2021年2月12日金曜日

執着の縛りを緩める

 黒沢清監督の『岸辺の旅』(2015年日本・フランス合作)を観た。原作の小説は湯本香樹実によるもので、代表作は『夏の庭』になるだろうか、これも映画化されている。

3年前に失踪した夫の優介が突然、妻の瑞稀の元に帰ってくる。優介はすでに死んでいるのだが、失踪の3年間に世話になった所を訪ねる旅に一緒に行こうと瑞稀を誘う。そこには生と死、彼岸と此岸のあいだに立ちすくむ人たちがいて、やがて思いを伝え、あるいは諦めて彼岸へ旅立っていく。

伝えたかった思いが死によっていつまでも凍結されてしまって、抜け出ることができない苦しみ。親しい人の死を受け入れられなかったり、その死が自分のせいだと責めたり。もしも彼岸の岸辺で死者と出会い、ひとときを過ごすことができたならどんなに心が救われるだろう。

根本は愛情であるはずなのに、いつの間にかエゴや執着が湧き出してイバラのように絡みつく。シンプルにその人を愛するなら、その人がその人らしくあることを願うはずなのに。能楽の世界なら執着に苦しむ人間は鬼に姿を変え、その面には怒りと悲しみが混在する。

映画ではその執着も醜いものとは捉えず、むしろ人間らしいとして寛容に受け止める。結界の向こうにも思いは通じるし、肉体のあるなしも実は大した差はないのかもしれないが、時には何か確信が欲しくなる。彼岸は遠くない、死は沈黙ではないと。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...