2021年5月11日火曜日

笑って見送って

5月の連休は恒例のお庭バーベキューをして2kgの肉をすらっと平らげた。炭火を起こし始めてから火を消すまでの4時間、焼く→食べるの連続で何を話したかも覚えていない。

これまで家族でキャンプもするにはしたけれど、いい季節の時は誰かが忙しかったりして結局数えるほどだった。義母と同居していた頃、次男の友達一家が奈良県の十津川村に民家一軒借りてアウトドアを楽しむとのことで、他にも同級生たちを誘ってくれたことがあった。車がもう一台必要で、ママ友の一人が軽自動車に子供2人の隣に次男を乗せてくれるという。パパは大手スーパーの店長さんだからお盆休み返上で頑張っている。「それならうちの主人が車出すわ〜山道は釣りで慣れてるから。おっさんやけどよろしく頼むわ」てなことで夫の隣にママ友が座り、子供3人後ろに座って出かけていった次第である。

前日は我が家で子供達のお泊まり会をさせただけでクタクタになり、次の朝、夫と次男・他の子供らが行ったあと座り込むと急に悲しくなって涙がポロポロと止まらなくなってしまった。認知症の義母がいるから家を空けられないこともあるが、長男も半年後の高校受験に向けて遊んでいる場合ではない。ママ友のご主人も子煩悩な人だから子供とキャンプ行きたいに決まっているからある意味同じ立場だ。そんな事は分かっているのに、ただ羨ましく夫が憎らしく、自分が可哀想な存在に思えてたくさん泣いた。

次の日の晩、夫は帰ってくるなり山道ドライブの様子やピザ焼き体験など喋りっぱなしだった。よほど楽しかったと見えて5、6年たった今も繰り返し繰り返し次男がうんざりした顔をしてもお構いなしで、「次男よ、お前一生分の親孝行したな」と言ってやりたい。また夫が100%楽しかったと言ってくれたことには救われたし、男手が増えてパパ友も安心だったろうしその他安全面で一緒に行ってもらって良かったと心の底から思っている。

あの時どうしてあんなに悲しくなってしまったのか。思うにあれが家族でどっかへ行ったりして盛り上がる最後の夏だったのかもしれない。その後義母が亡くなって、息子の受験勉強が終わってもみんなでレジャーとかいう気分にならなくなってしまった。3年かそこらのうちに息子たちは成長して同級生の家族旅行の話に反応することもなくなった。あれはもしかすると単に子育ての節目の感傷だったのかもしれない。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...