2021年9月23日木曜日

女がつまらない世の中

 この春は、林望『謹訳 源氏物語』を一気にとはいかないながら興味深く読んだ。今度は同じ林先生の著書『謹訳 平家物語』を一、二巻手に入れて読み出している。あらすじは小説や大河ドラマなどで大抵知っているし、多少中学や高校でも敦盛の最期や木曽義仲の話など読んできたから馴染みがある。

1970年代平家物語の女性にスポットを当てた小説がドラマ化され、それを見ていた母が私の名前を思いついたと聞かされた。それも小説上の架空の人物で、戦乱の語り部としてしぶとく生き残るキャラクターを好ましく思ったとか。返せば平家物語に登場する女性は、建礼門院や常盤御前のように男社会で自己主張することなく、悲しむことも許されずにただ生きている。意思がはっきりしていると巴御前のような自由闊達な女性は荒武者のように戦場で死に、清盛の妻の時子も平家一門の繁栄を支え凋落を見届けて壇ノ浦に沈む。皆、戦乱の世の女らしく自らの勤めを果たし精一杯真面目に生きたのだが、平安文学の後だけに何か物足りない気がする。

平家物語の成立には諸説あるそうで、鏡物のような歴史物語があると思えば軍記物語的な部分も多く、後にあの「祇園精舎」で始まる有名な冒頭部分を付けてまとめたのは容易に想像がつく。登場する女性に人間的魅力がないのはあくまで物語の添え物という位置付けで、それは即ち絶対的に男性優位の社会が形成されていく現れだろう。

律令制度の限界と交易などによる経済の力関係が、スピーディーな武力行使による交渉でゆらぐ激動の時代。価値観が固定化して、個人の自由な発想や幸福感が否定されていく怒り・悲しみ・諦めが、癒しと希望の宗教観を育んだと言って良い。自然が厳しく腕力至上主義の世界なら厳しい戒律の信仰がふさわしいかもしれないが、湿度の高い日本の風土には慰めと癒しが必要だ。

土豪から貴族の地位に這い上がった平忠盛、自由奔放で大胆な清盛、貴族として模範的な重盛、権力闘争や陰謀に渦巻く都。こうあるべき、こうだからダメになったのだ等々、息苦しくネガティブな考えに絡め取られていくような感覚があり、なかなかページが進まない。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...