2020年8月3日月曜日

ポテトサラダ・コペルニクス的転回

NHKの番組「COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜」の放送で、日本のフルーツと関連する文化を各国のゲストが意見交換するのがとても面白かった。日本の芸術的に美しく甘いフルーツを称賛する一方で、皮を剥いて食べない日本人が外国人には不思議に映るという。

果物といえば中学生の頃、弁当を仲良しグループで食べる習慣があった。女子校だったからかどの子も必ずと言って良いほどデザートに果物を持ってくる。それをグループの子一人ひとりに均等に分けるという奇妙な習慣がはびこり、弁当の蓋の上にりんごがひとかけ、みかんが一房、ブドウが一粒という具合にのせられていく。私は遠距離通学なので朝早く弁当を詰めてくれる母の手間を思う以前に、弁当を食べた直後に生温い果物を食べる気がしないため持って行ったことはほとんどない。しかしくれるものは仕方ないので嫌々食べる。

りんごも飾り切りにしてあったり、ブドウの皮を剥いてあるものもあったりして、ひと手間かけてあるのは分かるが、衛生的にはどうなんだろうか。COOL JAPANのゲストを始めインタビューした外国人の全てがぶどう・りんご・柿・桃の皮は食べると答えた。キウイの皮は食べる食べないに分かれたが、毛のないゴールデンキウイに関しては全員皮を食べると答えていた。試しに皮ごと食べてみたら、これが意外に美味しい。柑橘類は抜きにして本当の果物の美味しさは皮と身の間にあるのだ。以来ゴールデンキウイを食べる時はそのまま輪切りにしている。

贈答品として見栄え良く、より甘い果物を作らんがために品種改良を重ね、食べる時も手間をかけることに価値を見出した結果、日本人は果物の皮を食べないことが上流の証しと勘違いし、果物の皮を剥く日本人妻は評価されたのだ。カットフルーツの技術や文化まで否定するつもりはないが、あれはハレの食べ物であって毎日するものではない。栄養価、味ともに果物は皮ごと食べるのがスタンダードであることを認識すれば、一般家庭でりんごの飾り切りをする異常さに気付くし、問題を家事・育児・パートナー関係に広げてみれば発想を根本的に換えられそうな気がする。

番組の放送と同じ頃、巷では「ポテトサラダ論争」というのが流行っていた。スーパーの惣菜売り場でサラダを買おうか思案中の幼児連れの女性に初老の男が「母親ならポテトサラダぐらい作ったらどうだ?」と言い放ったのを、目撃した中年女性がTwitterでばらまいた一件。

ジェンダー、モラハラ、マウンティング、高齢者、孤独、認知症など様々なキーワードが挙がりネットは蜂の巣を突いたように沸き上がり、一様に初老の男を攻撃したのであるが.... 海外の反応は冷たい。タイ人の女性はこうした論争が起きるのはいかにも日本人らしいといってせせら笑い、ドイツ人女性に至ってはそもそもポテトサラダは買うものであると。他人がサラダを作ろうが買おうが知ったこっちゃねぇという回答。

そして、スーパーのポテトサラダは値段のわりに不味すぎるのだ。あれがせめてデパ地下のデリ並になれば「あら、ここのサラダ美味しいんですよ。」と言ってやれるのだが、いずれにせよ頭のおかしな人には近づかないでおこう。

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幸福は甘くなかった

 福田恒存『私の幸福論』(ちくま文庫)を読む。平易な言葉で語られる、その内容は深く重厚で何度も読み返すことになると思った。昭和30〜31年にかけて講談社『若い女性』という雑誌に「幸福への手帖」と題して連載された。もう70年ほど前の文章だから、社会の事象は大きく変貌して日本人の生活...