2022年2月23日水曜日

着て見て触って織物の世界

 二代目龍村平蔵(光翔)著『錦とボロの話』(1967学生社 2018増補普及版)を入手する。長らく紙の本を定価で買うことがなかったので、私としてはちょっとした贅沢だ。読んでみると随筆、専門書、回想録を交えたようで、何かと楽しめた。

前半は仏教伝来までの原始・古代日本の繊維技術史が占めており、日本神話に出てくる絹織物や人形埴輪の着衣、『魏志』倭人伝で卑弥呼が賜った織物に関する記述の考察などが美術史家らしく感性豊かに書かれる。出版から50年以上経ち、考古学や古代史研究も進んで当時の推察がいくつか塗り替えられた点は仕方のないことだが、歴史の中で文化が伝播し発展する大きなうねりを捉えるのは文献や写真だけを追っていても不十分なのだろう。

初代龍村平蔵は若くして呉服商となり30代で「高浪織」や「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得、龍村の帯は一大ブランドを獲得。その一方で品質の悪い模倣品が大量生産されて訴訟に明け暮れ、結果ほとんどの権利を西陣織物組合に寄贈した。龍村が古代裂の復元という新開拓を試みる背景には、努力が報われぬ悔しさがあったのだ。

先日、結構昔からあるショッピングモールへ行ったら呉服屋が無くなっていた。私がこの地域に来た二十数年前は、既に年配の人でも冠婚葬祭かお稽古の時ぐらいしか着物を着なかったと思う。若い人はそれこそ花火大会の時の浴衣と七五三、あとは成人式と結婚式で着る人があるくらい。それでもそこそこ需要があったから最近までお店を畳まずにやっていたのだ。

今や着物は贅沢な民族衣装、裁断して小物に使うくらいだが、日本人が毎日着物を着ていた時代、正装はもとより訪問着に普段着、寝巻きにいたるまで着物に帯だった。

伝統芸能では所作の全てが着物でないと成り立たないのに、着物が非日常になれば自動的に伝統も遠のいてしまう。またどんなに美しい織物でも美術館に展示してあっては感動が薄い。祇園祭ではタペストリーまでも山鉾に垂らし動かして鑑賞するくらい、使ってなんぼのものなのだ。舞妓さんのだらりの帯もふらふら揺れるから魅力的なのだろうし、日本人なのに暮らしの中で着て触って分かる良さみたいなものと無縁で終わるんだなぁと寂しくなる。どう考えたって着物のある暮らしをする必要性も願望もない、にもかかわらずである。



2022年2月19日土曜日

蘇る記憶・新しい出会い

息子の進学先がようやく決まり、入学手続きを進めている段階である。受験勉強も終わって部屋の整理を強制的に始めさせたら大量の資料やらプリント類が出てきて、古紙回収に出すためにいくつも束を作った。思ったほどノートが出てこなかったのは書く字が小さいせいなのか、今時の子はあまりノートを使わないのか、ちょっと分からない。

教科書については一気に捨ててしまわずに少しずつ流し読みして処分していくつもりだ。中には本当にずっと残しておきたいような楽しい資料集もあっていい娯楽になる。3年前教科書販売の日も息子と高校へ行って制服の採寸などしたけれど、もう10年くらい前のような気もする。逆に小学校入学の方が鮮明に覚えており、しかしそれが長男だったか次男のものであったか私の記憶は常にいい加減なのである。

子供の成長と共に自分の記憶が呼び覚まされて、封印していた思い出が蘇ることがある。早春の冷たい空気と明るい日差しや土の匂いが脳を刺激するのだろうか、すっかり忘れていたほんの小さなことまで。

学生の頃、親しくしていた友人の研究発表のレジュメを見せてもらったことがあった。美術史が専門だけに写真を多く使った図録が付けてあり、そこには古い特徴ある紋様の織物がいくつか並んでいた。円のなかにまた小さな円が紋様を取り囲むように連なって縁取る(連珠円紋)その中心には目玉が大きく髭の濃い男が羽の生えた馬に乗って弓を引いており、至近距離に飛びかかるライオンの姿がある。その図案が左右反転して対になり、さらに左右入れ替えて上下合わせて4パターンが円の中に収まっている図案だ。ササン朝ペルシャ文化の影響を強く受けて唐代の中国で制作されたものという。

