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2024年5月22日水曜日

断捨離の初夏

 祖父が昔買い集めた壺や茶碗、着物の類がいくらかあり、この度欲しがっている人にあげたり引き取ってもらうことにした。といってもこれは私の所有するところではなく、母の実家の問題ではありながら、娘の私の了承は得ておこうということだった。もし私に茶道や生花の心得やいくらか教養があり、セレブな世界とご縁でもあれば譲り受けることもあっただろう。残念ながら今の私がもらったところで全く活用できないのだから仕方ない。もらえないのが残念なのではなく、興味もないのに執着する自分が残念なのである。

母の決めたことであるし何の異存もないのだけれど、もらう側は娘の私が了承しているのか、後で文句言ってこないか気になるらしい。価値が分かる人のところへ行った方がお道具も幸せでしょう、とは言ってはみるけれど100%爽やかでいられるほど人間ができていない。息子らの教育費はアホみたいにかかるし生活費は膨れる一方で、どこまで燃料が持つか自分たち夫婦の老後はと心配し出したらキリがない。けれど余裕があればあったで巣立ちの邪魔になりそうで、分相応の暮らしは死守しなければならない。微妙なバランスでなんとか飛んでいるのに、うっかりボーナスでも出ればたちまち気が緩んで墜落してしまう。

モノもカネも制御できる力がなければ人を苦しめ、吸って吐いてエネルギーを生み出す能力のある者のところでは人々を潤す。力のない者は中継ぎとなって配分する手、正しく使われるか見張る目の役割がある。モノはたくさんのエピソードを宿して空間を占拠するから、カネよりも厄介と言えるだろう。どんどん断捨離で身軽になる母を他所目に、私は貧相な呪縛に絡んだままである。



2023年12月15日金曜日

幸福は甘くなかった

 福田恒存『私の幸福論』(ちくま文庫)を読む。平易な言葉で語られる、その内容は深く重厚で何度も読み返すことになると思った。昭和30〜31年にかけて講談社『若い女性』という雑誌に「幸福への手帖」と題して連載された。もう70年ほど前の文章だから、社会の事象は大きく変貌して日本人の生活様式も言葉も考え方も当時とはかなりかけ離れているのだけれど、読むほどに著者が感じた危機感の延長線上にいることに気づく。

自分に責任を持つことは恥ずかしく情けなく、自分をありのままに受け入れることは時に苦痛を伴う。とりまく環境や社会のせいにすれば一時的に気が紛れるかもしれないが、根本的解決にはならない。自分にとって不快なものを排除したところで100%快適になるということでもないし、むしろさらに居心地が悪くなったりする。本書の言葉を引用すると「幸福というのは難しい」「たった一人の孤独なたたかい」なのである。

著者はたぶん、保守的に生きるとは例えばどういうことなのか、その通りにいかないことを前提に人生の地図をひろげてみせてくれているのだろう。もう私はとうにこの雑誌の対象年齢を超え、結婚育児を経て成人した子供達の巣立ちを待っている段階であるから、人生ゲームのコマも中盤を過ぎたところだ。形の上では70年前の女性のような道を辿り、かなりレアな存在としての生き方の先には想像以上の孤立が待っていた。もっとも多くの知り合いや仕事仲間に囲まれた暮らしに孤立がなかったかといえば、それはまた別の孤立や孤独があったことと思う。

もう人生をやり直すことはできないが、これから出会う幸福は味わい深いだろうけれど、決して甘くはないらしい。安易な快楽で気を紛らわせ、幸せになる準備に明け暮れ、本当は自分はこうじゃないと否定し、環境が悪いと不平を言う、不幸のスパイラルの落とし穴はどこにでも見える。幸福の女神はそうした誘惑に打ち克った者だけに微笑む、大変厳しいお方なのだ。

本書は著者が亡くなった数年後に文庫化、今年の暮れに第23刷が発行されており、今も多くの人に読まれている。




2021年11月27日土曜日

手取り足取り

 寒くなって冬野菜が美味しくなってきた。白菜も大根も柔らかく、ほうれん草は渋みが少なくて甘みもある。母は自分が見よう見まねで料理をしてきたから教えられないと、あまり私には料理のコツを教えてくれなかったから家庭科の授業では初めてのことが多かった。今でもあまり家事一般に得意な方では無いが、レシピも作り方も動画サイトで何でも間に合ってしまう。エビチリソースの作り方もレモンジャムを煮るのもど素人からプロレベルまでたくさんあって自分の実力に合わせたやり方を真似してみる。何となくできた感じはあるけれど、満足感が薄いのは何故だろう。そもそも「習う」とはどういうことなのだろうか。

