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2021年6月13日日曜日

父の日に

 今月20日は父の日で、母の日と同様にアメリカ由来の行事とのこと。私にも父がいて、数年前母と一緒に施設へ会いに行ったきりである。最近施設の月報紙に掲載された父の姿を見たが、既にその人らしい特徴を失っていることが想像できた。認知症を発症してかれこれ10年になるから、昔の記憶は断片的に何の脈絡もなく浮かんでは消え、感情もぼやけて植物のように呼吸をし栄養を吸っては排泄する毎日なんだろうと思う。

かつて義母は「…夢を見てるみたいで、よう分かりませんわ。」とただ不機嫌につぶやいた。誰にでも、何かやりかけたような続きをしなければならないような気持ちで夢から覚めることがあると思う。そういう感じがいつもしているのは、頭が良くたくさん仕事をこなして来た人ほど気分の悪いことなのかもしれない。

認知症の人の心理をいくら理解したところで治療方法が分かるわけではない。初期の混乱が落ち着き、脱走や抵抗する体力はないが自力で食事や排泄ができる程度を保ち、寝たきり時間を最短にすることを目標に、施設の人は世話をしてくれている。母が何ヶ月か前、モニター越しに会った時は誰が来たのか分からなかったようだが、それでも帰りたいと訴えたそうだ。

帰りたい先はいつの時代のどこの家なのか。現役時代の家族3人の家、それとも子供時代の母親の待つ家?私はそのどっちもが混ざり合った幻想の家なんだろうと思う。夢の中の母親は30代でも妻は40代だったり娘は3歳くらいで、もしかしたら息子もいたりそれが自分だったりと無茶苦茶に現れては消えてという具合に。時には暑苦しい開発研の部屋で怖い上司の顔が、手を挙げる父親に重なったり、取引先の訪問で冷や汗をかいたり、夜通し目覚ましをかけながら測定記録を取ったり、夢の中で結構忙しくしているのではないかと想像する。

関わりの薄い親子だったけれど、それだけ別れも淡い感情で済んで、ある意味幸せなのだろう。滅多に怒られることはなかったけれど、数少ない割に言葉は的確だった。それがすごく嫌だったくせに、今はあの時の父に、とても会いたい。



2021年5月25日火曜日

いづれの日にか国に帰らん

 先日実家に行った折のこと、私の曽祖父にあたる人の写真が飾ってあった。昔仏壇にあったものと同じで、明治の男らしく凛とした立ち姿である。なんでも母の従兄がその写真を見たことがないというので引き伸ばしたものを送ってあげるという。その従兄といっても80歳近いはずで、今になって自分のお祖父さんの写真の存在を知り母のところに電話をかけてきたという次第だ。

曽祖父には8人息子がいて、上から3番目の人は旧制高校を卒業後は田舎から出て大学に進んでいる。やがて教授の娘さんと結婚、婿養子に入って研究活動を続けることができた。太平洋戦争中は石油精製の研究者として南方に渡り、戦況が悪くなると米軍の捕虜となって収容所で亡くなったらしい。件の従兄はその人の帰りを待つ幼い息子だった。わずかに記憶する父親の面影が曽祖父の立ち姿に重なると、写真が届くやお礼の電話をくれたそうだ。

椰子の実 作詞:島崎藤村 作曲:大中寅二作曲 ギター:岡崎倫典

2021年5月17日月曜日

6月のメロン

 今朝のニュースで関西医科大学が「光免疫療法」という新しいがん治療の研究拠点を置くとのことだった。患部に投薬してレーザー光を照射する治療法で患者の身体に負担が少ないという。一昔前はがんになったら手術をしても1年かそこら保てば良いくらいの認識だったから、技術の進歩には大いに期待する。

今年日本列島は早々と梅雨入りしたが、この季節思い出すのは祖父の最期である。68歳で胆管癌が見つかった時はすでに末期、しかし本人は治る気満々だった。よって告知することなく無理な手術をして死期を早めたのだろう。最期は「これは癌だ。」と自分で悟り余命幾ばくも無いと知ると、会社の一部の人を除いて秘密裏にしておくこと、葬式の段取りなどを病床で母に詳細に伝えたそうだ。痛み止めの点滴は常時接続、脇腹には太い管が差し込まれており、激痛に耐えられない時はモルヒネを打った。

どんなに隠していても祖父の入院の話はどこからか漏れて、連日マスクメロンが祖父の自宅に届けられ、熟れて食べごろになったメロンが冷蔵庫に溢れた。だから40年近く経た今もメロンは苦手だし、自分もがんで死ぬんだという刷り込みがある。そんなものは紙の味噌汁...ではなく神のみぞ知る、なのだが。

