2022年7月7日木曜日

懐かしいSFの世界へタイムスリップ


 今週から放送の、ご存じ星新一ショートショートのTVドラマを連日見ている。星新一は中学の図書館にたくさん置いてあって、よく借りては読んでいた。国語の課題で読書ノートを提出することになっていて、締切ギリギリになると手っ取り早く読めるものをというのもあったが、電車の10分、20分と乗り換えの多い通学のお供にもぴったりだった。

よく覚えているのは『妄想銀行』(新潮社 1978)収録の「味ラジオ」。この話のファンは結構多いみたいで検索するといくつものブログがヒットした。近未来、栄養バランスの取れた味のしないパンを食べる人々。ラジオからは「味」情報が放送され、人々は奥歯に仕込まれた受信機で味を楽しむ日々を過ごしている。

あって当たり前のインフラとして味情報を享受していたある日、突然放送局から情報が届かなくなってしまう。人々は落ち着きを失ってパニックを起こす。しばらくして放送局の機械の故障が原因とわかり、まもなく放送は再開となる。

ブラックユーモア、近未来SFなら筒井康隆がその後継となる。『にぎやかな未来』 (三一書房 1968)巻末の解説が星新一なのですね。広告宣伝が増えすぎて騒音に悩まされる近未来、好きな音楽でも効いて気を紛らわせようと店に入れば、最も高価なのは静寂を生み出す無音のレコードという皮肉。なんでやねん、ちゃんちゃん。

もちろん50年経てば「こうはならなかったよ」という予想もいっぱいある。少なくとも人口が過密になって生活の質が落ちる予想は外れ、今は人口減による将来の不安がある。世界の人々がSNSでリアルタイムにつながって意見交換するようになっても、孤独はなくなるどころか不安感と共に増大しているようにも思える。

気がつけば生まれて50余年、あっという間に過ぎたしこれからもあっという間なんだろうと思う。昔の人が身近に感じられたら歳をとった証拠なのかもしれないし、感覚が鈍るのも孤独に耐えうるための能力とも言える。どこにも行かなくても時間は過ぎていき、周りはどんどん変わっていく。次が知りたければ、生きるしかない。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...