2022年7月21日木曜日

育てたい願望と育児力

 たまに朝電車に乗ると職場や学校へ向かう人の若さよ!もちろん同年代もいるにはいる。見た目は若さを求められても発言は年齢相応でなければならない、上から下からの目線が気になる50代。体力は年々衰えるのに、精神は全然成熟しないで時間だけ経ったような気分なのは私だけか。もう次世代が主役になっていることを自覚せよってね。

新聞で不妊治療者に向けた特別養子縁組の告知についての記事を読む。(「産みたいのか、育てたいのか 不妊治療と特別養子縁組」日経新聞2022年7月21日 ) 2022年には693件の特別養子縁組が成立し10年前と比較して約2倍の増加という。法的にも実子扱いとなる制度であり、子供の福祉の向上にも喜ばしいことだ。特別養子縁組を希望するほとんどの夫婦が不妊治療経験者とのことで、制度の情報提供はまさにピンポイントといえる。ただ記事にもあるが養子縁組が一般的とは言えない日本では誤解や偏見があり、夫婦の子育て願望を満たすのではなく、あくまで子供のための制度であるという理念が容易に伝わらないという。

日本の体外受精件数はダントツの世界一であり実に年間45万8千件を超える。2位の米国と人口比に合わせて換算すると6倍の件数にも関わらず、2019年の統計で出産率は日本13%、米国25%。世界平均20%を大きく下回るのは、体外受精実施開始年齢が平均40歳と米国に比べ6、7年遅いことが関わっていると言われる。加齢による卵子の質の低下は出産率に大きく影響し、また染色体異常の発生率も高まる。出生前検査で染色体異常の可能性が指摘された場合約9割の夫婦が人工中絶を選択しているのが現状だ。不妊治療の保険適用枠の拡大で多少数値は上向きになるかもしれないが、開始が遅れるほどに身体にも懐にも国庫にも負担がかかることがさらに浮き彫りになった。

自分の遺伝子を持った子を授かるために、何年もの月日と多額の治療費を費やし、それが叶わなくても子育てがしたいと意見が一致する夫婦。これってすごいことじゃないかと思った。夫婦のどちらかが積極的でなくて夫婦関係がおかしくなり離婚するとか、治療スケジュールのために離職したり、繰り返す体外受精で身体と精神をやられたりなんて話は山ほど聞くのに。

もちろん上手くいくケースばかりではないだろう。既に年齢も高くなっているから経済的、体力的にも子供が成人するまで支えられるか見極めなければならない。どの段階で子どもの出自を本人にどう伝えるか等、普通の家族にはない難しい問題だってある。母の知り合いで里子を育てている家庭があったが、その子がどういう訳か里親によれば大変粗野で、生みの親の性格だろうかと悩みを漏らしていたそうだ。先天的な性格か環境によるものか、あるいは病気かも分からないが、家庭内外の暴力に苦労されていたという。そうなると夫婦の関係もまた微妙になるのが容易に想像できる。

血を分けた腹を痛めた我が子であっても、おチビがしっかり自己主張するようになると途方に暮れ、自分もそうであったのかなと親を思い、鍛えられるなぁと涙する。そうやって未熟ながら親にしてもらってきたというのに、望んで子育ての苦労に挑もうという夫婦がこれだけいるのにただ脱帽する。愛情深く、自然を愛し、暮らし全般に大らかでこだわらない性格の人だろうかと想像してみたりする。






2022年7月16日土曜日

望まれて生まれる

 少子化が深刻化していると言われるが、現代女性の自己実現という点では妊娠・出産・子育てはしないほうが得。とも言い切れないのは、やはり生身の肉体を知るほどに感じるところだ。少し不謹慎になるが条件さえ整えば、本能的に女性の身体は子を産み育てたいようにできている。本能とはすなわち何かに突き動かされ、従うほどに気持ちが良いということだ。

