2020年5月30日土曜日

オンラインの可能性

COVID-19の影響でリモートワークや大学のオンライン授業が現実のものとなって、早や2ヶ月となる。テレビの番組作りを見ていても、様々な工夫で出演者がスタジオに集わなくてもクオリティを保つことが出来てきたようだ。リモートワークにしても今後様々に問題点が浮上してくるだろうが、職種によっては非常に有効であることも分かった。交通費が要らないだけでも雇い主にとっては喜ばしい限り、可能な限り導入する方向で進んでいくと思われる。

ではオンライン授業はどうか。大学側もできるだけ早い対応でオンライン授業開始に努力したと思うが、自宅でパソコン画面を90分授業を1日何コマも眺めるのは、学びの場として何らかの助けにはなろうがやはり不十分だ。授業料に見合っていないと授業料や、キャンパス内立ち入り禁止で使えない施設利用料の返還を求める声がじわじわと挙がってきている。

国際基督教大学はオンライン授業に迅速に対応したことに加え教養分野が多くを占めることを理由に、学生の署名運動に対し学長が返還に応じないとの回答をしている。一方、芸大・美大など実技あっての分野において学生の不満に理解を示す大学もあり、京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)と東北芸術工科大学は学費の一部返還を決定した。返還金額は数万円程度と全体の授業料に比べれば微々たるものだが、少しでも学生に歩み寄ろうと言う姿勢は評価できる。

アメリカの学生は一部の返済不要な奨学金を貰えるエリートを除いて、年間7万ドル(約750万円)もの授業料をオンライン授業に払う事になる。莫大な学費ローンを抱え、コロナ不況の真っ只中に出ていかねばならない。そんな不安を胸にオンライン授業に集中できるだろうか。いやそんな状況下でも泣き言を言っている場合ではないのだろうが、若い人にとって実に過酷な時代に入った。

いつもの席にあの人が今日も座ってるかな、なんてわくわくして通ったキャンパスはどこへ行ってしまったのか。それくらい復活させてくれよと、心から願う。

2020年5月29日金曜日

鉄道礼讃

前回クルマの曲を集めたので、今回は鉄道の曲を探してみる事にする。
できるだけ湿度高めで指差し確認、出発進行。

鉄道員 (ぽっぽや)- 坂本美雨
浅田次郎の同名小説、高倉健主演の映画より。曲はお父さんの坂本龍一、作詞は奥田民生。

ホームにて - 中島みゆき(高畑充希Ver.)
1977年「わかれうた」のカップリング曲でJR東日本のCM、最近ではサントリーの缶コーヒーBOSSのCM(石巻漁港編)に起用。ノスタルジックながら時代を感じさせず多くの人がカバーしているが、朝ドラ「ごちそうさん」「トト姉ちゃん」でお馴染み、高畑充希の歌がのびやかで良い。もちろん本人が良いのは言うまでもない。

駅 - 竹内まりや (岩崎宏美Ver.)
歌詞のこってり感から若い人が歌う方が良い。中森明菜も歌っていた。岩崎宏美の昔の映像よくアップしてくださった。


世界の車窓から - 溝口肇(カルテットVer.)
あの、あっと言う間に終わってしまう番組のテーマ曲。

中央線 - The Boom (矢野顕子Ver.) https://youtu.be/-i1w92-luVs
矢野顕子が歌うと全部この人の曲になってしまう。夜の車窓が目に映る。
坂本美雨のお母さんでもある。





2020年5月27日水曜日

クルマはあくまでも

運転はかなり苦手意識が強くて全然上手くならないけれど、周りの人の影響でクルマそのものはいいと思うようになってきました。ドライブ中に聴くのはどうかと思うのも含めて、直接車が主役の曲を挙げてみましょう。

Deep Purple - Highway Star (1971)
今も何かといえばかかるけど約50年前の曲なんですね。文句なしに高速かっ飛ばし系。
もちろん女性は乗り物ではないです。
♪ Alright hold on tight  I'm a highway star 〜!!(絶叫)

山口百恵 - プレイバックPart2 (1978)
Part1があったことは最近知ったけど、宇崎竜童のアレンジがかっこいいからどうでも良い。
♪ 緑の中を走り抜けてく 真っ赤なポルシェ 〜

Everything But The Girl  - Driving (1990)
♪ I'll come driving, I'll come driving fast as wheels can turn...