病院の付き添いに始まって入院、密葬、社葬、社宅扱いにしていたゴミ屋敷の明け渡し、祖母のマンション探しと引っ越し、相続税の手続きなど母はよくやったなぁと思う。そんな話を本人にしたら、祖父の死の間際に何だかとてつもない性欲が湧き上がってきてびっくりしたと真顔で言ってきて、こっちが驚いてしまった。

先妻が亡くなった時「お父ちゃんの中にお母ちゃんが入ったぞ!」と言いながら祖父はその遺骨を飲み込んだと言うから、相当にアツい性格の親子とも言える。遺骨を食べる習慣といい、自称淡白な母の性欲といい、生々しくショッキングなイメージのつきまとう梅雨時はとにかく早く終わって欲しいと願うばかりだ。

2021年5月11日火曜日

笑って見送って

5月の連休は恒例のお庭バーベキューをして2kgの肉をすらっと平らげた。炭火を起こし始めてから火を消すまでの4時間、焼く→食べるの連続で何を話したかも覚えていない。

これまで家族でキャンプもするにはしたけれど、いい季節の時は誰かが忙しかったりして結局数えるほどだった。義母と同居していた頃、次男の友達一家が奈良県の十津川村に民家一軒借りてアウトドアを楽しむとのことで、他にも同級生たちを誘ってくれたことがあった。車がもう一台必要で、ママ友の一人が軽自動車に子供2人の隣に次男を乗せてくれるという。パパは大手スーパーの店長さんだからお盆休み返上で頑張っている。「それならうちの主人が車出すわ〜山道は釣りで慣れてるから。おっさんやけどよろしく頼むわ」てなことで夫の隣にママ友が座り、子供3人後ろに座って出かけていった次第である。

前日は我が家で子供達のお泊まり会をさせただけでクタクタになり、次の朝、夫と次男・他の子供らが行ったあと座り込むと急に悲しくなって涙がポロポロと止まらなくなってしまった。認知症の義母がいるから家を空けられないこともあるが、長男も半年後の高校受験に向けて遊んでいる場合ではない。ママ友のご主人も子煩悩な人だから子供とキャンプ行きたいに決まっているからある意味同じ立場だ。そんな事は分かっているのに、ただ羨ましく夫が憎らしく、自分が可哀想な存在に思えてたくさん泣いた。

次の日の晩、夫は帰ってくるなり山道ドライブの様子やピザ焼き体験など喋りっぱなしだった。よほど楽しかったと見えて5、6年たった今も繰り返し繰り返し次男がうんざりした顔をしてもお構いなしで、「次男よ、お前一生分の親孝行したな」と言ってやりたい。また夫が100%楽しかったと言ってくれたことには救われたし、男手が増えてパパ友も安心だったろうしその他安全面で一緒に行ってもらって良かったと心の底から思っている。

あの時どうしてあんなに悲しくなってしまったのか。思うにあれが家族でどっかへ行ったりして盛り上がる最後の夏だったのかもしれない。その後義母が亡くなって、息子の受験勉強が終わってもみんなでレジャーとかいう気分にならなくなってしまった。3年かそこらのうちに息子たちは成長して同級生の家族旅行の話に反応することもなくなった。あれはもしかすると単に子育ての節目の感傷だったのかもしれない。

2021年4月30日金曜日

家宝の色紙

 1945年夏、東京の空襲を避けてチヨさんは赤ん坊と一緒に四国高松に疎開した。姑は実母の姉だったから実家のように気兼ねなく過ごせる。チヨさんは私の祖母で赤ん坊は母である。高松が空襲の標的となったのは疎開から間も無くのことだった。米軍の報告書によると、高松を攻撃の目標として選んだ理由として、四国の最重要港かつ軍需産業の主要地であり人口密度が高いことを挙げている。疎開地として最悪なのは言うまでもない。

記録によると7月3日グアム・サイパン・テニアンの4基地よりB-29爆撃機501機が姫路・高知・徳島・高松に向け出撃、うち116機が4日未明高松上空に飛来。午前2時56分から同4時42分まで、焼夷弾などの爆撃を続けた。市街地の約80%が焦土と化し、1359人が死亡している。

チヨさんは赤ん坊を背中にくくりつけ、何とはなしに玄関に飾ってあった色紙を背負い紐の中に突っ込んでひたすら川に向かって走りに走った。長身で俊足なのが幸いし、また橋の上でばったり夫と遭うことができたのは強運である。市街地にあった家は絨毯爆撃で跡形も無くなったが家族を失うことはなかった。

さて件の色紙はというと、江戸後期に三条何某というお公家様より拝領したという情報のみで、詳しいことは誰も知らない。なるほど優美ながら大胆な筆致で書道的には素晴らしい。思うにこのお公家様、何かの事情でご先祖様宅にしばらく滞在、平たく言えば居候されていたのではないだろうか。「麻呂よりささやかな礼じゃ」などと言いながらサラサラと一首お書きになったとしたら、呑気なお公家様が浮かんできてちょっと笑えてくる。都のことを物語りなどしながら瀬戸内の海の幸を美味しそうに召し上がって、ご先祖様も思わぬ出費に苦笑いしつつ楽しい夕べを過ごしたかもしれない。

