき

 カード支払いのお知らせメールが一通、見慣れない請求である。それも500円とえらくポッキリなので明細を調べてみると、なんと解約し忘れたAmazon Primeだった。期限が切れてあと1ヶ月分更新されてしまっている。仕方ないので次の期限までに500円分は元を取りたいと読み放題の本や雑誌のリストを見るが、Primeで読めるものの中にこれというのは見つからず、ならばと映画を探す。

アクション、ホラー、アニメとどれも食指が動かぬので邦画は、というと半分近くアダルトで残りは青春ドラマなど。やっと目に止まったのは『墨東奇譚』(東宝1992)とな。

おばさんが休みの朝から観るには不良すぎるが、一応文学作品だから許してほしい。荷風扮する津川雅彦のすっとぼけた演技が原作に馴染んでいたし、カフェーの年増女(宮崎美子)、唯一?理解者の老いた母(杉村春子)、遣手婆(音羽信子)それぞれに味がある。玉の井の娼婦お雪とはわずか数ヶ月、あまり深くならぬ前に逃げてしまうのが原作なのだが、映画では陰鬱にならないようコミカルに仕上げている。反戦の挿話は余計だった気もするが、小説を再現するのではなく映画の中の荷風の生きる「現実」を描いたのは良かった。エンタメとしては純愛に仕立てた方が、万人に理解され共感を呼ぶ。

改めて原作をめくってみると好き嫌いはともかく、首まで水に浸かっているような世界観が全体を覆っている。濃厚な割にひんやりした空気と言ったら良いだろうか。平凡に惹かれあう恋人のようで、その実どこか冷めていて、どうしようもない諦観が底に流れている。あるべき蒸せ返るような暑さ、汗臭さが感じられない。

お雪は生まれついての癒し系なるか、さながら泥中の蓮花にして物腰たおやか、稼業は群がる鯉か鳩に餌をやるが如し。そのやわやわと天然なる肢体にいづれの客もが自分とのみ情交ありと疑わぬは誠に奇なり。先生、こんな感じでしょうか?

やがてお雪は二人の幸せな未来を妄想するようになり、男は通いづらくなる。その夢は綿菓子のように膨らんで甘く誘うが、触れた途端しぼむことが分かっている。夢見る女の幸せな顔はいつまでも見ていたいくせに、女神がただの女になってしまうのも惜しい。雨降りしきるどぶ川、向こう側への郷愁を、愛と呼ぶにはあまりに身勝手ではなかろうか。






2022年4月7日木曜日

新薬開発のドラマ

 いつか観た映画『レナードの朝』(1990 アメリカ 原題:Awakenings)が先日NHKBSで放送されていた。脳炎後のパーキンソン症候群という、ほとんど植物人間状態の患者を研究熱心な医師が新薬で治療を試みる話である。Oliver Sacks(1933-2015)という英国人の神経医による実話の原著に基づいて、映画の脚本が創作されている。(以下ネタバレ注意)

1960年代、主人公の医師は開発されたばかりの新薬レボドパ(L-ドーパ)を使って30年間眠り続けた患者を覚醒させることに成功する。人生を取り戻し生きる喜びを感じるも束の間、薬の耐性により次第に量を増やしても効果が出なくなり、患者は再び元の状態に戻ってしまう。なんとかして希望を与えたい医師、高価な新薬を使うため寄付を惜しまない同僚や援助者、自分の姿を映像に撮って研究に役立てて欲しいという患者。今は広く使われている薬剤にも物語がきっとあるだろう。私の父も1970年代、抗うつ薬の治験で救われた一人と聞いている。

主演のロバート・デ・ニーロが役作りのために実際の患者の姿を観察し出来るだけ忠実に動きを再現した、と映画雑誌のコラムにあったのを覚えている。脳神経内科医も医療介護系学生に観て欲しいと言っているほどだから(c.f. 長谷川嘉哉先生のブログ)映画制作の真剣さが窺え、病気の苦しみや悲しみ、恋のせつなさが伝わってくる。偏見や絶望感と生きる神経病患者に本当に寄り添うことのできる医師はわずかしかいないし、滅多に会えないから著作が注目され映画にもなるのだろう。

最近、新型コロナの後遺症がなかなか治らない人がいると聞く。難病ではないが身体が元に戻らない辛さはなかなか理解してもらえないという。少しずつ研究が進んで治療薬が出てきているようだが道半ばであり、ウィルスも症状も薬の開発についても分からないことばかり。時代のせいか映画の治験は人体実験までいかなくともやや乱暴な感じだが、海外ではそんなものなのかもしれない。新型コロナのワクチンだって不完全のまま使っているのが現状で、副反応が強く出る人も少なくないのに安全だと太鼓判を押される。

この映画の症状については、原因の脳炎そのものの治療が進んだことで、現在ではここまで症状が悪化することは稀という。全体からすると僅かな数であっても、治らなかった辛い症状の人にも希望を与える医療が続いて欲しいと思う。それが実現できる平和な世界であって欲しいと願う。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...