おばあちゃんが台所で細かく紅生姜を刻む音、友達が下宿のミニキッチンで器用にパスタを作る後ろ姿、野外で立ち上る豚汁の湯気、以前はもっと実感のある暮らしだったのにいつからこんなことになってしまったのだろう。たぶん自分が好んで分厚い殻に閉じこもってしまったからで、心の不調やコロナのせいにすることはできないのだが、少し見えていた光が今は背中にわずかに感じるのみだ。

ほうれん草には菊菜を少し混ぜて茹でて胡麻和えにする、白味噌のお汁に大根おろしを入れてみぞれ汁にすると温まる、もっと口づてに多くのことを知りたかったのに、その人のフィルターを通した知恵があまりに断片的で全然足りていない。単に隣で喋りながら見ていただけなのに、それがとんでもなく懐かしい。



2021年10月11日月曜日

風になる

 千の風になって(原題:Do not stand at my grave and weep)という詩がある。1932年米国メリーランド州の主婦が母親を無くした友人のために書いたものが様々に伝わったとする説が有力ということだ。日本では三行目の I am in a thousand winds that blow,の部分を訳して邦題とされている。自然に還るという感覚が日本人の心にも通じるといくつもの訳詞があり曲もつけられた。私も憚りながら意訳を試みたらこんな感じ。

お墓で泣いたりしないでね 私は いつも吹いてる風の中

日本のお墓のありかたは近年大きく変わったと言われるが、一般庶民が立派なお墓を持てるようになったのはそう昔のことではない。今だってお墓一基建てようと思うとウン百万かかったりするように、たまたま一族で成功した人が大見得張って建てたりするような贅沢品だった。

昨年、親類の墓じまいの話をいくつか聞いた。祭祀を継ぐ者がいないから永代供養墓に改葬したとのことだ。我が家も母方と父方両方の墓じまいを考えなければならない。全くの無縁仏になって歳月が経てば寺院であろうと更地にされるのは分かっているが、要は残された者の気持ち次第で手厚くするかそうでないかを決めるというところだ。

幼い子を亡くした従兄は先祖の墓とは別に可愛いお墓を作ってしまい、それについて今後どうするか親たちと揉めたそうだ。石を拝んでも仕方ないのだが、悲しみが強ければたかが石されど石なのである。誰も背負わない新品のランドセルを置く場所が必要だと母親が言えば誰も止められず、経済力と優しさが却って悲しみを閉じ込めてしまったようで胸が痛む。人の記憶から消えてしまう頃合いを見計らって粉々になるような墓石があれば良いのかもしれないが、そう都合良くはいかない。

我が家で義母の葬儀から1回忌法要までお願いした近隣のお寺では、予め2人とか3人とか入るべき納骨が済んだら13回忌を待って永代供養塔に合葬してくれるという。昔の風習を重んじながら新しい、お墓のあり方だと思った。



2020年8月3日月曜日

ポテトサラダ・コペルニクス的転回

NHKの番組「COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜」の放送で、日本のフルーツと関連する文化を各国のゲストが意見交換するのがとても面白かった。日本の芸術的に美しく甘いフルーツを称賛する一方で、皮を剥いて食べない日本人が外国人には不思議に映るという。

果物といえば中学生の頃、弁当を仲良しグループで食べる習慣があった。女子校だったからかどの子も必ずと言って良いほどデザートに果物を持ってくる。それをグループの子一人ひとりに均等に分けるという奇妙な習慣がはびこり、弁当の蓋の上にりんごがひとかけ、みかんが一房、ブドウが一粒という具合にのせられていく。私は遠距離通学なので朝早く弁当を詰めてくれる母の手間を思う以前に、弁当を食べた直後に生温い果物を食べる気がしないため持って行ったことはほとんどない。しかしくれるものは仕方ないので嫌々食べる。

りんごも飾り切りにしてあったり、ブドウの皮を剥いてあるものもあったりして、ひと手間かけてあるのは分かるが、衛生的にはどうなんだろうか。COOL JAPANのゲストを始めインタビューした外国人の全てがぶどう・りんご・柿・桃の皮は食べると答えた。キウイの皮は食べる食べないに分かれたが、毛のないゴールデンキウイに関しては全員皮を食べると答えていた。試しに皮ごと食べてみたら、これが意外に美味しい。柑橘類は抜きにして本当の果物の美味しさは皮と身の間にあるのだ。以来ゴールデンキウイを食べる時はそのまま輪切りにしている。