骨董的価値はほぼ無いけれど、幸運の色紙として持っていれば昔の方々も喜んでくださるのではと思っている。

フェリーの宇高航路、最後の運航 109年の歴史に幕 




2021年4月25日日曜日

禿頭憎し

 もう直に義母が亡くなって4年が経つ。これは義母と暮らした年月と同じであり、だからどうということはなく、ただ遠い昔になったと思うのみである。暮らし始めて3ヶ月くらい経った頃、義母は認知症でぼやける意識の中ハンストを起こしほとんど水も飲まずに横になったままじっと天井を見ていた。思えば認知症が進んでの一人暮らし、肝臓が悪いのに近くの店でワンカップ大関を買ってくる。そして飲んだのも忘れてひっくり返って失禁していたのを見かねて息子の家に連れてこられたのだった。酒で死ぬつもりだったんじゃないか、そして徘徊や近所の植栽や花をちぎるなどの行動はアルコールに因るものと義妹は信じて疑わなかった。

死のうとしていたのは本当かもしれない。肝臓の病気で長生きしないから貯金もいらないのだと、殆どすっからかんになっても事務所の景気が良かった頃と変わらぬ調子だった。あるとき訪ねて行ったら日に焼けて穴だらけの襖の前で真っ白なスーツを着た義母が座っていた。息子や嫁さんにはいい格好をする、私たち夫婦は何様のつもりだと義妹は怒ったが、何から手をつけて良いやら私は分からなかった。

我が家に来てから訪ねた医院の診断で、義母は典型的なアルツハイマー性認知症ということで投薬治療が始まった。それは介護施設を利用する為に必要な診断であり、同時に元に戻るかもしれないという義妹の淡い期待を裏切ることでもあった。悲しくたくさん傷ついていたであろうに、私はどう表現して良いか分からず、ただ義母の状況を詳細にメールで送ったことは彼女を一層怒らせた。

義母も混乱の中で便箋、葉書、包装紙からレシートまでありとあらゆる紙に不安や不満、怒りをぶちまけた。流石に作家魂と今は言えるが、具体的に名指しで書かれた怨恨の手紙は見つけ次第破って捨てた。

その中に息子に当ててか「禿頭憎し!」と書かれており、これが何を意味するか未だ謎である。彼女の息子は確かに20代から俗に言うハゲであり、そのせいで不甲斐ない嫁しかもらえなったと残念がっているのか。それとも一緒にいるこのハゲ頭の男がもはや誰なのか分からなくなっているのか。済んでしまえば、夢の中の寝言を指摘するのは卑怯かもしれないと思えてくる。

義母のハンストは突然前触れもなく終わり、何か吹っ切れたというか脳の一部が破壊されたか、まるっきり別人のお婆さんになっていた。

2020年12月22日火曜日

親の役目は欲目

 ある高学歴タレントが、受験勉強中に両親にしてもらってうれしかったことを聞かれて「いつも通り普通に接してくれたこと」と答えていた。察するにこの人のお母さんは普段通りに食事を用意し服を洗濯してやり、時には頑張っとるねぇと労いの言葉をかけたりしていたのだろう。実際にはどうだか知らないが、ほのぼのと幸せに大きくなった雰囲気の漂う人である。

若くて血気盛んな親なら、子供にかけっこもお絵描きも1番をとってこいと叱咤激励するのだろうか。事実、心底競争が好きな人もいるからそういう家庭に生まれたことを感謝しているかもしれない。ただ常にてっぺんを目指す人でも相対的評価抜きで無条件に誉め、労ってくれる存在があるのとないのでは大きく違うと思う。それは祖父母や父母でもよいし妻や夫、親類、子ども、親友、恋人などもそういう存在になりうる。逆にこういう親しい人から手厳しい客観的評価を受けた時は悲劇を生みやすい。

子供の「初めて」を目撃する機会に恵まれた親は幸せだ。初めて寝返りができた時、初めて歩いた時、初めて意味のある言葉をしゃべった時。もしかして本当の初めてじゃないかもしれないけど、このスペシャル感はその後の親子関係構築に役立ってくれると思う。賢い親、良きトレーナーになれないなら、あの時あの必死に寝返ろうとしている赤子の姿を思い出してお馬鹿な親に徹した方が余程良い。

親切心から口出しせずにいられないとか、照れくさいから素っ気なくするとか、はっきり言ってあげた方が相手のためとか思うのは、家族の情がある故だろうか。引きずられないよう心がけたい。

