2021年11月27日土曜日

手取り足取り

 寒くなって冬野菜が美味しくなってきた。白菜も大根も柔らかく、ほうれん草は渋みが少なくて甘みもある。母は自分が見よう見まねで料理をしてきたから教えられないと、あまり私には料理のコツを教えてくれなかったから家庭科の授業では初めてのことが多かった。今でもあまり家事一般に得意な方では無いが、レシピも作り方も動画サイトで何でも間に合ってしまう。エビチリソースの作り方もレモンジャムを煮るのもど素人からプロレベルまでたくさんあって自分の実力に合わせたやり方を真似してみる。何となくできた感じはあるけれど、満足感が薄いのは何故だろう。そもそも「習う」とはどういうことなのだろうか。

おばあちゃんが台所で細かく紅生姜を刻む音、友達が下宿のミニキッチンで器用にパスタを作る後ろ姿、野外で立ち上る豚汁の湯気、以前はもっと実感のある暮らしだったのにいつからこんなことになってしまったのだろう。たぶん自分が好んで分厚い殻に閉じこもってしまったからで、心の不調やコロナのせいにすることはできないのだが、少し見えていた光が今は背中にわずかに感じるのみだ。

ほうれん草には菊菜を少し混ぜて茹でて胡麻和えにする、白味噌のお汁に大根おろしを入れてみぞれ汁にすると温まる、もっと口づてに多くのことを知りたかったのに、その人のフィルターを通した知恵があまりに断片的で全然足りていない。単に隣で喋りながら見ていただけなのに、それがとんでもなく懐かしい。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...