贈答品として見栄え良く、より甘い果物を作らんがために品種改良を重ね、食べる時も手間をかけることに価値を見出した結果、日本人は果物の皮を食べないことが上流の証しと勘違いし、果物の皮を剥く日本人妻は評価されたのだ。カットフルーツの技術や文化まで否定するつもりはないが、あれはハレの食べ物であって毎日するものではない。栄養価、味ともに果物は皮ごと食べるのがスタンダードであることを認識すれば、一般家庭でりんごの飾り切りをする異常さに気付くし、問題を家事・育児・パートナー関係に広げてみれば発想を根本的に換えられそうな気がする。

番組の放送と同じ頃、巷では「ポテトサラダ論争」というのが流行っていた。スーパーの惣菜売り場でサラダを買おうか思案中の幼児連れの女性に初老の男が「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ?」と言い放ったのを、目撃した中年女性がTwitterでばらまいた一件。

ジェンダー、モラハラ、マウンティング、高齢者、孤独、認知症など様々なキーワードが挙がりネットは蜂の巣を突いたように沸き上がり、一様に初老の男を攻撃したのであるが.... 海外の反応は冷たい。タイ人の女性はこうした論争が起きるのはいかにも日本人らしいといってせせら笑い、ドイツ人女性に至ってはそもそもポテトサラダは買うものであると。他人がサラダを作ろうが買おうが知ったこっちゃねぇという回答。

そして、スーパーのポテトサラダは値段のわりに不味すぎるのだ。あれがせめてデパ地下のデリ並になれば「あら、ここのサラダ美味しいんですよ。」と言ってやれるのだが、いずれにせよ頭のおかしな人には近づかないでおこう。

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2020年5月24日日曜日

私の耳は貝の耳

以前、金魚の水槽にカワニナという小さな巻貝を入れていました。元は水槽の壁をきれいにする目的で石巻貝を買ったのですが、数年経って死んでしまいました。その代わりに近所の川でたくさん繁殖しているカワニナを10匹ほど頂いてきたという訳。

結構大きくなった個体もありましたが、条件が悪かったのでしょうか、いつのまにか殻に穴があいて弱り金魚に食べられてしまったようです。

二枚貝はヒンジのところ、巻貝は一番尖ったところが稚貝の頃の殻になります。そこから少しずつ成長して殻を伸ばして大きくなったのですね。だから子供の頃の部分が一番薄くて脆いのを天敵は知っていて、狙って攻撃するとか。ヒトに例えるのは可笑しいのですがなんだかかわいそうになります。

この渦巻きは、生きてきた軌跡。

ヒトは過去の膨大な記憶を、儚い信号に置き換えるためこんなに大きな脳を持ったのでしょうか。母体から出られるギリギリまで胎内で頭を大きくし、頭蓋骨もつながらないうちから言葉を発する。重心バランスが悪いので1年経ってようやく歩く。

人の一生を貝の模様に収まるくらいシンプルにまとめて並べておけたらどうでしょう。
模様には、よくみると個性があってその人らしさが感じられるような。
その人を知る人がいなくなったら、水に溶けてなくなってしまうような。


2020年5月14日木曜日

Stay Home おばんざい

Stay Home が続いている。人は家に長く留まると手の込んだ料理をしたくなったり、道具が欲しくなったりするようだ。パン作りに欠かせない強力粉やドライイーストが品切れになったり高価な調理家電の売れ行きが好調だったり、いわゆる巣ごもり消費が生じている。しかしどんなに手間のかかる美味しいものを作っても、片付けを済ましほっとするとまた次の食事の準備が待っている。誰か、せめて献立だけでも考えてはくれまいか...。
もちろん予算に合わせて、所要時間も含めてである。

ここに、大村しげ『京のおばんざい』(「暮らしの設計」1980年 中央公論社)というムックがある。初版本は読み過ぎてあまりにボロボロになってしまったので1992年の第10版が出た時買いなおした。

冒頭には「おばんざい」が広く使われた用語であることを示す、幕末の料理本が取り上げられている。この嘉永二年大阪で出版された『年中番菜録』には、関東・関西の庶民の日常のおかずが載っていて、台所に立つ女性の強い味方になったのであろうか、明治期に版を重ねたという。