2020年12月5日土曜日

生まれ変わったら

 時は幕末。とある田舎に代々続く家があったが、後継に恵まれなかったため遠戚から夫婦養子を迎えた。祖父トシオの両親である。トシオの母は合計で13人の子を産み、8人目の男子であるトシオを末子の大叔父を出産する時に1年ほど長男夫婦に預けた。流石のおたあさん(そう呼ばせていたとか)も13人目の出産は身体に応えたと見え、トシオも長男夫婦に遊んでもらえば喜ぶと考えたというが。

1年経って連れ帰られたトシオが見たのは、おたあさまを占有している赤ん坊。ショックで完全にいじけてしまったのを見て、おたあさんはトシオが大人になっても「あの子を預けるんじゃなかった。目を離したのは間違いだった。」と悔やんでいたそうだ。

悪さをすると箒を持ってどこまでも走って追いかけてくるから、お陰で足が速くなったとか。真夏、高校の野球部でランニングの途中で家に立ち寄って、おたあさんが用意したスイカを食べて何食わぬ顔でランニングに戻ったとか。東京に出て勤め出した頃、熱を出して入院した時は夜行列車で上京してきて息子の容態を確認するや、せかせかと土産物を同室の人に配って田舎へ帰っていったとか。おたあさんの思い出話は愉快で温かい。

病気で何度も死にかけ、妻や息子を亡くし、零細企業の経営も苦労の多い人生だったに違いないが、明るくてとにかく生きることに貪欲な人だった。娘(私の母)には「ワシ、生まれ変わったら女になりたいねん。」と恥ずかしそうに打ち明けていたそうだ。なんでも、お洒落な洋服を着て高級レストランで食事したりオペラやコンサートに行きたいらしく、還暦を過ぎた父親が真面目な顔でいうので娘として非常に複雑だったとか。買うでもないのに婦人服売り場でマネキンをじーっと見ていたり、店員さんの着ているものを「それいいねー!」と言って困らせたり。「ワシ、電線よりアパレルやりたかったなぁ。」と言っていたから真意はそこなんだろう。そうだとしても、寂しがりで女性への憧れが強かった要因の一つは、おたあさんの影響だろうと確信している。

2020年11月13日金曜日

名は体を

 名付けに古風な名前を選ぶ家庭が増えているとかで、令和生まれにして「和子」とか「はつゑ」「民子」なんてのをまとめてシワシワネームというそうで。これは少し前の「光=ピカ」「宙=そら」といったキラキラネームに対する言葉である。アラフィフの私の頃は、女の子といえば「直子」「恵子」「朋子」など圧倒的に○子が主流だった。不思議なことに○子だと結婚して姓が変わってもそんなに音便や字面が悪くなることもないのだ。「オダ マリ」さんや、「マキ マキ」さんになっても、子が付いていればそう気にならないと思う。

曽祖母にあたる人は、元から姓と名前が一致している。仮に姓が「吉川」だとすると名前は「ヨシ」。「ヨシカワヨシ」これはいくら明治時代でもからかいの対象に為りかねないのでは。まったく親のセンスが疑われる。尤もヨシには兄がいて当然嫁に行ったら婚家の姓を名乗るから何でもいいと思ったか、それとも実家の意思を継いで欲しいと言う願いからか。

ところがその願いは図らずも叶えられてしまう。兄が商いの関係で大陸へ行って家を継がぬことになり、ヨシは婿養子を取る。お相手の正太郎(仮)はなかなかのイケメンだったらしく、縁談はあっさりまとまり一男一女を儲け幸せに暮らした、のであれば良いが。

このイケメン正太郎君は他にも家庭を作っており、あろうことかほぼ同時進行で一男一女を儲けておったのでした。事の次第を知ったヨシカワヨシの父は烈火の如く怒り、正太郎との離縁を要求する。ところがヨシさんは抵抗したということである。その後については親類中あまり詳しく語ってくれないので詳細は不明なのだが、正太郎の面影を受け継いだであろうヨシの息子(私の祖父)も面食いの祖母の目に留まったというから、当時ではイケメンだったのかもしれない。父親の名前を一字もらったが性格は違ったようで、家庭に冷たくDVの話ばかり聞く。若い頃清元を嗜んだというから粋な面もあったのだろうか、私の知る限り表情のあまりない静かな老人だった。

名前は自分では選べないだけに、本人が気に入ってくれるものを付けてやりたい。画数もほどよく字面もいいものを。○○さん、と愛を込めて呼んでもらえるような名前を。


2020年10月9日金曜日

はじめに言葉ありきでもない

前回スキンシップにおける夫婦の温度差について書いた。空気のような存在でお互い必要としている日本人的夫婦の実態をもうひとつ言うと、はっきりしたプロポーズの言葉を聞いたり言ったりした覚えのない人、少なくないのでは? お見合い結婚で結納を交わして形式的に挨拶するものであった時代の方は、自由恋愛ならプロポーズはあって然るべきと思われるだろうか? 