あんなに苦しい痛い思いをしても、もう一回してもいいかなという人は多い。それは辛さを差し引いてもあまりある幸福感と快感があり、生と死の狭間に広がる花畑の芳しい香りを嗅いでしまったらそれ以上の快感はそうそうないからである。パートナーへの愛とか母性の目覚めとか脳みそで考えるような浅いものは完全に凌駕する。子供を産んだばかりの女性の可愛らしさキラキラ感はその辺にあるのだと思う。

条件が完璧に整わなかった場合でもそこそこの幸福感や満足感が得られるから、極端に不幸な状況で暴力下にある女性は例外として、育てられもしないのに次々産んでしまう事態が発生するのではと思う。健康な身体であれば性的な快感と言われるものも擬似的に過ぎず、形を変えいくら追求しても到達しようがない、そういうものではないだろうか。

もちろん今でも出産で命を落とす人もいれば、産後うつが重い女性も少なくない。夫の職場で奥さんが産後うつで育児休暇を取ったものの改善せず、退職を選んだ男性がいた。保育園に入れたら復職するのだろうが晩婚だと実家も高齢で助けも期待できない。産褥期という言葉があるが、それが終わると本能的な幸せ感は消えるし今日だけお腹に戻ってくれんかな?と思うほど延々続く子育てが待っている。

大昔、飢餓や戦いがあれば女性も狩猟や殺し合いに参加しただろうし、そういうときは自然に排卵が止まるから産み控えが生じたはずだ。天候が穏やかで食べ物が豊かに実り、平和な日々が続けば動物も人も繁殖する。今いくら人口を増やせと言われても、世の中が荒れていては戦わないと自分の生命が脅かされる。

太古の昔に戻るわけにもいかないが千年や二千年で身体の作りが変わる訳ではない。若い女性は自分のことを知りつつ自己実現して欲しいし、男性も幻想の中で勝手な女性像を作らず共に仲良く生きて欲しい。望まれて生まれてくる人が世の中にあふれますように。

2022年7月9日土曜日

ニュータウン40歳

 この町に引っ越してきた頃のことをふと思い出した。トラックから荷物を下ろすや見知らぬおばあさんが町内会費をもらいに来た。名乗りもせずよろしくの言葉もなく、ただ必死に集金の義務を果たしたい一心なのだ。のちに何がどう伝わったのか夫が電機メーカーに勤めていることを聞きつけ、突然やってきて「テレビを買いたいんやけど、なにがいいかしらね」って、うちは電器屋じゃないんだけどね。

ご近所をタオルか何か持って挨拶に回った翌日、興味津々のどっかの奥さんが「新婚さん、じゃあないのよね?」と謎の質問をしてくる。全く意味不明で何を期待しているのか頭がぐるぐるする。ふと「若くて庭付き一軒家に住んでたら嫌味を言ってくる人がいるから、いずれ同居するために親が買ったんですって言っときなさい」と母が忠告してくれたのを思い出した。前は公団に住んでいて新婚じゃなくてそのうち親と同居する、と言ったら満足そうに帰っていった。

近所の見知らぬお爺さんが亡くなったというので、「お香典1000円ずつね」と言われてまとめ役の奥さんに渡し、夕刻お通夜へ葬儀場まで連れ立って歩く。見知らぬ遺影にお焼香して帰る。後日白いハンカチだったか粗品が郵便受けに放り込まれている。

同じ頃一斉に家を建てて15年、ローンも残っている家を売って引っ越すケースはまだ珍しかったのかもしれない。前のオーナーの場合は、奥さんの父親とご主人が共同名義で購入しご主人がローンを組んでいた。ご主人は脱サラして大阪の画材店の経営を手伝うことになったようで引っ越し先は大阪市内のマンションだった。内覧するとタンスなど家具や古い家電がぎっしりだったから引っ越しは大変だったろう。15年というには内装は傷んでおり、リフォームせずに住みはじめると毎日どこかを直さねばならなかった。