スピッツ - 青い車 (1994)
朝ドラ「なつぞら」の主題歌「優しいあの子」を歌うスピッツのヒット曲。
青い車はFordマスタングをイメージしてるらしいです。青い車って事故率高かったっけ。
♪ 君の青い車で海へ行こう 追いかけた何かを見に行こう 〜

奥田民生 - And I Love Car (2001)
ソニー損保やホンダのFITのCMに使われた。ビートルズのAnd I Love Herをもじってる。
♪ 車はあくまでも快適に暮らす道具 車に乗らなきゃいけないワケでもないぜ Yeah〜

Sheryl Crow - Real Gone (2006)
ディズニーピクサーのアニメ映画 Cars の冒頭で流れる。
かっこいい姉さん!って感じのシェリル=クロウが歌うアメリカらしい曲。
♪ Slow down, you're gonna crash Baby you're a-screaming It's a blast, blast, blast〜 

推しはやっぱりEBTGのDriving。歌詞のシチュエーションがプレイバックPart2と浮気男に愛想を尽かして出ていく辺りは同じだけど、
♪ Oh lover boy  To you I belong  
But maybe one day you'll wake and you'll find me gone 
しっぽりと湿度高めです。


時代は変わって車も鉄道も変化していくだろうけど、それにまつわる文化も一緒に無くなってしまうのは少し寂しい、です。

2020年5月26日火曜日

気持ちに染みる時代の曲

学生の頃の話。友達がStonesのショップに行きたいと言うのでついて行った。その子も私もロックが特別好きなわけでもない。要はその子の彼氏がギターをやっていて、The Rolling Stonesのギタリストが嵌めている銀のドクロの指輪、もちろんレプリカをプレゼントしたいということ。

で、二人しておよそロックとは無縁な服装でショップに入る。唇からベロの出てる巨大なパネルが天井から下がっており、所狭しとTシャツやら灰皿やらファングッズが並んでいる。何度も来日しているからきっとミック=ジャガーのサイン入りのグッズもあったような気もするが、全くそのありがたみがわからない私達。目的のドクロの指輪を手に入れて、その彼氏が喜んだかどうだかその後は知らない。

先日テレビをつけたら新しくリメイクされたハクション大魔王のアニメが始まったところだった。オープニングは和製ロックのベテラン奥田民生の曲らしい。もちろん子ども向けのアニメなのだけどサビのところで♪(サティス)ハクション〜  あれ、これってsatisfaction ?
あの忘れられないイントロで始まるStonesのヒット曲のオマージュだ。

明らかに一緒に見ている親世代、もしかしたらおじいちゃん世代を狙っているのだ。
ドクロの指輪を嵌めて孫とハクション大魔王を見てたりするんだろうか。
元の歌♪I can get no  satisfaction は1965年リリースなんだそうで。
今聴くとあれ?なんだかこう、染みるのは何故。

この4月、新型コロナウイルス対策支援のバーチャル・コンサート「One World: Together at Home」がレディ=ガガの発案で企画されたという。YouTubeを開くと、web会議システムを利用してStaonesの主要メンバー4人がYou Can't Always Get What You Wantを披露している。どの曲を選ぶか、それぞれの思いがこめられているのだろう。

ひと月遅れで視聴しているが、実に多くの人気アーチストが参加している。
Stonesと同世代、ポール=マッカートニーは第2次世界大戦下に看護師だった自身の母親のことを話し、Lady Madonnaを歌う。Thank you, thank you, Madonna. と医療従事者を労った。

2020年5月25日月曜日

EBTG考

特に音楽好きではないけれど、1990年代後半は何がなんでも洋楽でした。音楽はレコード・CDからダウンロードするもの、果てはサーバーから配信されるものに変化した今では洋楽という言葉自体がもう死語。輸入盤だと歌詞カードがついていないとか、今の子に言っても分からないでしょうね。一応、和訳がついてたりするのですが、それが何とも意味不明だったり。歌詞なのだから元が意味不明なことだってあるだろうけど、微妙なニュアンスみたいなものを別の言語に訳すのは、語学力はもちろん文学的センスが要りますよね。

その頃偶然ラジオで知った英国ネオアコースティックのユニットEverything But The Girl (Tracey Thorn , Ben Watt)の曲を繰り返し聴いていました。サウンドも詞も繊細で、こんなのあるんだなぁと。バンド名は、大学の前にあった雑貨店の名前:Everything But The Girl 「この娘以外は何でも」を気に入ってつけたとか。

アルバムAmplified Heartから大好きな曲のさわりだけ紹介。
和訳も例によって適当。簡単な単語ほど真意が分からなくて苦労します。
世の中、語学レベルが上がったからみんなすぐ分かるのかなぁ。

GET ME
I never thought I'd grow up so fast, so far
To know yourself is to let yourself be loved

And I wanna be addicted
I wanna be secure
I wanna wake up after the night before
But do you get me?
Do you ever get me?