これが「シシカリモンキン」だと教えてもらったがどんな字を書くのか咄嗟に思いつかず、「獅子狩文錦」と知ったのはしばらく経って法隆寺所蔵の文物の図録を見た時だった。友人はのちに染織工芸史の研究者となったが、その原点となった動機は何だったのだろう。宝塚歌劇が好きで英国趣味で恋愛はしないと言った彼女が、一生を懸けるほど好きになった染め織物とは。

国宝・四騎獅子狩文錦は法隆寺の夢殿に救世観音と共に納められていた。著名な帯織物商の初代・龍村平蔵による復元でその制作過程などの研究が進んだ。染織家の吉岡幸雄の工房で職人が3人がかりで1日1cm織るのがやっとであったというから、古代の美へのこだわりと探究心にただ驚くばかりである。(初代の伝記的小説には宮尾登美子の『錦』がある)

さらに西本願寺の大谷探検隊がトルファンから持ち帰ったミイラ顔布の裂(花樹対鹿錦)が、この四騎獅子狩文錦と同じ工房で制作されたと考えられており、二代目龍村平蔵が復元を試みた。自著『錦とボロの話』(1967学生社) 出版から二年後にNHKの特番でドキュメンタリー「幻の錦」制作、演出家が文章にまとめたものが中学の教科書(教育出版「中学国語三」1975)に掲載される。

友人は特番を見たりこの教科書を使った年代ではないが、その後しばらく続いたシルクロード熱の時代に何らかの出会いがあって研究を志したのかもと勝手に想像してみる。あのとんでもなく贅沢な錦は、世界の文化と富を集めて燦然と輝いていた隋唐時代の中国を凝縮したような存在であり、その中で最高級のものが日本に残っているというだけで感動ものだ。

老いても生きていればその先にも出会いがあり、またその契機が自分の記憶の中にもあるすれば、それはそれで楽しみだと思えてくる。




2022年2月9日水曜日

素直な気持ち、不本意な選択

 山田洋次監督82作目の『小さいおうち』(2014年)を観る。いい映画を観たなとすっかり満足したので、気に入ったけれどもう原作は読まなくていいなと思った。原作の小説と映画が全く違ったものになっていて、小説のファンが違和感を感じるなんてことはよくあるから。もっとも今回は映画を先に見ているから逆になる。それに原作が『futon』や『長いお別れ』の中島京子と気づいて、記憶に湯気が立っているうちに電子書籍『小さいおうち』(2010年 文藝春秋 )をスマホに入れて読むことにした。(未読の方にはネタバレ容赦願います)

小説はやはり映画以上のエピソードを含んでいたし、戦前戦中の取材に多くの力を注いだことが想像できた。もちろん誤った記憶や創作の部分も含んでいるだろうが、80年前の出来事が今現在起こったとしてもあまり変わらない感覚なんだろう、世界は人は何も変わってなかったと感じた。疫病や災害から資源の奪い合いが始まり戦争が起きるという、大昔から常識だったことを私たちはこの2年間でようやく思い出して焦っている。

映画では人の惹かれ合う、あるいは触れ合いたい気持ちを控え目に表現している。盛りだくさんな原作に比べ、男性目線で分かりやすく単純で、多くの人に好まれる作品に仕上がっていると思う。小説ではタキちゃんが女中としてのプロ意識の中で奥様と板倉氏の関係をどう扱うかについて悩み、その根底には奥様へ憧れ以上の恋愛感情が存在する。また再婚相手の今の旦那様は女性に興味がないタイプとか、女学校時代の友人も性的マイノリティだったり単純ではない。

そうだ、誰だってグレーな部分を持ちあわせている。何が正しいとか間違っているとか、公に主張したり、逆に第三者に糾弾されるようなことのない寛容な社会が、かつてあったということだろうか。按摩をしたりその手を温かいと感じたりといったことも、肌が触れ合うという点では延長線上に性があることを否定できない。気が合って一緒に住みたいと思う人が同性であればどうだろう。心を通わせて語り合いたい人が既に結婚していたら。やはり秩序のため、どこまでが性的でどこまでがノンセクシュアルなのか社会通念に基づいた倫理観で決めなければならないのだろうか。

グレーだから全部いいとは思わないし、セクハラや不倫をすすめている訳では無い。ただもう少しだけ人間らしく、窮屈にならないで生きられないものかと思う。お互いの監視に怯えて不本意な選択を強いられることなく、素直に暮らすことを誰もが望んでいるはずだ。




どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...