2020年4月27日月曜日

白い木の花

晩春から初夏にかけて木の花が盛んに咲いて新緑に映える。我が家には白い花をつける草木が多く、ウメ、ハナミズキ、小手鞠、鳴子百合、ドウダンツツジ。

ドウダンツツジは漢字で書くと灯台躑躅。枝分かれしている様子が明かりを灯す台の脚に似ていることから名付けられたとも。小さくプクッとふくれた花が細かな葉の間からこぼれるように下がって愛らしい。引っ越してきた時は瀕死の状態で枯れかかっていたが毎年少しずつ復活してきた。秋には真っ赤に紅葉し、葉が落ちると茶色い実がパチンとはぜるなど一年を通じて楽しませてくれる。

昔住んでいた家にはこれの大きな木があって、低木ながら存在感があった。
昔はマイホームを建てて、庭に高価な庭木を植えるのが一種のステータスであったのだろう。ダム建設で補償金をもらった農家が建てた家というのも近くにあって、庭木の数々はもちろんのこと立派な灯籠に巨大な庭石やらビーナス像まで所狭しと並べてあった。見たのはランドセルをカタカタいわせて歩いた通学路と記憶しているが、なんとも言えない趣味だった。

我が家にもツツジやモクレン、ヒイラギ、ヤシの一種、コノテヒバなどもっと木が植っていたが手狭になったり手入れが大変なので切り倒した。植木屋に頼むのがもったいないのに庭木を植える資格などないのだと、ブツブツ言いながら一人で切り倒した。
別に植木屋を入れたい訳では全くないのだが....

2020年4月14日火曜日

鴛鴦の契り久しからず

広辞苑によると
えんおう‐の‐ちぎり【鴛鴦の契り】ヱンアウ‥ 夫婦仲のむつまじいことのたとえ。おしのちぎり。御伽草子、浦島太郎「互に―浅からずして」
語源は唐の時代の漢詩撰で、仲睦まじい夫婦が死んでそれぞれの墓に木が生え絡まり合ったところへオシドリが巣を作って鳴き交わしたという言い伝えを取り上げたとか。よっぽど水辺にお墓を作ったものですね。

オシドリは雄の姿が派手なのでつがいでいると目立つことから仲睦まじい夫婦の象徴とされてきました。立教大学の鳥類学/動物行動生態学の上田恵介先生によると、実際には夫婦でいるのは繁殖期の前につがい形成をする1~3月までと、繁殖期である4~5月の間で1年のうちせいぜい5カ月ほど。しかも毎年パートナーを変えるんだそうで一生添い遂げることはないそうです。参考:本当は仲睦まじくないオシドリの夫婦から学ぶ「婚姻」の意味|動物たちの恋愛事情vol.2

ガン、ハクチョウ、ツル、オウム、ワシ、カモメ、ペンギンといった大型で長生きの鳥は生涯連れそうタイプが多いそうですが、ほとんどの種でよりよい遺伝子を残すためにメスが浮気をしているとか。
参考:『鳥の不思議な生活――ハチドリのジェットエンジン、ニワトリの三角関係、全米記憶力チャンピオンvsホシガラス』(ノア・ストリッカー著、片岡夏実訳、築地書館)


例外中の例外としてアホウドリは一夫一婦制を貫くそう。だいたい20歳前後まで生き中には60歳を超えて生きた記録もあります。全長100cm羽を広げると最大240cmという大きく美しい鳥。人を警戒しないことからこんなおバカな名前がついたのは残念ですね。
改名の動きもあって長崎で呼ばれる「オキノタユウ」も有力候補だとか。
是非将来、アホウドリの契りではなしに「沖太夫の契り」として広辞苑に載せてほしいものです。


なぜヒトは繁殖能力を失っても生きるのか

地球上の生物でヒトは繁殖能力を失っても長生きする極めてまれな生物だ。
チンパンジーもゴリラも寿命の終わり近くまで子を産み育てることができるというのに、ヒトの女性の繁殖期間のなんと短いことか、嘆かわしい。

今のところ、閉経後も長く生きる生物はシャチなど一部の海洋哺乳類に限ることがわかっている。シャチはオスが50歳くらいで寿命を迎えるのと対照的に、メスは40歳くらいで閉経し、90歳くらいまで生きるものもいるという。調査では孫の面倒をみる習性が数多く確認されており、閉経したメスのいる群れは子供のシャチの生存率が高いという。