こんなに早く大人になるなんて思わなかった
愛されて気付くことがある
夢中になって
安心させて
あの夜の後に戻りたい
でも言ってることわかる?
わかってないよね?


特に二行目が直訳すると「自分を知ることは自分自身を愛されるようにすること」
GoogleTranslateだと「自分を知ることは自分を愛することです」ってますます訳わからんではないですか。歌詞の後半には「私は箱の中の石。時計の中のぜんまい。私を手首に巻き付けたっていいの。1日に10000回話しかけちゃう。」なんてフレーズがあります。
YouTubeのコメント欄にどっかの英語圏の女性が「ここの歌詞が素晴らしい!」と絶賛しているけど、誰か教えてくれませんかね???

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2020年5月24日日曜日

私の耳は貝の耳

以前、金魚の水槽にカワニナという小さな巻貝を入れていました。元は水槽の壁をきれいにする目的で石巻貝を買ったのですが、数年経って死んでしまいました。その代わりに近所の川でたくさん繁殖しているカワニナを10匹ほど頂いてきたという訳。

結構大きくなった個体もありましたが、条件が悪かったのでしょうか、いつのまにか殻に穴があいて弱り金魚に食べられてしまったようです。

二枚貝はヒンジのところ、巻貝は一番尖ったところが稚貝の頃の殻になります。そこから少しずつ成長して殻を伸ばして大きくなったのですね。だから子供の頃の部分が一番薄くて脆いのを天敵は知っていて、狙って攻撃するとか。ヒトに例えるのは可笑しいのですがなんだかかわいそうになります。

この渦巻きは、生きてきた軌跡。

ヒトは過去の膨大な記憶を、儚い信号に置き換えるためこんなに大きな脳を持ったのでしょうか。母体から出られるギリギリまで胎内で頭を大きくし、頭蓋骨もつながらないうちから言葉を発する。重心バランスが悪いので1年経ってようやく歩く。

人の一生を貝の模様に収まるくらいシンプルにまとめて並べておけたらどうでしょう。
模様には、よくみると個性があってその人らしさが感じられるような。
その人を知る人がいなくなったら、水に溶けてなくなってしまうような。


2020年5月14日木曜日

Stay Home おばんざい

Stay Home が続いている。人は家に長く留まると手の込んだ料理をしたくなったり、道具が欲しくなったりするようだ。パン作りに欠かせない強力粉やドライイーストが品切れになったり高価な調理家電の売れ行きが好調だったり、いわゆる巣ごもり消費が生じている。しかしどんなに手間のかかる美味しいものを作っても、片付けを済ましほっとするとまた次の食事の準備が待っている。誰か、せめて献立だけでも考えてはくれまいか...。
もちろん予算に合わせて、所要時間も含めてである。

ここに、大村しげ『京のおばんざい』(「暮らしの設計」1980年 中央公論社)というムックがある。初版本は読み過ぎてあまりにボロボロになってしまったので1992年の第10版が出た時買いなおした。

冒頭には「おばんざい」が広く使われた用語であることを示す、幕末の料理本が取り上げられている。この嘉永二年大阪で出版された『年中番菜録』には、関東・関西の庶民の日常のおかずが載っていて、台所に立つ女性の強い味方になったのであろうか、明治期に版を重ねたという。

附言の引用をさらに引用する。
「番菜は日用のことなれば いまだせたいなれざる新婦はさらなり 年たけたるまかないの女といえども折ふしおしつまることあり 此書は只ありふれたる献立をあげ めづらしき料理または価とふとく番さいになりがたき品は一さい取らず ふと思案にでかぬる時のたよりをむねとすれば つねづね手まわりに置 番菜の種本と心得たまふべし」

著者は千馬源吾 撰とあって、船場の板前「源さん」のレシピを編集した?などと想像を巡らせてみる。私など主婦歴20年以上で「年たけたるまかないの女」だが、おしつまってばかりである。日本では170年経っても女性が台所で献立に困っているとはこれ如何に。ただし当時と違うのは、もはや家のしきたりなどなく好き勝手に献立を決められることだろうか。



2020年5月13日水曜日

野苺は甘く渋く

庭で放ったらかしにしている苺が実をつけている。栽培にはビニルハウスなど温室を利用するので今や立派なブランド苺が1月や2月に旬を迎えるが、露地栽培では4月頃花が咲いて5月に実がついて赤くなる作物だ。

