2021年9月25日土曜日

裏切り者の故郷

 能の修羅物には平家物語を題材としたものが多い。「俊寛」も人気の演目だが修羅物と言っても武将は出てこない。平家打倒の陰謀に加担した罪で鬼界ヶ島に流罪になり、同志二人は中宮徳子の安産祈願のため大赦に預かって京都に戻るが、俊寛だけは赦されず島に一人残されるという話。面も俊寛を演じるためだけの専用の面があり、通常は現世の男性は面をつけないので大変珍しい例なのだそう。

平家物語では俊寛は島で魚や海藻を採ってどうにか生きながらえ、数年後召使いの少年が訪ねてくると信仰心を取り戻し息を引き取る。こんな酷いことをして平家の先々が思いやられる、と作者は平家凋落の布石としているのだが、単なる裏切り者の処分にしてはやや冗長にも思える。

裏切り者といえばその上を行く男、この鹿ヶ谷の陰謀を平清盛に密告した多田行綱を忘れてはならない。摂津多田庄の武士団を形成した源満仲より数えて8代目、多田源氏の嫡流だ。後白河院の北面武士に登用されたところを見ると、武芸だけでなく詩文・和歌・管弦・歌舞の心得がありさらに容姿端麗だったと思われる。北面武士は白河院が作った制度で下級官人の子弟から選りすぐりが集められた。同時代の西行法師も佐藤義清と名乗っていた頃は北面武士として評価が高かったから、多田行綱もそれに準じていたと想像できる。もっとも平家物語によると後白河院の時代には、集められた若武者の出自は悪くなりモラルが低くなってしまったと散々だ。

鹿ヶ谷の密告の後は平家に属するが、木曾義仲の出現で寝返り摂津で都への物資の封鎖などで逆に平家を苦しめたとされる。義仲が入京し後白河院との関係が悪化すると今度は院側につくが、敗走して多田庄に逃げ帰る。義仲敗退後は源頼朝について義経軍に加わるが、これが原因の一つか平氏滅亡後は多田庄を頼朝に没収され追放されている。

清和源氏発祥の地を頼朝が欲したためとの説もあるが、この経歴から見てあまり信用のおける人物とは思えず、御家人として新しい制度の中で役割を任すには相応しくなかったのだろう。

あんなに俊寛でひっぱっておきながら、行綱の裏切りについてあまり触れないのはどういうことだろう。そもそも平氏打倒の陰謀からして後白河院が首謀者であり、清盛・義仲・義経と情勢に合わせて使い捨てる非情さにも関わらず、その横暴ぶりを批判的に描かれることはない。平家物語の作者がどんな立場の人だったか、誰に気遣いどんな思いで書いたのか気になるところである。


多田神社全景:公式サイト


2021年9月23日木曜日

女がつまらない世の中

 この春は、林望『謹訳 源氏物語』を一気にとはいかないながら興味深く読んだ。今度は同じ林先生の著書『謹訳 平家物語』を一、二巻手に入れて読み出している。あらすじは小説や大河ドラマなどで大抵知っているし、多少中学や高校でも敦盛の最期や木曽義仲の話など読んできたから馴染みがある。

1970年代平家物語の女性にスポットを当てた小説がドラマ化され、それを見ていた母が私の名前を思いついたと聞かされた。それも小説上の架空の人物で、戦乱の語り部としてしぶとく生き残るキャラクターを好ましく思ったとか。返せば平家物語に登場する女性は、建礼門院や常盤御前のように男社会で自己主張することなく、悲しむことも許されずにただ生きている。意思がはっきりしていると巴御前のような自由闊達な女性は荒武者のように戦場で死に、清盛の妻の時子も平家一門の繁栄を支え凋落を見届けて壇ノ浦に沈む。皆、戦乱の世の女らしく自らの勤めを果たし精一杯真面目に生きたのだが、平安文学の後だけに何か物足りない気がする。

平家物語の成立には諸説あるそうで、鏡物のような歴史物語があると思えば軍記物語的な部分も多く、後にあの「祇園精舎」で始まる有名な冒頭部分を付けてまとめたのは容易に想像がつく。登場する女性に人間的魅力がないのはあくまで物語の添え物という位置付けで、それは即ち絶対的に男性優位の社会が形成されていく現れだろう。

律令制度の限界と交易などによる経済の力関係が、スピーディーな武力行使による交渉でゆらぐ激動の時代。価値観が固定化して、個人の自由な発想や幸福感が否定されていく怒り・悲しみ・諦めが、癒しと希望の宗教観を育んだと言って良い。自然が厳しく腕力至上主義の世界なら厳しい戒律の信仰がふさわしいかもしれないが、湿度の高い日本の風土には慰めと癒しが必要だ。