附言の引用をさらに引用する。
「番菜は日用のことなれば いまだせたいなれざる新婦はさらなり 年たけたるまかないの女といえども折ふしおしつまることあり 此書は只ありふれたる献立をあげ めづらしき料理または価とふとく番さいになりがたき品は一さい取らず ふと思案にでかぬる時のたよりをむねとすれば つねづね手まわりに置 番菜の種本と心得たまふべし」

著者は千馬源吾 撰とあって、船場の板前「源さん」のレシピを編集した?などと想像を巡らせてみる。私など主婦歴20年以上で「年たけたるまかないの女」だが、おしつまってばかりである。日本では170年経っても女性が台所で献立に困っているとはこれ如何に。ただし当時と違うのは、もはや家のしきたりなどなく好き勝手に献立を決められることだろうか。



2020年5月13日水曜日

野苺は甘く渋く

庭で放ったらかしにしている苺が実をつけている。栽培にはビニルハウスなど温室を利用するので今や立派なブランド苺が1月や2月に旬を迎えるが、露地栽培では4月頃花が咲いて5月に実がついて赤くなる作物だ。

肥料をやったりマルチング(敷き藁やポリ袋で地面を包む)する年もあるけれど、大抵は面倒で観賞用と思ってあまり期待していない。というのも虫や鳥に大半を食べられてしまうので、つぶれた苺の甘い匂いが立ち込める中、無事な実を這いつくばって探すのが苦痛だし、無農薬なのでダンゴムシやなめくじとも仲良くやらねばならぬ。味の方はまぁまぁいける、かな。

一般的な品種に一つだけ観賞用のワイルドストロベリーが混じっている。葉っぱの付き具合が食用と違っており花も実も小さい。食べられないことはないが種が多くて固くあまり甘くない。欧州ではウェッジウッドを筆頭に図案にも好んで用いられる。

思春期の女の子向け推薦図書に必ず挙がってくる、梨木香歩『西の魔女が死んだ』で中学生の まい と祖母が裏山で摘んでジャムにするのもこの品種。英国人の祖母が「Wild strawberries」とわざわざ言い換えるのも、一度かじってみれば日本の甘くてジューシーな苺とは全く違うから納得だ。

伴侶を亡くした悲しみの中、登った裏山に昔捨てられた畑があって、そこに野苺の花が咲いていた。それから歳月が過ぎ、「今年は まいが手伝ってくれました。」嬉しそうに丁寧にジャムを煮る。ふとしたことで学校に行けなくなった まい であったが、何を感じたろうか。

映画化もされたこの作品、控えめな演出で映像が美しい。

2020年4月27日月曜日

白い木の花

晩春から初夏にかけて木の花が盛んに咲いて新緑に映える。我が家には白い花をつける草木が多く、ウメ、ハナミズキ、小手鞠、鳴子百合、ドウダンツツジ。

ドウダンツツジは漢字で書くと灯台躑躅。枝分かれしている様子が明かりを灯す台の脚に似ていることから名付けられたとも。小さくプクッとふくれた花が細かな葉の間からこぼれるように下がって愛らしい。引っ越してきた時は瀕死の状態で枯れかかっていたが毎年少しずつ復活してきた。秋には真っ赤に紅葉し、葉が落ちると茶色い実がパチンとはぜるなど一年を通じて楽しませてくれる。

昔住んでいた家にはこれの大きな木があって、低木ながら存在感があった。
昔はマイホームを建てて、庭に高価な庭木を植えるのが一種のステータスであったのだろう。ダム建設で補償金をもらった農家が建てた家というのも近くにあって、庭木の数々はもちろんのこと立派な灯籠に巨大な庭石やらビーナス像まで所狭しと並べてあった。見たのはランドセルをカタカタいわせて歩いた通学路と記憶しているが、なんとも言えない趣味だった。

我が家にもツツジやモクレン、ヒイラギ、ヤシの一種、コノテヒバなどもっと木が植っていたが手狭になったり手入れが大変なので切り倒した。植木屋に頼むのがもったいないのに庭木を植える資格などないのだと、ブツブツ言いながら一人で切り倒した。
別に植木屋を入れたい訳では全くないのだが....

