2021年2月19日金曜日

こいつぁ春から縁起が良いわぇ

 また受験生の母として1年(であって欲しい)が始まった。旧暦の1月は一年で一番寒く、それでいて日差しは眩しく木々の芽が膨らんで、気もそぞろになりがちな落ち着かない季節。ずっと昔からそうだったんだろうか。コロナの影響で個人的にはほとんど動きのない一年だったけれど、気温の上昇に伴って感染者数も落ち着いていくだろうしワクチン接種の目処も立って、世の中はこれを機にぐんぐん変化するだろうから気をつけないとなぁと思う。

スポーツの祭典オリンピックも委員会会長辞任や新会長選びで大混乱している。新会長の不安材料を指摘する人もあるが損な役回りを引き受け就任した以上、委員会メンバーは全面的に協力して欲しい。ドーピングから性転換やサイボーグ化へ問題が発展し人権の名の下で正当化されるようなオリパラには正直あまり魅力を感じない。それでも東京に招致が決まった時はワクワクしたし、準備にどれほどの税金を突っ込んだかを考えると、どんなにささやかでも開催した方が良いだろう。コースの途中で転けても完走した選手に皆拍手を送るものだし、民主主義国家なら個人の言動や態度に多少時代錯誤的な問題があっても切り捨てるのではなく、都度補正して右に左に揺れながら前進するしかない。ひとりひとりはアホでも公の場ではルールに基づいて行動できる人が選ばれているはずで、何でも許せとは言わないが寛容さも残さないことには言論統制の社会を招き入れてしまいそうで怖い。

良いことがあれば吉、悪いことがあれば厄落としと気持ちを切り替えて春を迎えよう。

「こいつぁ春から縁起が良いわぇ」




2021年2月12日金曜日

執着の縛りを緩める

 黒沢清監督の『岸辺の旅』(2015年日本・フランス合作)を観た。原作の小説は湯本香樹実によるもので、代表作は『夏の庭』になるだろうか、これも映画化されている。

3年前に失踪した夫の優介が突然、妻の瑞稀の元に帰ってくる。優介はすでに死んでいるのだが、失踪の3年間に世話になった所を訪ねる旅に一緒に行こうと瑞稀を誘う。そこには生と死、彼岸と此岸のあいだに立ちすくむ人たちがいて、やがて思いを伝え、あるいは諦めて彼岸へ旅立っていく。

伝えたかった思いが死によっていつまでも凍結されてしまって、抜け出ることができない苦しみ。親しい人の死を受け入れられなかったり、その死が自分のせいだと責めたり。もしも彼岸の岸辺で死者と出会い、ひとときを過ごすことができたならどんなに心が救われるだろう。

根本は愛情であるはずなのに、いつの間にかエゴや執着が湧き出してイバラのように絡みつく。シンプルにその人を愛するなら、その人がその人らしくあることを願うはずなのに。能楽の世界なら執着に苦しむ人間は鬼に姿を変え、その面には怒りと悲しみが混在する。

映画ではその執着も醜いものとは捉えず、むしろ人間らしいとして寛容に受け止める。結界の向こうにも思いは通じるし、肉体のあるなしも実は大した差はないのかもしれないが、時には何か確信が欲しくなる。彼岸は遠くない、死は沈黙ではないと。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...