2022年7月16日土曜日

望まれて生まれる

 少子化が深刻化していると言われるが、現代女性の自己実現という点では妊娠・出産・子育てはしないほうが得。とも言い切れないのは、やはり生身の肉体を知るほどに感じるところだ。少し不謹慎になるが条件さえ整えば、本能的に女性の身体は子を産み育てたいようにできている。本能とはすなわち何かに突き動かされ、従うほどに気持ちが良いということだ。

あんなに苦しい痛い思いをしても、もう一回してもいいかなという人は多い。それは辛さを差し引いてもあまりある幸福感と快感があり、生と死の狭間に広がる花畑の芳しい香りを嗅いでしまったらそれ以上の快感はそうそうないからである。パートナーへの愛とか母性の目覚めとか脳みそで考えるような浅いものは完全に凌駕する。子供を産んだばかりの女性の可愛らしさキラキラ感はその辺にあるのだと思う。

条件が完璧に整わなかった場合でもそこそこの幸福感や満足感が得られるから、極端に不幸な状況で暴力下にある女性は例外として、育てられもしないのに次々産んでしまう事態が発生するのではと思う。健康な身体であれば性的な快感と言われるものも擬似的に過ぎず、形を変えいくら追求しても到達しようがない、そういうものではないだろうか。

もちろん今でも出産で命を落とす人もいれば、産後うつが重い女性も少なくない。夫の職場で奥さんが産後うつで育児休暇を取ったものの改善せず、退職を選んだ男性がいた。保育園に入れたら復職するのだろうが晩婚だと実家も高齢で助けも期待できない。産褥期という言葉があるが、それが終わると本能的な幸せ感は消えるし今日だけお腹に戻ってくれんかな?と思うほど延々続く子育てが待っている。

大昔、飢餓や戦いがあれば女性も狩猟や殺し合いに参加しただろうし、そういうときは自然に排卵が止まるから産み控えが生じたはずだ。天候が穏やかで食べ物が豊かに実り、平和な日々が続けば動物も人も繁殖する。今いくら人口を増やせと言われても、世の中が荒れていては戦わないと自分の生命が脅かされる。

太古の昔に戻るわけにもいかないが千年や二千年で身体の作りが変わる訳ではない。若い女性は自分のことを知りつつ自己実現して欲しいし、男性も幻想の中で勝手な女性像を作らず共に仲良く生きて欲しい。望まれて生まれてくる人が世の中にあふれますように。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...