2020年4月14日火曜日

鴛鴦の契り久しからず

広辞苑によると
えんおう‐の‐ちぎり【鴛鴦の契り】ヱンアウ‥ 夫婦仲のむつまじいことのたとえ。おしのちぎり。御伽草子、浦島太郎「互に―浅からずして」
語源は唐の時代の漢詩撰で、仲睦まじい夫婦が死んでそれぞれの墓に木が生え絡まり合ったところへオシドリが巣を作って鳴き交わしたという言い伝えを取り上げたとか。よっぽど水辺にお墓を作ったものですね。

オシドリは雄の姿が派手なのでつがいでいると目立つことから仲睦まじい夫婦の象徴とされてきました。立教大学の鳥類学/動物行動生態学の上田恵介先生によると、実際には夫婦でいるのは繁殖期の前につがい形成をする1~3月までと、繁殖期である4~5月の間で1年のうちせいぜい5カ月ほど。しかも毎年パートナーを変えるんだそうで一生添い遂げることはないそうです。参考:本当は仲睦まじくないオシドリの夫婦から学ぶ「婚姻」の意味|動物たちの恋愛事情vol.2

ガン、ハクチョウ、ツル、オウム、ワシ、カモメ、ペンギンといった大型で長生きの鳥は生涯連れそうタイプが多いそうですが、ほとんどの種でよりよい遺伝子を残すためにメスが浮気をしているとか。
参考:『鳥の不思議な生活――ハチドリのジェットエンジン、ニワトリの三角関係、全米記憶力チャンピオンvsホシガラス』(ノア・ストリッカー著、片岡夏実訳、築地書館)


例外中の例外としてアホウドリは一夫一婦制を貫くそう。だいたい20歳前後まで生き中には60歳を超えて生きた記録もあります。全長100cm羽を広げると最大240cmという大きく美しい鳥。人を警戒しないことからこんなおバカな名前がついたのは残念ですね。
改名の動きもあって長崎で呼ばれる「オキノタユウ」も有力候補だとか。
是非将来、アホウドリの契りではなしに「沖太夫の契り」として広辞苑に載せてほしいものです。


なぜヒトは繁殖能力を失っても生きるのか

地球上の生物でヒトは繁殖能力を失っても長生きする極めてまれな生物だ。
チンパンジーもゴリラも寿命の終わり近くまで子を産み育てることができるというのに、ヒトの女性の繁殖期間のなんと短いことか、嘆かわしい。

今のところ、閉経後も長く生きる生物はシャチなど一部の海洋哺乳類に限ることがわかっている。シャチはオスが50歳くらいで寿命を迎えるのと対照的に、メスは40歳くらいで閉経し、90歳くらいまで生きるものもいるという。調査では孫の面倒をみる習性が数多く確認されており、閉経したメスのいる群れは子供のシャチの生存率が高いという。

生物学の福岡伸一先生(「動的平衡」でご存知の方も多いはず。私にはとても難しいのだけど)によれば、こうした孫育てによる子孫繁栄を目的とするのもヒトの長生きする要素とも言えるが、それだけでは説明が不十分だと言う。

確かに女性の場合、出産・子育て期間に月経が止まることで身体への負担を軽減することができる。母乳育児で乳がんリスクを下げるという研究報告もある。しかし子供を作らないからと言って寿命が短くなることはない。

「ヒトは知能を得て、遺伝子というものの存在を知り、その企みを知った。そして遺伝子の企み熟知した上で、なお、種の存続よりも個の存在が重要だという思考に価値を見出した初めての生物となった。」講談社オフィシャルウェブサイト なぜヒトにだけ「長い老後」があるのか? 生物学者・福岡伸一の答え
結論として、「老いる」ということは自由になること、なんだそうだ。

実家の母は一人しか子供を産めなかったが、二人の孫の成長を見守ることができたのが何よりの幸せと言う。母に自由はあったのだろうか。私はもし叶うなら孫の顔も見たいと思うけれど、自由になる感覚も味わってみたい。

2020年4月11日土曜日

1週間の変化

Covid-19の影響でこの1週間の我が家の変化を書いてみる。

家族以外の接触を極力避ける
夫がテレワーク(リモートワーク)開始
息子の学校がオンライン授業のテスト配信を始めた
布マスクを手作りした
散歩とストレッチを心がけないといけない
やたらと寝るようになった(これは関係ない)
オンライン北海道物産展でお楽しみセットを購入した
三度の食事作りがなかなか負担である(期待されている)
プライベートがない(家は広ければ広いほどいいね)