私に関していえば、夫からハッキリした言葉を聞いた記憶がない。それについて不満があるわけでは無いが、何となくゴニョゴニョと「結婚しようよね」みたいな流れになったのは、いかにも日本人らしいナイーブな男の甘えた心情の顕れだ。こんなものは他の先進国では通用しないし、それを許してしまう女も浮かれた馬鹿とも言える。

そんな曖昧なことなのにホテルのチャペルでにわか信者にさせられて、牧師に言われるまま永遠の誓いにサインをする。西洋文化では結婚は契約だから、当然違反すると罰則がという流れが自然と生まれる。病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、愛せなくなったらどうなるの?

恋愛が二人だけの世界のうちは気楽で自由だ。お互いに帰るところがあり、経済も別だから単純に気持ちを確かめ合うだけで良い。これは婚外恋愛にも言えることで、いいとこ取りだから楽しい。ゆえに世間ではズルをしているという認識で不倫と呼ぶ。いずれも言葉とスキンシップが重要な役割を果たす一方で、前者はさらなる展開の可能性があり後者は終わりに向かっている。それがどんなに有意義で良い関係であったとしても。

はんこレスの動きに婚姻届も離婚届もオンラインで随時提出できるようにする案が出ているそうだが、あまりに簡便すぎるのもどうだろうか。日本には戸籍制度だってあり、人の一生を左右する大切な手続きだけに、今一度「結婚」という言葉とその意味を問うてみたい。





言葉だけでいいのは神様だけ!?

実家の母にスマホを用意したが、フォントを最大にしても扱いにくいとあまり使っていないらしい。もっとも外出することがめっきり減ったから、伯母とのSNS通話専用機と化している。その一方でタブレットの方は大変愛用してくれていて、私にもこの動画見ろとか勧めてくる。

「考えさせられたー」「あんたも気をつけなさいよ」みたいな感想付きでおすすめに挙がってきたのがこれ。日本でアメリカ人男性と出会い、結婚して向こうで20年間暮らし一男を儲けたが最近離婚して京都に帰ってきた女性keiさんの動画。


keiさん曰く「20年も連れ添った夫婦なら空気みたいな存在になるものだ」。私も、日本人なら共感する人も多いだろうと思う。keiさんの元夫は「君から僕の身体に触れてきたことが一度でもあったか?」と言って妻が長年にわたりスキンシップを拒否してきたと主張、何度もカウンセラーを挟んで話し合いの結果、離婚に至ったという。keiさんは京都に帰ってきて息子を国際高校に入学させ小さなアパートで暮らしているというが、元夫の孤独な老後を心配し彼の両親のことも必要であるなら手伝いに行くとまで言っている。コロナが落ち着いたら彼を日本に呼んであちこち連れて行ってあげたいし息子との交流も頻繁にさせたいそうだ。なのにもう男女の関係でなければダメだというなら一緒に暮らせないという。いや、元夫さんこんな素敵な人に去られて辛いであろうにそれでもスキンシップがないとダメなのか??自分にとっては些細なことでも夫にとっては重大なことだったとして、離婚には後悔していないそうだ。

この動画には10月9日現在200件近いコメントが寄せられていて、中には同じ経験をしたか現在進行形で苦労している人も多い。その他、元夫に同情する人、国籍人種には関係ないという人など反応は様々だ。果たして私はどれに該当するのか。育ってきた環境が影響してか、夫婦は空気みたいな方が長続きするものと思ってきたが、それは夫婦の温度差がないことが前提なのかもしれない。

2020年5月11日月曜日

進歩と調和

母の日のイベントとして子孫揃って食事をしたり、花束やお菓子を贈ったり。何かしら贈り物で感謝の思いを伝えているご家庭は多いだろうなと思いつつ、毎年となると続かない。一緒に盛り上がってくれるきょうだいでもいれば話は別なのだろうか。

夫の生家では母の日・父の日・誕生日などのイベントやプレゼントは欠かさず、義母から夫の誕生日にバースデー電報が届いた時もあり、風変わりな家だなと思った。もちろん息子たちの誕生日は盛大に祝ってきたし、幼稚園で描かされたであろう「ままだいすき」プレートに涙して喜んだりもしたけれど。記念日を祝う文化を根付かせなかったのはたぶん私のせいなのだろう。記念日って何故かしみじみしてしてしまって、それが本来面倒くさがりの人たちに伝播してしまったんじゃないかと、少し反省している。

COVID-19の影響で花屋さんが苦境に立たされ「母の日」を「母の月」として月間を通じてお母さんに花を贈ろうキャンペーンをしている。実家の母に聞くと決まって「水を換えるのもしんどいからお花は要らないわ。お腹もあんまり空かないしね。私の代わりになんか美味しいものでも食べなさいよ」となるので、また長い長い電話に付き合う。たぶん私も息子にそう言うんだろうと思いながら。

