10代の頃、洋画は母の影響で結構古いものも観た。『夕陽のガンマン』でも大概昔だと思っていたが、クリントイーストウッドの初主演ドラマが『ローハイド』だと知って改めてこの人も長く活躍してるなぁと思った。『ダーティーハリー4』『マディソン郡の橋』など知る限り爺さんというイメージなのだが、ずっと映画界にいるというのは偉大だ。
モリコーネが音楽を担当した『ニューシネマパラダイス』(伊: Nuovo Cinema Paradiso 1988)の舞台は、戦後間もないシチリアの教会跡を使った映画館。いつか母が語ってくれた子供の頃の記憶と被って、見たこともない景色がそれとなしに浮かんでくる。
戦後肺結核を患ったが九死に一生を得た祖父は町工場を復興した。その工場の落成式の日、祖母は34歳の若さで亡くなった。結核が伝染っていたのに大した治療を受けることができなかったのだ。残された母と叔父はよく山口の祖母の実家へ預けられていたそうだ。山口の田舎町には映画館が1軒あって、11歳かそこらの母は地元のおじさん達に紛れてしょっちゅう潜り込んでいたらしい。任侠ものだのサイレント映画だのジャンルを選びようもなく、寂しさを紛らさせる格好の場所だったという。
夏休みが終わりに近づいて祖父が大阪から迎えにくると、決まって祖父の再婚話が聞こえてきて、叔父がまだ小さいのに可哀想だとか母だけ山口においていけとかが耳に入ったそうだ。祖父はその後何度か見合いをしたというが、必ず母を同席させるのだ。わだつみ世代で婚期を失った女性でも、思春期の娘を見合いに連れてくる男にはドン引きだろう。最初からその気がないのか、家事をして母親の務めを果たすなら結婚してもいいくらいの態度なのか。結局見合いは成立せず、同じく婚期を失いこのまま義妹でいいなら嫁になりますと来てくれたのが、今の私の祖母である。
漁師町のきつい日差し、田舎の映画館の看板が一つの原風景となっている。