まだまだ長くなりそう💦

でも食べ物を買えないわけでもなく
住む家もあって
仕事もあって
自宅介護で親を看ているわけでなし
障害のある子が泣いて暴れるのを嘆くわけでなし
病気の子に必要なケアができないつらさもなく
身内がウィルス感染で亡くなった訳でもない
家族がいがみあったり暴力や虐待があったり
無言で冷え切った関係であるわけでなく
お互い思いやって協力しており
これ以上何を望むというのだろう
間接的な影響はそのうち受けることになるだろうが。

この感染症、1日も早く終息してほしい。






2020年4月7日火曜日

庭のハナミズキ

我が家には大屋根を越えんばかりのハナミズキの木が植っていて、一度トーテムポールと見紛うばかりバッサリ切ったにもかかわらず、また数年後同じスケールに育った。
種から育った苗木も、いつのまにか私の背を越えて立派に成長している。

この時期、枝の先々に小さなつぼみをつけて春爛漫の強い日差しを受けている。やがて4枚の白い花弁をゆっくりと大きく広げてくるだろう。

ハナミズキは一説には犬の病気に薬として使われたことから英名dogwoodと呼ばれる。
1912(大正元)年、日米親善にワシントン市に贈られた6000本余りの桜の返礼に、3年後ハナミズキ60本が東京市(当時)に贈られた。この話はいつか、英語の教科書で読んだ。

ハナミズキといえば今から15年前、この花の名前の歌がヒットしたのを覚えておられるだろうか。一青窈(ひととよう)の「ハナミズキ」は2004年のカラオケランキング一位を獲得したとか。10年ほど後に卒業式か何かで息子がクラスで歌うことになって、この曲が9.11アメリカ同時多発テロにインスピレーションされて作られたと教えてもらった。なるほど、歌詞が意味不明で難解な訳である。歌詞(外部リンク)

「♪君と好きな人が百年続きますように」の部分がヒットにつながったらしいけれど、
「♫どうか来てほしい、水際まで来てほしい」辺りはやはり子供を残して死んでいく親のイメージが浮かんできて、ぞくっとする。

ハナミズキの木がキリスト磔刑の十字架に使われた、という話はアメリカで出来たに違いないけれど、4枚の花弁を十字に見立て信仰のシンボルツリーとして人々が心の拠り所にしたのは想像に難くない。

木の花の物語。興味深い。



2020年3月28日土曜日

この世界の片隅に思う

コロナウィルスの影響で、日常当たり前と思っていた生活が簡単に覆されることにただ驚いている。ほんのちょっとした風邪みたいな病気一つで、ここまでの影響があるなどどれだけの人が予想できただろう。

息子の入学する学校も授業開始は大幅に遅れており、オリエンテーションの日程も未定で本人は大いに不安がっている。学びたくても大きなうねりの中では、何かの拍子に機会が奪われることだってあるのだ。海外の首脳が言うように「これは戦争」なのだろうか。

かつて日本にも時代の中で進路を翻弄された人たちがいた。やはり、太平洋戦争の体験はまだ生きた人が伝えてくれる貴重な情報だ。「対馬丸」でもいい、「この世界の片隅に」でもいい、それぞれの立場で自分がどうなるかどう行動するか考えてみたい。



2020年3月7日土曜日

お墓が欲しい♪

夫の両親の墓参りに行った。このお墓、義父が亡くなる1年前にどうしても買うと言って聞かず場所も値段も一切の相談なしに決めてしまった。当然私は大反対した。しかも義父はさらっと電話で「○百万円足らないから」と言ってくる。毎月の仕送りもきついのに今度はお墓か、病院の診療費も滞納していて呆けた義母のとこにも帰っていないのに、この家はどうなってんねん!怒り心頭に達すとはこのことだった。義妹は「父が欲しいといってるものになんで文句つけんの!」と怒るし、夫は「オヤジは車を買うような感覚なんや」これもよく分からない。

そうこうするうち、フル装備のセットが出来上がって開眼供養となる。先祖って言ったって中身がないので、親切?にも義妹夫婦が先代の田舎まで一走り、無断で本家のお墓周りの土をひとすくいもらって帰って義父を安心させた。

これも「長男がすることやろ」「そんなん頼んでない」と兄妹バトルに発展したのだろうか、もう忘れた。開眼供養の日はうだるように暑く、とにかく汗が止まらなかった。義父は杖をついてヨロヨロと導尿の袋をぶらさげて現れ、いつものように無邪気に笑って見せた。