長電話で懐かしい祖父トシオの話が聞けた。
名神と東名高速道路がつながったからと、母を連れてハイヤーで東京まで。赤坂プリンスホテルの部屋から皇居を見て「これは不敬に当たるのでは...」と絶句していたとか。
母が懐妊した頃、体調が安定せず実家にいることが多かった。ちょうど大阪万博が開催中、祖父は新しいもの好きが昂じて毎週のように出かけていたとか。体調が落ち着いたら待ってましたとばかり母を連れ出して比較的空いているスイス館でステーキ食べたとか。そんな祖父に当時大学生だった叔父(母の4つ違いの弟)が「なーにが進歩と調和や」とつっかかるので喧嘩になった話とか。

戦後肺結核で死にかけ、最愛の妻は看病で感染して亡くなった。死に物狂いで小さな会社を経営し、最愛の息子を海外で亡くし、苦労や悲しみの多い人生であった。けれど、新しいもの綺麗なもの美味しいものへの憧れは桁外れで、それが生命の源だったから前を向いて全力完走できた。きっと思い残すことなど何も無かっただろう。


2020年4月14日火曜日

なぜヒトは繁殖能力を失っても生きるのか

地球上の生物でヒトは繁殖能力を失っても長生きする極めてまれな生物だ。
チンパンジーもゴリラも寿命の終わり近くまで子を産み育てることができるというのに、ヒトの女性の繁殖期間のなんと短いことか、嘆かわしい。

今のところ、閉経後も長く生きる生物はシャチなど一部の海洋哺乳類に限ることがわかっている。シャチはオスが50歳くらいで寿命を迎えるのと対照的に、メスは40歳くらいで閉経し、90歳くらいまで生きるものもいるという。調査では孫の面倒をみる習性が数多く確認されており、閉経したメスのいる群れは子供のシャチの生存率が高いという。

生物学の福岡伸一先生(「動的平衡」でご存知の方も多いはず。私にはとても難しいのだけど)によれば、こうした孫育てによる子孫繁栄を目的とするのもヒトの長生きする要素とも言えるが、それだけでは説明が不十分だと言う。

確かに女性の場合、出産・子育て期間に月経が止まることで身体への負担を軽減することができる。母乳育児で乳がんリスクを下げるという研究報告もある。しかし子供を作らないからと言って寿命が短くなることはない。

「ヒトは知能を得て、遺伝子というものの存在を知り、その企みを知った。そして遺伝子の企み熟知した上で、なお、種の存続よりも個の存在が重要だという思考に価値を見出した初めての生物となった。」講談社オフィシャルウェブサイト なぜヒトにだけ「長い老後」があるのか? 生物学者・福岡伸一の答え
結論として、「老いる」ということは自由になること、なんだそうだ。

実家の母は一人しか子供を産めなかったが、二人の孫の成長を見守ることができたのが何よりの幸せと言う。母に自由はあったのだろうか。私はもし叶うなら孫の顔も見たいと思うけれど、自由になる感覚も味わってみたい。

2020年3月13日金曜日

母に

日本人独特の性質なのだろうか、母と子の関係が何かと影響して無意識のうちに支配されていたと後で気づくことがある。

昨年も実家の母にある人と親しくなった話をしたら、夫も動員して引き離すように強く勧めてきた。事実、実家に行く回数も電話も減ってしまったから敏感に反応したのかもしれない。母の言うことには、いくつになってもまだ抵抗できない自分がいる。

源氏物語を林望先生の抄訳で読もうと決めてからまだ本を手にしていない。Amazonの試し読みをして紙の本にするかKindleで読むか、宇治十帖からにするか「あと書き」本からいくか、迷っているがそれも楽しい。

「あと書き」中で、冒頭第1章に「親子の物語としての源氏物語」として光源氏の母である桐壺の更衣をいじめる弘徽殿の女御の立ち位置・心情が書かれていて、新鮮だった。
我が子の立場を危うくする者を排除しようとすれば鬼にも蛇にもなる母の顔。

逆に我が子の印象をよくするためなら自己犠牲など何でもない。

盲目の愛は時に、危険だ。

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2020年3月6日金曜日

何を好き好んでPTA

先に外国籍の友人からなんでPTAの役をやるの?と聞かれた話を書いた。
PTA本来の目的と意義から今回は大きく外れて、個人の参加動機についてレアな例をあげてみようと思う。

誰かがやらないと、というのが表向きの回答なのだが実は本当の理由があって、その一つは情報収集能力が低い上の苦肉の策というべきか。

女子的会話が極めて苦手で直接には無関係の人のマイナスイメージなど聞くと、もやもやする。それよりオフィシャルに集う人間関係から聞く情報が欲しい。男子は学校であったことなんて聞いても話さないし、話しても自分の話したくないことは言わないものだ。私だって親が心配するようなことに限って話さなかったから。

