2020年5月11日月曜日

進歩と調和

母の日のイベントとして子孫揃って食事をしたり、花束やお菓子を贈ったり。何かしら贈り物で感謝の思いを伝えているご家庭は多いだろうなと思いつつ、毎年となると続かない。一緒に盛り上がってくれるきょうだいでもいれば話は別なのだろうか。

夫の生家では母の日・父の日・誕生日などのイベントやプレゼントは欠かさず、義母から夫の誕生日にバースデー電報が届いた時もあり、風変わりな家だなと思った。もちろん息子たちの誕生日は盛大に祝ってきたし、幼稚園で描かされたであろう「ままだいすき」プレートに涙して喜んだりもしたけれど。記念日を祝う文化を根付かせなかったのはたぶん私のせいなのだろう。記念日って何故かしみじみしてしてしまって、それが本来面倒くさがりの人たちに伝播してしまったんじゃないかと、少し反省している。

COVID-19の影響で花屋さんが苦境に立たされ「母の日」を「母の月」として月間を通じてお母さんに花を贈ろうキャンペーンをしている。実家の母に聞くと決まって「水を換えるのもしんどいからお花は要らないわ。お腹もあんまり空かないしね。私の代わりになんか美味しいものでも食べなさいよ」となるので、また長い長い電話に付き合う。たぶん私も息子にそう言うんだろうと思いながら。

長電話で懐かしい祖父トシオの話が聞けた。
名神と東名高速道路がつながったからと、母を連れてハイヤーで東京まで。赤坂プリンスホテルの部屋から皇居を見て「これは不敬に当たるのでは...」と絶句していたとか。
母が懐妊した頃、体調が安定せず実家にいることが多かった。ちょうど大阪万博が開催中、祖父は新しいもの好きが昂じて毎週のように出かけていたとか。体調が落ち着いたら待ってましたとばかり母を連れ出して比較的空いているスイス館でステーキ食べたとか。そんな祖父に当時大学生だった叔父(母の4つ違いの弟)が「なーにが進歩と調和や」とつっかかるので喧嘩になった話とか。

戦後肺結核で死にかけ、最愛の妻は看病で感染して亡くなった。死に物狂いで小さな会社を経営し、最愛の息子を海外で亡くし、苦労や悲しみの多い人生であった。けれど、新しいもの綺麗なもの美味しいものへの憧れは桁外れで、それが生命の源だったから前を向いて全力完走できた。きっと思い残すことなど何も無かっただろう。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...