肥料をやったりマルチング(敷き藁やポリ袋で地面を包む)する年もあるけれど、大抵は面倒で観賞用と思ってあまり期待していない。というのも虫や鳥に大半を食べられてしまうので、つぶれた苺の甘い匂いが立ち込める中、無事な実を這いつくばって探すのが苦痛だし、無農薬なのでダンゴムシやなめくじとも仲良くやらねばならぬ。味の方はまぁまぁいける、かな。

一般的な品種に一つだけ観賞用のワイルドストロベリーが混じっている。葉っぱの付き具合が食用と違っており花も実も小さい。食べられないことはないが種が多くて固くあまり甘くない。欧州ではウェッジウッドを筆頭に図案にも好んで用いられる。

思春期の女の子向け推薦図書に必ず挙がってくる、梨木香歩『西の魔女が死んだ』で中学生の まい と祖母が裏山で摘んでジャムにするのもこの品種。英国人の祖母が「Wild strawberries」とわざわざ言い換えるのも、一度かじってみれば日本の甘くてジューシーな苺とは全く違うから納得だ。

伴侶を亡くした悲しみの中、登った裏山に昔捨てられた畑があって、そこに野苺の花が咲いていた。それから歳月が過ぎ、「今年は まいが手伝ってくれました。」嬉しそうに丁寧にジャムを煮る。ふとしたことで学校に行けなくなった まい であったが、何を感じたろうか。

映画化もされたこの作品、控えめな演出で映像が美しい。

2020年5月11日月曜日

雨の夜に読む

和歌なんてよく分からないけど三夕の歌なら知ってる。あれでしょ秋の夕暮れ。春だけど。

赤ちゃんは泣き、認知症のおばあちゃんは徘徊する魔の時間帯。早い夕飯の片付けを済ませて窓を見ると、まだ空はほの明るかった。ぽつぽつと雨も降り出している。パンデミックは終焉と見切りをつけて外出自粛が緩和されようとしているニュースに、まるで不登校の子が新学期に怯えるような気持ちになっている。夜が更けるにしたがって雨は強くなってきた。

人恋しいが懐かしい人にアクセスする気になれない。元気でやっているなら今はそれ以上話すこともないから。ふと学生時代のルームメイトを思い出し、彼女の読んでいた本に今更ながら興味を持った。同い年とは思えぬ落ち着いた学生でミュージカル好きでお茶目な一面もあったが、自分は容姿に恵まれないから恋愛とか煩わしいし早く中年になりたいと言っていた。その実、繊細で感性は鋭く美的センスも高かった上、抜群に頭が良かったので大学の先生方のサロンにすいっと入っていき、学問まっしぐらではなくキュレーターの道を選んだ。そんな彼女の愛読書の一つが宮本輝の小説で、よく読みかけの文庫がぽんと置いてあったような気がする。ずっと趣味じゃないと思ってきたけど、こんな時こそとkindleで代表作「錦繍」を買って読んでみる。ヴェトナム語 英語 スペイン語 中国語 韓国語 フランス語 ヘブライ語 ロシア語に翻訳されて海外ファンも多いらしい。


背景は昭和60年頃。建設会社社長の娘亜紀と恋愛結婚、将来も約束された男。色街の女と心中未遂、女は死ぬ。一命を取り留めた男は妻から去り、10年後偶然に再会。手紙のやり取りの中で登場する人物の性格が色とりどりで、陰鬱になりがちな場面に明るさを添えている。特に亜紀の父が好ましく思えるのはこの歳になったからだろうか。

あらすじだけ追うと男の浮気が肯定的に描かれ、女の母性が美化される傾向が目立ち、令和の時代においては男の願望と一蹴されるかもしれないがそこは大目に見て欲しい。離婚から時間が経ちお互いを許し理解し互いの幸せを願うに至る、羨ましいほどの思いやりが汚れてしまうからである。

さて20歳そこらで秀才の彼女が「錦繍」を好んで読んだかは分からないが、もしそうだとしたら彼女はもう大人の恋愛を経験していたのだろう。同年代の男子など眼中になかったから、相手はかなり歳上の学者先生と見て相違ない。一緒に豊川悦司と竹ノ内豊どっちがいい男?とか言ってふざけてた時も、誰にも言えなくて報われない恋をしていた?想像したら涙が出てしまう。あくまでも憶測なので全く見当違い、失礼千万かもしれないのだけど。