もう一つは話題の共有。夫は息子たちの中学校・高校には一度も足を運ぶことはなかった。必要がなかったと言うんだろうけど、寂しくないのかなと思う。私は女親が家族間の接着剤的役割を果たすこともあろうかと、学校の草むしりなどは積極的に行った。汗臭い体育館や壊れかけたウォータークーラーを見るだけの日もあれば、何の配慮かトイレのドアの男女のサインが外してあって困る日もある。何気ない先生の口調やふと気づいたことが、息子や夫との会話に繋がることもあるからだ。

さらに前年度の完全トレースであっても、引き継ぎから次へ引き継ぐまでに関わる人の個性はにじみでるもので、つまらない伝達や報告にしてもイマドキの方法やスマートな表現に触れるとやってて良かったと思える。

小学校のお役は確かに負担だ。小学校PTA委員選出の日など寒い教室で1時間以上役員が決まらずなんてことはザラにあったし、この役は無理なんですぅと泣かれて重い方の役を押しつけられたこともあった。裏でベロを出されていたかもしれないけど、逆に会うたび感謝されても気持ちが悪い。その活動たるや、ほんっと意味ねぇ!と思ったことは度々だったけれど他にやりたいことがあるならもっと早くに見つかっている筈と納得する。

悲しいかな、失敗や不快な思いをしないで暮らすことは生きている実感を失うことでもある。女子トークは、やっぱり苦手だけど。


2020年3月3日火曜日

バトル開始。親父VS息子

息子の進学先がようやく決まり、話し相手が戻ってきたとばかりしばらくは大変上機嫌な夫だった。が、その蜜月もそろそろ終わりが差し掛かったか、しだいに不穏な空気が漂い始めている。

とにかく長男が幼かった頃は可愛さ余って口出す手出す干渉しまくりで、それもかなり自己中心的かつ気まぐれ。子供への対応では流石に私も声を荒げる事もあったように思う。親は自分の背中を見せる、つまりかっこ悪い思い出なんかを話してやる方が自信がつくと思うのだけど、彼の場合はとにかく喋りたいことを喋る。そうやって育ったのかもしれないし、私が相当うるさく言ったので手はあげなくなった。溢れる一方的な愛があるので長男本人もそこは納得していて自分が悪いと言う。いや、そうじゃないんだけどな。

先日もパソコン購入を巡ってやり込められ、例によって何も言い返せずただ萎れている。
完璧に欲しいスペック、価格の物なんてないのだし欲しいものを買えばいいと思う。大学生協おすすめは確かにいくらか安いし、説明も一律だから最初は安心感があるかもしれないけど、多少の不安材料は何とかします困ったら助けてくださいと何故言えない。

長男は不器用で素直だから永遠に父親には勝てないと思い込んでいる。ガチでやろうと思うから気持ちが萎えるのだ。つい援護射撃したくなる気持ちを抑えつつ、悶々としてしまう。それに今は夫婦の間に波風立ててまでバトルを応援する気力や自信がないのだ。願わくば良い大人、先生、友人に恵まれますように。あまり家に居つかないように。

その点、次男は要領が良いし時に恐ろしいほど太々しく父親に似ている。いつかやり込めてやると虎視淡々と狙っているようにも思える。

なんだかんだ言って男三人仲は悪くないのだが、また新たなステージに入ったなぁと大きな靴の並ぶ玄関を見てため息をつく。

2020年3月2日月曜日

酒と泪と女と花と

かつて義母が認知症が進んで一人暮らしが限界に来た頃、肝炎による肝硬変も相当に進んでいた。少しのアルコールも身体に応えたに違いないのに、そんな事も忘れてスーパーでワンカップ大関とスプーン印の砂糖1kgパックを買ってきてしまう。ワンカップの方は飲み切ってしまうが、砂糖は直接!?食べるのか封を開けたものがそこかしこに置いてある。

介護サービスを使いつつ、主治医に告げられた通り5年後肝癌になって亡くなった。介護施設ではフラワーアレンジの日が楽しみで、うちに帰ってからも毎日生け替えたり庭の草花を摘んで添えたりしていた。

だから棺の中は白装束に菊とかじゃなくて華やかな洋花でいっぱいにしてあげよう。
独特のパーマスタイルに濃いアイライン、タバコをふかす厳しい人生もあったろうけど、施設ではすごく可愛いおばあちゃんで通ってた義母なのだ。

しかしその思い遥か。

小さな事務所を営んでいたときは、すぐ「社長」「社長」とたかってくる連中に御馳走してしまう義父に苦労して、元から好きだったお酒をひっかけながら子供たちの夕飯を作るうちに酒量が増えていったとか。加えて身体のしんどさに安易に受けた点滴の針が使いまわされていたらしく、肝炎に罹ってしまった。

