2024年5月22日水曜日

断捨離の初夏

 祖父が昔買い集めた壺や茶碗、着物の類がいくらかあり、この度欲しがっている人にあげたり引き取ってもらうことにした。といってもこれは私の所有するところではなく、母の実家の問題ではありながら、娘の私の了承は得ておこうということだった。もし私に茶道や生花の心得やいくらか教養があり、セレブな世界とご縁でもあれば譲り受けることもあっただろう。残念ながら今の私がもらったところで全く活用できないのだから仕方ない。もらえないのが残念なのではなく、興味もないのに執着する自分が残念なのである。

母の決めたことであるし何の異存もないのだけれど、もらう側は娘の私が了承しているのか、後で文句言ってこないか気になるらしい。価値が分かる人のところへ行った方がお道具も幸せでしょう、とは言ってはみるけれど100%爽やかでいられるほど人間ができていない。息子らの教育費はアホみたいにかかるし生活費は膨れる一方で、どこまで燃料が持つか自分たち夫婦の老後はと心配し出したらキリがない。けれど余裕があればあったで巣立ちの邪魔になりそうで、分相応の暮らしは死守しなければならない。微妙なバランスでなんとか飛んでいるのに、うっかりボーナスでも出ればたちまち気が緩んで墜落してしまう。

モノもカネも制御できる力がなければ人を苦しめ、吸って吐いてエネルギーを生み出す能力のある者のところでは人々を潤す。力のない者は中継ぎとなって配分する手、正しく使われるか見張る目の役割がある。モノはたくさんのエピソードを宿して空間を占拠するから、カネよりも厄介と言えるだろう。どんどん断捨離で身軽になる母を他所目に、私は貧相な呪縛に絡んだままである。



ぼくの好きなおじさん

 やっと猛暑から解放されたと思ったら10月も終わってしまった。慌ただしく自民党総裁選、衆院選が行われ、さらには首相指名選挙と政治の空白期間に不安しかない。不安というなれば今から50余年前、私が赤ん坊だった頃の日本は沖縄が返還された一方で、ベトナムへ向かう米軍の出撃基地だった。母が...