進歩と調和

母の日のイベントとして子孫揃って食事をしたり、花束やお菓子を贈ったり。何かしら贈り物で感謝の思いを伝えているご家庭は多いだろうなと思いつつ、毎年となると続かない。一緒に盛り上がってくれるきょうだいでもいれば話は別なのだろうか。

夫の生家では母の日・父の日・誕生日などのイベントやプレゼントは欠かさず、義母から夫の誕生日にバースデー電報が届いた時もあり、風変わりな家だなと思った。もちろん息子たちの誕生日は盛大に祝ってきたし、幼稚園で描かされたであろう「ままだいすき」プレートに涙して喜んだりもしたけれど。記念日を祝う文化を根付かせなかったのはたぶん私のせいなのだろう。記念日って何故かしみじみしてしてしまって、それが本来面倒くさがりの人たちに伝播してしまったんじゃないかと、少し反省している。

COVID-19の影響で花屋さんが苦境に立たされ「母の日」を「母の月」として月間を通じてお母さんに花を贈ろうキャンペーンをしている。実家の母に聞くと決まって「水を換えるのもしんどいからお花は要らないわ。お腹もあんまり空かないしね。私の代わりになんか美味しいものでも食べなさいよ」となるので、また長い長い電話に付き合う。たぶん私も息子にそう言うんだろうと思いながら。

長電話で懐かしい祖父トシオの話が聞けた。
名神と東名高速道路がつながったからと、母を連れてハイヤーで東京まで。赤坂プリンスホテルの部屋から皇居を見て「これは不敬に当たるのでは...」と絶句していたとか。
母が懐妊した頃、体調が安定せず実家にいることが多かった。ちょうど大阪万博が開催中、祖父は新しいもの好きが昂じて毎週のように出かけていたとか。体調が落ち着いたら待ってましたとばかり母を連れ出して比較的空いているスイス館でステーキ食べたとか。そんな祖父に当時大学生だった叔父(母の4つ違いの弟)が「なーにが進歩と調和や」とつっかかるので喧嘩になった話とか。

戦後肺結核で死にかけ、最愛の妻は看病で感染して亡くなった。死に物狂いで小さな会社を経営し、最愛の息子を海外で亡くし、苦労や悲しみの多い人生であった。けれど、新しいもの綺麗なもの美味しいものへの憧れは桁外れで、それが生命の源だったから前を向いて全力完走できた。きっと思い残すことなど何も無かっただろう。


2020年5月1日金曜日

バラの花輪を編むように

かつて通った学校で、ある朝「ロザリオの祈りを唱える係」に指名されてしまい大いに面食らった思い出があります。信者でもなんでもなく、たまたま偶然に。

5月は聖母月ということで、カトリック教会では小さな十字架のついた数珠のようなものを繰りながら「天使祝詞」を150回唱えるそうです。ロザリオの語源はrose。バラの花輪を編むようにロザリオの珠を繰って祈りを唱える行事です。慌ただしい学校の朝の礼拝では略式に「主の祈り」1回と「天使祝詞」10回を唱えましょうということで、覚えてもいないうちから薄暗い聖堂の中でマイクを渡され焦ったのなんのって。

「天使祝詞」はいわゆる「めでたし 聖寵充ち満てるマリア」で始まる、原文ラテン語の文語和訳。最近は現代語訳で唱えるそうですが、少し物足りなさを感じるのはなぜでしょうか。文語の表現がやや女性らしさが強く生々しいからかもしれません。初めてのお祈り係の後も、5月のマリア月間は毎日お祈りは続き、お陰様で信仰の方はさっぱりですが40年近くたってもちゃんと覚えています。曲のついたAve Mariaもざっと調べても10曲以上、有名どころだけでもグノー、シューベルト、カッチーニ、モーツアルト、リスト。ビゼーやヴェルディも。

学校ではアルカデルトのAve Mariaを教えてもらいました。高音が出ないのでアルトパートで覚えていてメロディがあやふやだったりするのですが、ラテン語で歌える唯一の歌です。
あらためて歌詞を辿ってみると「天使祝詞」の最後の部分がありません。
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Iesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen

♪ora pro nobis の後
(祈りたまえ)罪人なる我らのために 今も臨終の時も

お祈りとしては大事なところなのに、曲に合わせてカットしてしまうってどうなんでしょう。実はこの曲、ルネサンス期のアルカデルトのシャンソンを元に19世紀フランスの無名の作曲家がアレンジしたことが分かっているそうです。因みにグノーのアヴェマリアはちゃんと最後まで歌っています。詰めが甘いのはレベルの違い、それとも作曲重視からなのでしょうか。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...