生物学の福岡伸一先生(「動的平衡」でご存知の方も多いはず。私にはとても難しいのだけど)によれば、こうした孫育てによる子孫繁栄を目的とするのもヒトの長生きする要素とも言えるが、それだけでは説明が不十分だと言う。

確かに女性の場合、出産・子育て期間に月経が止まることで身体への負担を軽減することができる。母乳育児で乳がんリスクを下げるという研究報告もある。しかし子供を作らないからと言って寿命が短くなることはない。

「ヒトは知能を得て、遺伝子というものの存在を知り、その企みを知った。そして遺伝子の企み熟知した上で、なお、種の存続よりも個の存在が重要だという思考に価値を見出した初めての生物となった。」講談社オフィシャルウェブサイト なぜヒトにだけ「長い老後」があるのか? 生物学者・福岡伸一の答え
結論として、「老いる」ということは自由になること、なんだそうだ。

実家の母は一人しか子供を産めなかったが、二人の孫の成長を見守ることができたのが何よりの幸せと言う。母に自由はあったのだろうか。私はもし叶うなら孫の顔も見たいと思うけれど、自由になる感覚も味わってみたい。

2020年4月11日土曜日

1週間の変化

Covid-19の影響でこの1週間の我が家の変化を書いてみる。

家族以外の接触を極力避ける
夫がテレワーク(リモートワーク)開始
息子の学校がオンライン授業のテスト配信を始めた
布マスクを手作りした
散歩とストレッチを心がけないといけない
やたらと寝るようになった(これは関係ない)
オンライン北海道物産展でお楽しみセットを購入した
三度の食事作りがなかなか負担である(期待されている)
プライベートがない(家は広ければ広いほどいいね)

まだまだ長くなりそう💦

でも食べ物を買えないわけでもなく
住む家もあって
仕事もあって
自宅介護で親を看ているわけでなし
障害のある子が泣いて暴れるのを嘆くわけでなし
病気の子に必要なケアができないつらさもなく
身内がウィルス感染で亡くなった訳でもない
家族がいがみあったり暴力や虐待があったり
無言で冷え切った関係であるわけでなく
お互い思いやって協力しており
これ以上何を望むというのだろう
間接的な影響はそのうち受けることになるだろうが。

この感染症、1日も早く終息してほしい。






2020年4月7日火曜日

庭のハナミズキ

我が家には大屋根を越えんばかりのハナミズキの木が植っていて、一度トーテムポールと見紛うばかりバッサリ切ったにもかかわらず、また数年後同じスケールに育った。
種から育った苗木も、いつのまにか私の背を越えて立派に成長している。

この時期、枝の先々に小さなつぼみをつけて春爛漫の強い日差しを受けている。やがて4枚の白い花弁をゆっくりと大きく広げてくるだろう。

ハナミズキは一説には犬の病気に薬として使われたことから英名dogwoodと呼ばれる。
1912(大正元)年、日米親善にワシントン市に贈られた6000本余りの桜の返礼に、3年後ハナミズキ60本が東京市(当時)に贈られた。この話はいつか、英語の教科書で読んだ。

ハナミズキといえば今から15年前、この花の名前の歌がヒットしたのを覚えておられるだろうか。一青窈(ひととよう)の「ハナミズキ」は2004年のカラオケランキング一位を獲得したとか。10年ほど後に卒業式か何かで息子がクラスで歌うことになって、この曲が9.11アメリカ同時多発テロにインスピレーションされて作られたと教えてもらった。なるほど、歌詞が意味不明で難解な訳である。歌詞(外部リンク

「♪君と好きな人が百年続きますように」の部分がヒットにつながったらしいけれど、
「♫どうか来てほしい、水際まで来てほしい」辺りはやはり子供を残して死んでいく親のイメージが浮かんできて、ぞくっとする。

ハナミズキの木がキリスト磔刑の十字架に使われた、という話はアメリカで出来たに違いないけれど、4枚の花弁を十字に見立て信仰のシンボルツリーとして人々が心の拠り所にしたのは想像に難くない。

木の花の物語。興味深い。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...