そのイメージがあまりに強かったのか、親類筋は「酒、好きだったよなぁ。いっぱい飲めよー」などと言いながら、お棺の中にドボドボと注ぎ込み出すからもう仰天で。「顔はやめてー」の声も虚しくおじさん達は後から後からもう浸るかと思うほどかけまくり、辺りは日本酒やらウィスキーの匂いぷんぷん。

お花もお酒もたぶん喜んでくれたんじゃないかと、思っています。
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2020年2月8日土曜日

引越しをすると

いま住んでいる地方都市に来たのは20数年前のこと。連れ合いが一人で住んでいた小さな公団の2DKに住み始めた。すでにキャンプ用品やら釣り道具など趣味のものがスペースを埋めており、家電は一通りそろっていたので実家から運んだものといえば食器棚と衣装ケースくらいのもの。引越しの人は嫁入りといったら驚いていた。自分でも拾われた猫みたいだと思った。

本当にあと先考えずに来てしまった。アルバイトなど探しているうち体に異変が…。思いあたる節があり婦人科へいくと当り、には違いないけど心拍がどうもおかしいと。翌週案の定、貧血で道でうずくまっていたところ誰かが救急車を呼んでくれ搬送、流産、処置と。今思うに使われた薬、おそらく収縮剤が強すぎて脂汗がでるほど痛く、医院のしけた畳部屋で一睡もできずに一夜を明かした。

公団の部屋の隣には可愛い幼稚園くらいのお子さんが2人いる元気な奥さんが住んでいて、偶然にもしょげて戻った私に声をかけてくれ以来何かと親切にしてくれた。聞けば結婚披露宴の司会の仕事をしていて結構順調なのだとか。もうすぐ引越しすると伝えたら、今度ホテルでランチしようと誘ってくれ、出来て間もない高速道路を一路西へ。元気なママってかっこいいなぁ。そこで初めて子供のいる暮らしについて考えるようになったかと思う。鳥でも産んだ卵を隠すともうひとつ産むというから、これも本能かもしれない。

奥さん曰く、「うちも長いこと授からなかったけど、引っ越ししたら子供できるよ」
そうなればいいと願いつつ、すんなりといかないのが常であり、思いつく限り身体を整え、さらに1年以上の不妊治療を経て子を迎える準備に入った。気がついたら29歳になっていた。


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2020年1月14日火曜日

空っぽの器

今回はちょっとシリアスに
『三度目の殺人』(2017年 監督:是枝裕和 主演:福山雅治 役所広司)
をとりあげます。ネタバレ注意。

是枝作品は『そして父になる(2013年 出演:福山雅治 リリーフランキー 尾野真千子 真木よう子)や『万引き家族』をご覧になった方が多いと思う。

家族を取り上げることの多い監督作品の中で、かなり救いがなく後味のすっきりしない仕上がりだ。役所演じる殺人の容疑者である三隅という男、過去にも殺人の前科がある。証拠も揃っていて死刑は免れないが、動機がはっきりしない。先の事件で取り調べに当たった刑事は三隅のことを「空っぽの器」と表現する。親しくなった相手の心を読み取りその人の意思で行動する、具体的には代理殺人という意味合いらしい。

相手の気持ちが分かるというのは思いやりのひとつだろうが、この場合共感ではなく心の「乗り移り」ならぬ「取り込み」だ。

相手の求める人物像を無意識で演じてしまうのもまた、罪なのかなぁと思う。

2020年1月11日土曜日

父、不在。

父がまだ若く長い入院生活から帰ってきて復職したばかりの頃だ。
日曜になると4、5歳くらいの私を日産サニーに乗せて琵琶湖のほとり膳所公園までドライブに連れて行ってくれた。近江大橋を臨んで湖面にさざ波が立ち、小さな淡水の貝殻を拾ったりして遊んだ。帰りはESSOの2階がファミレスになっていて、白いレースペーバーを敷いた銀色の器にウェハースのついたアイスクリームを食べるのが楽しみだった。

高い、高い、東京タワー見えるかな?
パパ、タバコ臭い。

少し大きくなると琵琶湖バレイでスキーを教えてくれた。
身体の前で抱えてボーゲンを、右にターン、左にターン。
上手、上手。

ずっと一緒にお風呂も入っていた

が

10歳くらいから私が娘らしくなってくると、もうどうして良いか分からず
父は私と距離を置くようになってしまった。

母曰く、「あの人は子どもだからね。」
自分の父である祖父と何かと比べてしまうらしい。

父と娘。微妙な関係だ。

モーニングページを始めようと思うけれど

とり合えず始めてみようということが、できない。たぶん消しゴムを使うことに慣れると、そばに消しゴムがないと落ち着かなくて勉強できなくなったりするようなものかとも思う。だからこそ手書きでどんどん買いていく作業が私には必要なのかもしれない。 もやもやする、何か上手くいかない、そんな時に...