今回でこの試験的ブログを終えることにしました。
試し書きのつもりで書いていたら結構面白くなったのですが、いかんせん以前の介護日記に比べカウント数を稼ぐことができませんでした。
テーマを絞り多くの人の読みたいもの、必要な情報を書くことが何より大切です。
同時に精神的に支離滅裂になった日々の暮らしをつなぎ合わせたいと切に願います。
ご愛読ありがとうございました。
2020年2月21日金曜日
ぼくの好きなおじさん
やっと猛暑から解放されたと思ったら10月も終わってしまった。慌ただしく自民党総裁選、衆院選が行われ、さらには首相指名選挙と政治の空白期間に不安しかない。不安というなれば今から50余年前、私が赤ん坊だった頃の日本は沖縄が返還された一方で、ベトナムへ向かう米軍の出撃基地だった。母が...
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長く書かなかった理由のひとつは生成AIの存在があるかもしれない。条件を与えれば動画さえ適当な材料から作ってしまう人工知能。新たな知能はこれまで人間が蓄積してきた考えやイメージを再構築して形にする、さらに専門性を高めて個性を出し始めていると言う。 教養も知識もない生身の人間がいま...
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図らずもふたりの息子を授かり、乳児から幼児、児童になるにしたがって戸惑うこともいろいろあったが、男の子というもののへ偏見を少しずつ修正させながら一緒に歩んできた。家庭に子供がいると自然と絵本や児童書に手が伸びて、自分も含めてそれぞれの性格や個性、嗜好を考える機会を得ることができる...
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慶応年間生まれの曽祖母は13人の子を生み育てた。当時でも経済状態や体力などの条件が揃わなければ叶わなかったのだが、令和の世には2人も産めば多い方になるらしい。どんな時代にもそれぞれの個人の事情があったはずだが、生き方に多様性が求められた結果なのか特に女性の場合大小様々な条件がつ...