2021年9月9日木曜日

気持ちの良い返し方

 遠い昔のある日、左手で子どもを抱えベビーカーと荷物を右手に持って駅の階段を降りようとしていた。60歳くらいの女性が満面の笑みで持ちましょう、と言ってくださったのに、大して負担も感じなかったので大丈夫ですと断った。すると逆に「なんで?」と聞かれてしまい、気を悪くされたのかとますますどう返して良いか分からなくなってしまった。今なら「いえ、そんなお声かけしてもらったことがないので。じゃあお言葉に甘えて」くらいのことは言えると思う。そこは20年以上も経て五十路女の厚かましさであるが、たとえ同じ状況でも「なんで?」とは聞かないつもりだ。厚かましくなっても上から目線でものは言いたくない。

なぜこんな事を突然思い出したかと言うと、ベビーカーを持って新幹線のホームに向かう階段を登っていた女性に声をかけなかった自責の念をずっと抱えている、という男性の投稿を今日読んだから。その男性に言いたい。自意識過剰なのはあなたで、その人は全っ然気にしてないからと。

その一方で、手伝ってもらう機会が多ければ手伝う機会もあり、スマートな声かけや見習いたい態度も身につくと言うもの。若い頃母親に「お陰様で」という便利な言葉を教えられて、何度もこの言葉に救われた。好意であろうとなかろうと褒められた時などに、とりあえず何でも前置きでつけておくと、そこはかとない謙虚ムードが漂い好印象を与えてくれる魔法の言葉だ。

いつか読んだ比較文化の本で英語にも敬語の概念があるのだと知った。実際には丁寧語の範疇ではあるが、命令形にpleaseをつけただけと、Would you mind〜?では秘書の態度が全く違ったというエピソードだったか。同じことを伝えるにも受け手がどのように感じるかで反応が大いに違うのは万国共通だし、お互いに満足のいく結果を生むためには表現力は重要だ。

今日の夕刊に「悩める若者に生きるヒント」と題して、慶應大の田村次朗先生による「交渉学」の教育現場での実例が載っていた。交渉学は交渉術と違って、「相手と対話して問題解決をするための学問」なのだと。私と同様、表現力に乏しい我が息子たちにもぜひ学んで欲しいと思い、記事を写真に撮ってメッセージで送った。




どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...