義父は女手一つで育ててくれた自分の母には特別の感情があり、病院で息を引き取るまでの1ヶ月ほどずっと病室で寝泊りしていた。教会に預けていた遺骨は自分が死ぬまでにどうしてもお墓に納めておきたかったのだ。そう言ってくれればいくらか納得するのに、うちへ来ても携帯電話でずっと喋ってるし、およそ義父とは意思疎通など皆無だった。

間も無く義父が逝き、義母が逝き、今は納めるところがあって良かったと思っている。
毎月夫はお墓の管理を欠かさない。家の庭の手入れは一切しないのにである。





2020年3月6日金曜日

鳥啼き魚の目は泪

お買い物専用になって久しく、あまり活用していなかった軽自動車を売った翌日。息子の自転車を借りて野菜を買いに行こうと思ったら、「友達とブックオフに行くー」と出かけてしまった。元より車は夫が釣りに乗っていって車庫は空、仕方ないので徒歩で直売所へ向かう。

農道を通って帰れば、畑にはソラマメがすくすく育ち、空の青、雲の白、小鳥のさえずり。まさに春爛漫の景色に背中のカバンの口が開いているのも道ゆく人に指摘されるまで気づかない気の緩みようである。あまり乗らなかった車なのに、意外にも傷心気味なのだ。「ドナドナ」を歌いたい。

ウグイスのさえずり・警戒の声、お腹が橙色のジョウビタキ、白黒お洒落なセグロセキレイ、一瞬見えたカワセミ、魚をねらう大きな白いサギ、ガーガー鳴くカモたち。にぎやかな鳥たちの向こうにはメガソーラー の工事が進んでいる。

かつて親しかった人が利用していた貸農園は荒地になっていた。笑顔が素敵で、新鮮な野菜や手作りの美味しいものをこしらえてはみんなに分けたり、子供たちを集めて楽しいことをする天才だった。親類のゴタゴタ・経済不安や学校ボランティアで心折れそうな私を支えもしてくれた。どんなお返しをしたら喜んでもらえるかと考えるうち、彼女の一家は東北へ引っ越して行ってしまい、不登校の息子さんのことも聞けず仕舞いで疎遠になってしまった。社交的な人だったので親しい人はたくさんいたのだが、話しにくいのか本当に知らないのか誰に聞いてもさぁ…?という反応だ。

いつか楽しい土産話を持って彼女の住む東北を訪ねたい。あの時はありがとう、と言えるまで待っていて欲しい。

2020年3月4日水曜日

虫めづる日々

子供の頃、虫はあんまり好きではなかったのに庭木の選定や草花を植えたりするうち、だんだん可愛いやつもいるなと思うようになった。

10年くらい前だったか、近所の方からお子さんにとカブトムシの幼虫をもらった。
何でも庭に飛んできたのを捕まえてオスメス一緒に飼っていたら卵を産んで、それが幼虫になってを何度も繰り返してきたという。下のお子さんが中学生になって世話をしなくなったので、残っていた幼虫のもらい手を探していたのだそうだ。

他からも何匹かもらって一緒に飼っていたら、全部成虫になり一匹だけオスが生まれた。夏の終わりには腐葉土のマットの中に白いつぶつぶがいくつも見つかる。やがてつぶつぶは小さな幼虫になって冬を越す。

翌年のケースはすごく賑やかだった。毎日の昆虫ゼリーの消費量も馬鹿にならない。オスメス5、6匹ずつくらいいただろうか、やたらに体の大きいオスがあまりに喧嘩ばかりするので案外、卵は残らなかった。夜中もガサガサうるさいので気持ちが悪くなり、翌年は数を減らして繁殖は最後にしたと思う。

感動的だったのはキアゲハの羽化を見た時。パセリについたキアゲハの幼虫が可愛くて割り箸にさなぎを作らせて毎日の変化を楽しみにしていた。羽化の時、しわしわの羽に体液を送りゆっくり羽を広げていく。最後に飛び立つ前は結構な量のおしっこをして体を軽くする。モリモリ葉っぱを食べて愛らしかった頃とは全然違う姿で、悠々と飛んでいく。伴侶と出会って卵を産むためだけの姿で。

解剖学者で虫好きで知られる養老孟司さんが、昆虫の変態について「二つの種が合体した」「ケムシとチョウはもともと違う生き物だと考えるほうが自然」と表現しているのが頭から離れない。(新潮社WEBマガジン「考える人」対談 池田清彦×養老孟司「虫との大切な時間」)
自分も繁殖の時は別の生き物だったかもしれないと思うと、妙に納得してしまった。
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2020年2月29日土曜日