1年半ほどの不妊治療を経て長男が生まれると、観光ボランティアで一緒だったお金持ちマダムが「孫が使ってたんだけどもらってくれるかしら〜?」と古びた安物の樹脂製ベビー椅子を高級車に載せて無理やり置いていった。粗大ゴミの処理と思われたら嫌だったのか「庭の紫陽花なのよ」と切花が添えてあり、見るとウチで咲いているのと同じ種類でおまけに外壁塗装の白いペンキが葉っぱに付いている。

他人に古いものをあげるとき、つい喜ばれると確信してしまうのが落とし穴。少子化の時代に親や祖父母からベビー用品を買う楽しみを奪うこと、古い道具が原因で事故が起こった時までを想定することは困難だ。自分の中で10年はあっという間でも若い人にとってはどうだろう。出産祝い品として可愛らしくデコレーションされた「おむつケーキ」なるものが売られているのを知っているだろうか。消耗品でかつ甘いお菓子など産後の身体に影響を及ぼすこともない、思いやりにあふれた贈り物である。

件の椅子は触っているうちになんと簡易ベッドにもなることが分かり、赤ん坊を風呂からあげてタオルで拭きおむつを当てるのに大変役に立った。重くかさばるがそこは日本製、安全基準は満たしている。何年かしてご自宅の前を通ったら、その素敵な洋館は空き家になっていた。

長男をベビーカーに乗せてすぐ近所のスーパーへ買い物に行ったら、まもなく閉店の張り紙がしてあった。品揃えは悪いけど卵とか足りなくなったとき便利だったのになぁと思って見ていると、お婆さんが目に涙をためて「困ったわ。これからどうしましょう」と嘆いていた。

先日交番の巡査さんが地域の調査だと言ってやって来た。日に焼けて色の変わった台帳を繰って今住んでる方の家族構成はと聞くから、最低でも25年は回って来ていないことになる。25年といえば四半世紀で、住宅地ができてもうすぐ40年。私もいつの間にやら相当辛気臭くなっているような...





2022年7月7日木曜日

懐かしいSFの世界へタイムスリップ


 今週から放送の、ご存じ星新一ショートショートのTVドラマを連日見ている。星新一は中学の図書館にたくさん置いてあって、よく借りては読んでいた。国語の課題で読書ノートを提出することになっていて、締切ギリギリになると手っ取り早く読めるものをというのもあったが、電車の10分、20分と乗り換えの多い通学のお供にもぴったりだった。

よく覚えているのは『妄想銀行』(新潮社 1978)収録の「味ラジオ」。この話のファンは結構多いみたいで検索するといくつものブログがヒットした。近未来、栄養バランスの取れた味のしないパンを食べる人々。ラジオからは「味」情報が放送され、人々は奥歯に仕込まれた受信機で味を楽しむ日々を過ごしている。

あって当たり前のインフラとして味情報を享受していたある日、突然放送局から情報が届かなくなってしまう。人々は落ち着きを失ってパニックを起こす。しばらくして放送局の機械の故障が原因とわかり、まもなく放送は再開となる。

ブラックユーモア、近未来SFなら筒井康隆がその後継となる。『にぎやかな未来』 (三一書房 1968)巻末の解説が星新一なのですね。広告宣伝が増えすぎて騒音に悩まされる近未来、好きな音楽でも効いて気を紛らわせようと店に入れば、最も高価なのは静寂を生み出す無音のレコードという皮肉。なんでやねん、ちゃんちゃん。

もちろん50年経てば「こうはならなかったよ」という予想もいっぱいある。少なくとも人口が過密になって生活の質が落ちる予想は外れ、今は人口減による将来の不安がある。世界の人々がSNSでリアルタイムにつながって意見交換するようになっても、孤独はなくなるどころか不安感と共に増大しているようにも思える。

気がつけば生まれて50余年、あっという間に過ぎたしこれからもあっという間なんだろうと思う。昔の人が身近に感じられたら歳をとった証拠なのかもしれないし、感覚が鈍るのも孤独に耐えうるための能力とも言える。どこにも行かなくても時間は過ぎていき、周りはどんどん変わっていく。次が知りたければ、生きるしかない。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...