土豪から貴族の地位に這い上がった平忠盛、自由奔放で大胆な清盛、貴族として模範的な重盛、権力闘争や陰謀に渦巻く都。こうあるべき、こうだからダメになったのだ等々、息苦しくネガティブな考えに絡め取られていくような感覚があり、なかなかページが進まない。



2021年9月22日水曜日

タヌキにまつわるエトセトラ

 四国出身の祖父が若い頃、まだ幼かった母と叔父を寝かしつける時、よくお話をしてくれたそうだ。話のネタに困ると故郷の民話を繰り返し、それもタヌキの話ばかりだったとか。

四国にはタヌキの話が多い。最も有名なのは阿波の「かちかち山」だが、他にも探すと人を化かす怖いのからひょうきんなのまでいっぱいいる。人に悪さをするキツネを弘法大師に頼んで追っ払ってもらったら、今度はタヌキの楽園になったという話まであるくらいだ。頼まれたお大師様もさぞお困りになったことだろう。タヌキの話が多いのは実際のところ、西日本の里山ではキツネより出くわすことが圧倒的に多いからだろう。

民話・説話は基本的に口承文学だからどれがオリジナルかはっきりとしないところはあるが、東西を問わず古いと言われている伝承ほど怖い。最近の子供向けの話は刺激的な部分はカットしてソフトな内容に書き換えられたものばかりで、やや物足りない感はあるが「かちかち山」は別だ。情けをかけたばかりにタヌキに杵で殴り殺された婆を、爺がタヌキと思って鍋にして喰ってしまう辺りはあまりに残酷で、後半で背中を火傷させようが泥舟で沈めようが初っ端の衝撃に比べれば霞んでしまう。やはり寝る前の話にはオチがあり、めでたしめでたし、で終わりたい。

讃岐に伝わるタヌキの話は祖父から聞いたのかもしれないが、実は今日調べてみるまで知らなかった。ただ「ナントカの禿狸」というのだけ記憶していて、それが以下の「浄願寺の禿狸」のようである。(屋島の太三郎狸:スタジオジブリのアニメ映画『平成狸合戦ぽんぽこ』の「太三朗禿狸」のモデル、も有名らしいがそれは知らなかった)

むかしむかし、讃岐国にタヌキがおった。貧しく年越しの用意もできない夫婦を哀れに思い、金のヤカンに化けて自分を市で売らせた。金持ちに買われたタヌキはご主人に毎日火にかけられたり磨かれて毛が抜け、たまらず逃げ出してしまう。逃げ込んだお寺で泣いていると和尚さんがお餅をくれてすっかり元気に。お寺に住み着いたタヌキはその後も良い行いをしたので幸運をもたらす大明神として祀られ、今も「禿さん」と親しまれている。

ぶんぶく茶釜にも似ている可愛らしい話でもあり、祖父がラッキーアイテムとしてタヌキグッズを集めていたのはこの話からなのだろう。信楽に行けば器と一緒に必ずタヌキの置物も買って帰り、庭に大きいのから小さいのまでたくさん並べていた。






2021年9月16日木曜日

贈り物について

 敬老の日が近いのでシニア向け商品が多く宣伝されている。母の杖代わりにしているキャスターバッグが古びてきたので新しいものを購入した。杖代わりになるのが条件なので、スワニーという会社のバッグを中心に探してみた。ついでに商品開発の動画がYouTubeにあったので見てみるとなかなか興味深い。香川県の手袋メーカーの三好鋭郎さんが米国ニューヨークへサンプルを持って営業に行く際、子供の頃の小児麻痺で不自由な身体を支えてくれたキャスター付きスーツケースをヒントに改良を重ねたという。現在は80歳を超え娘婿に社長の座を託して、現在は小型車椅子の開発に意欲的とか。

母が人工股関節を入れる手術をした直後、安定性が良くスーパーのカゴも置ける歩行器を買った。しかし通院やバスに乗ったりといった実際の暮らしにはあまり役に立たなかったようで、リハビリ後は叔母が一緒に買いに行ってくれた4輪のキャスターバッグが杖代わりになっている。バッグの大きさも絶妙だから母も大変気に入っていて、同年代の助言は確かだと思った。新しいバッグもなかなかお洒落で使いやすそうなのだが愛用してもらえるだろうか。