自然が呼べば豚が答える

新型コロナウィルスの影響で息子たちの学校は休みになるし、何でも自粛ムードでやたらに長い休みを持て余しているようです。まぁ頑張ってくれ。

彼らが小学生の頃は夏休みに読む本など何冊か用意しましたね。高学年ともなると子供が読みやすい文体で大人が読んでも面白い内容のものを探すのは結構難しい。感想文を書くには妙に入り込んでしまう小説より、ルポやドキュメンタリーの方がいいと思って選んだのがこれ。

西村大 『食べ物と自然の秘密』小峰書店 2003年
偏食のかたまりみたいな長男が興味を持つかと手にとったら、やはり小学生男子を引きつけるアレがありました。小学生男子が一度は通る漫画雑誌「月刊 コロコロコミック」小学館 の内容もざっと8割はう○この話ではないかと思われます。低学年男子の頭の中もね。

それはともかく、家畜として豚を飼うのに人の排泄物を餌とする文化が近年まで続いていた由、日本でも沖縄や奄美でもよく見られたとのこと。その辺りは想像に難くないけれど、漢代・三国時代の墓から出土した豚便所の模型にはちょっと衝撃でした。構造としては階上の小屋で用を足すと穴からオートマチックに落下したものを、豚が階下で待ち受けるシステム。都市に人が集中し大量の食糧を賄うため町の中で豚小屋を作る必要性が出てきた表れだとか。豚は羊や牛のように草を消化できないので基本的には人と同じものを食べることから、少しでも餌を減らしたい思いで生まれたのがこの豚便所なのです。

衛生面はともかくこのコストカットシステムトイレが現代に伝えられるのは、漢代の墓に副葬された陶製模型があるおかげと言えます。もちろん穀物倉もセットにしてるけど、ご飯があったらお酒もおかずも持たせてあげたい。愛するあなたへ贈る言葉♬ あの世にも食と排泄が必要不可欠であることを豚便所は如実に物語っています。

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2020年2月27日木曜日

柳をひと枝。新ブログ開設までのつなぎ

新しいブログを作るのが諸般の事情で遅れています。
サーバーはどこにしようか、WordPressを使うならどうこうとか、調べ作業が必要です。
とりあえずこちらも続けるということで。

私の日頃頼りにしている片頭痛の頓服薬が数日前、底をつきました。大体3、4ヶ月おきに処方してもらっていて、それとは別に普通の軽めの頭痛の時は市販薬を使います。あまり量が増えないようにとは言われているので5、6年前に比べると頓服も市販薬も減ってきた方だと思います。

さてその解熱鎮痛剤。古代中国は漢の時代、長安を立つ旅人に柳の枝を折って手向けたという故事があるそうです。柳の枝は字の通り楊枝として、あるいは馬の鞭に使ったり何かと重宝だから。加えて樹皮にサリシンという抗菌・鎮痛・解熱作用があったからといいます。これは大学の一般教養の講座で偶然に居眠りせずに聞いていて知りました。

柳はラテン語でサリックス。ここから成分はサリシンと名付けられた後、物質の構造を変えて副作用を抑えたサリチル酸さらにアセチルサリチル酸がつくられました。これがあのアスピリンの主成分になります。(参考:田中修『植物は人類最強の相棒である』PHP文庫)
今考えると幼児にどうなの?と思いますが、5歳くらいから「サリドン」は愛飲していました。これもサリですね。

いつまでもお元気で。柳をひと枝。またいつか会う日まで。


2020年2月21日金曜日

試験的ブログを終えて

今回でこの試験的ブログを終えることにしました。
試し書きのつもりで書いていたら結構面白くなったのですが、いかんせん以前の介護日記に比べカウント数を稼ぐことができませんでした。

テーマを絞り多くの人の読みたいもの、必要な情報を書くことが何より大切です。

同時に精神的に支離滅裂になった日々の暮らしをつなぎ合わせたいと切に願います。

ご愛読ありがとうございました。

モーニングページを始めようと思うけれど

とり合えず始めてみようということが、できない。たぶん消しゴムを使うことに慣れると、そばに消しゴムがないと落ち着かなくて勉強できなくなったりするようなものかとも思う。だからこそ手書きでどんどん買いていく作業が私には必要なのかもしれない。 もやもやする、何か上手くいかない、そんな時に...