最近は贈り物といえばお中元お歳暮さえしなくなり、ありきたりのお供えや香典返しくらいなものだ。思えば本当に相手にぴったりの贈り物を考えることなどあったろうか。自分の欲しいものを選んで、あくまで憶測だが「たぶん」失敗したことは結構ある。他人だとはっきりは言われないが、やはり配慮が中途半端だったと反省した。貰って嬉しくない記憶より贈って失敗した記憶の方が鮮烈で苦い。たまには成功させたいものだ。

                    会社サイトより。画像リンク


2021年9月10日金曜日

愛をかたちに

お金というものは人の性格を変えてしまうこともある魔物だけれど、有効に使えるならあった方が良いという当たり前の話。金がある時は金持ちらしく、金がない時は貧乏人らしく暮らしなさい。士族は貧しても貪してはいけないと、祖父は親の代からの言葉を機会あるごとに繰り返した。 そうありたい一方で、私は侍でもなんでもないしお金を巡って争う場面に遭遇したら自分がどのように行動するのだろうと不安になる。

例えば相続財産の分配は、時に兄弟姉妹間で金額が親からの愛情を計る物差しになってしまう。法定相続分を1円単位で分けるのだって大変だ。また夫か妻の不倫相手への訴えや、一方的な別れの要求も損害賠償と同じく最終的にはお金で解決することになる。大人の誠意はお金なのだ。逆にお金で解決したらそれ以上一切の関わりを持つことはない、いわばけじめの役割もある。受けた愛情や心理的損害を金額で表すことに本来無理があるのだが、それでも終止符を打って次へ行くには妥当なところで決めなくてはならない。

高価な贈り物を貰って嬉しいという人は自分がそれに相応しい、自分の価値の体現と思うから嬉しいのだろうか。それは送り主の愛を目で確かめたいということなのか、未知の世界なのでよく分からない。そうそう、婚約指輪は無駄な買い物だったがプロポーズの言葉の代用品としてそれなりに嬉しかった。来月の引き落としを自分が見るかと思うと急に現実的になったりするのだが、今はお金の管理を任される信頼関係が一番ありがたいと思っている。

逆に愛を得られない分、贅沢な金品で気持ちを埋めようという場合もあるだろうが、いくらか慰めになっても虚しさはついて回るだろう。お金には匂いがあるのか不思議とたかってくる人が現れて、コスパを考えるとどうしてこの金額になるのか理解し難い支出が生じる。だから金遣いの荒い人が必ずしも豊かな生活をしているとは限らないわけで、靴下一足買うにも領収書が必要だったり決まった店で買い物しなければならないのも気の毒だと思う。税金対策と言って放蕩したかと思うと、すっテンテンで自己破産からやり直すようなジェットコースター人生では、いっそ愛情や食べ物の味なんか分からない方が幸せかもしれない。

先日、馬鹿馬鹿しい悪夢を見た。何かの違反をやらかした私は別室に入るように言われ、そこでゲーム機をあてがわれてクリアしたら釈放するとの指示。コインを入れるところに500円玉が半分ささっており、まぁいいかとそのまま突っ込んだら「それはあなたのお金じゃないですね!」と。汗びっしょりで目覚めて「セコい事しちゃったなぁー」としばらく引きずってしまう。お金の前には自分がいかに無力か、改めて意識した夜だった。甚だ心許ない。



花も紅葉もなかりけり

朝夕がひんやりとして少しずつ秋の気配。 

平安時代の和歌や文学を目にすると、貴族階級は本当に優雅で生活感がない。公務もあれば親戚の付き合い、日々の儀式もたくさんあったろうが、本気か戯れか今に残る夥しい恋の歌。恋をしないなんて生きている意味がない、人として信用できないくらい当時の貴族社会では内面が重要に考えられていたかもしれない。

時代が下って鎌倉時代に入ると、新古今和歌集の「三夕の歌」のように季節をしみじみ歌う歌が評価されていく。戦乱や災害による命の儚さや、人心の荒みを目にしない日はなかったからだろう。

「さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮)

「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)

「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)

しっぽりとうら寂しい静かな風景でありながら、「色」「心」「あはれ」「花」「紅葉」のキーワードに、満開の桜や色鮮やかな紅葉、ひいては心浮き立つ美しいものときめくものへの恋慕が隠されている。やがてひんやりとした夕闇に紛れ、漆黒に消えていく寂しさの中に、人は自分の思いを落とし込むのだろうか。

僧侶の身だし、あるいはもう歳だし、男も女もないけれど、夕闇の中ではかつて確かに存在したものと対話できる。そこでは見えないものが人を人として保たせてくれており、決して退廃的ではない。



2021年9月9日木曜日

気持ちの良い返し方

 遠い昔のある日、左手で子どもを抱えベビーカーと荷物を右手に持って駅の階段を降りようとしていた。60歳くらいの女性が満面の笑みで持ちましょう、と言ってくださったのに、大して負担も感じなかったので大丈夫ですと断った。すると逆に「なんで?」と聞かれてしまい、気を悪くされたのかとますますどう返して良いか分からなくなってしまった。今なら「いえ、そんなお声かけしてもらったことがないので。じゃあお言葉に甘えて」くらいのことは言えると思う。そこは20年以上も経て五十路女の厚かましさであるが、たとえ同じ状況でも「なんで?」とは聞かないつもりだ。厚かましくなっても上から目線でものは言いたくない。

なぜこんな事を突然思い出したかと言うと、ベビーカーを持って新幹線のホームに向かう階段を登っていた女性に声をかけなかった自責の念をずっと抱えている、という男性の投稿を今日読んだから。その男性に言いたい。自意識過剰なのはあなたで、その人は全っ然気にしてないからと。

その一方で、手伝ってもらう機会が多ければ手伝う機会もあり、スマートな声かけや見習いたい態度も身につくと言うもの。若い頃母親に「お陰様で」という便利な言葉を教えられて、何度もこの言葉に救われた。好意であろうとなかろうと褒められた時などに、とりあえず何でも前置きでつけておくと、そこはかとない謙虚ムードが漂い好印象を与えてくれる魔法の言葉だ。

いつか読んだ比較文化の本で英語にも敬語の概念があるのだと知った。実際には丁寧語の範疇ではあるが、命令形にpleaseをつけただけと、Would you mind〜?では秘書の態度が全く違ったというエピソードだったか。同じことを伝えるにも受け手がどのように感じるかで反応が大いに違うのは万国共通だし、お互いに満足のいく結果を生むためには表現力は重要だ。

今日の夕刊に「悩める若者に生きるヒント」と題して、慶應大の田村次朗先生による「交渉学」の教育現場での実例が載っていた。交渉学は交渉術と違って、「相手と対話して問題解決をするための学問」なのだと。私と同様、表現力に乏しい我が息子たちにもぜひ学んで欲しいと思い、記事を写真に撮ってメッセージで送った。




2021年9月3日金曜日

La vita è bella.

 祖母の住んでいたサービスつき高齢者住宅には1号館と2号館があって、ケアの必要度に応じて棲み分けることができる。はじめに祖母が入った2号館は食堂と別棟になっていてお風呂は共同、基本的には賃貸ワンルームマンションである。トイレとミニキッチンが付いていて、洗濯や買い物サービスも頼めるしホーム主催の花見や日帰り温泉ツアーなど盛り沢山だった。我が家はまず母方の祖母が入居して、数年経って父方の祖母も入居したからオーナーは息子の代になり20年以上ものお付合いになった。

母方の祖母は人見知りで知らない人とは喋らない性格だった。その祖母にどういう訳か大変ご執心な入居者がいて、オーナーを通じて娘の母に「お母さんとおつきあいさせて欲しい、結婚とかを考えているわけではないので」と熱心に言ってこられたとか。肝心の祖母は全然その気でないらしくロマンス成立に至らなかった。女性として祖母の何が良かったか知る由もないが、強いて言えば豊満体型でご飯を美味しそうに食べる姿が可愛かったからかもしれない。

祖母が亡くなって主人のいない部屋のチェックに行ったら、袋入りせんべいやキャラメルの箱がいくつも出てきて、つい最近まで買い物サービスで買ってきてもらっていたと分かった。そうした買い物は金銭出納帳にすべて書き入れられており、下着・タオル・ティッシュペーパーなどのストックのチェックは頻繁になされていた。新聞は読んでいたかは定かではないが、きちんと折り畳まれて紐で縛ってあった。

いよいよ老衰で体が利かなくなった時には看護スタッフに「入院はしたくない。延命措置はしないで欲しい。何かあっても救急車は呼ばないで」と伝えていたそうだ。なんでも母におんぶに抱っこの暮らしだったから性格も甘えん坊なのかと、祖母のことを誤解していた自分が少々恥ずかしくなる。自分の意思をはっきりとさせ、冷酷にも的確に人に指示を出す女主人の姿が浮かび上がった。時にそれに翻弄される家族がおり、またハートを射抜かれる男性もいたということ。La vita è bella.(1997 伊ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演より)

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...