2020年10月9日金曜日

はじめに言葉ありきでもない

前回スキンシップにおける夫婦の温度差について書いた。空気のような存在でお互い必要としている日本人的夫婦の実態をもうひとつ言うと、はっきりしたプロポーズの言葉を聞いたり言ったりした覚えのない人、少なくないのでは? お見合い結婚で結納を交わして形式的に挨拶するものであった時代の方は、自由恋愛ならプロポーズはあって然るべきと思われるだろうか? 

私に関していえば、夫からハッキリした言葉を聞いた記憶がない。それについて不満があるわけでは無いが、何となくゴニョゴニョと「結婚しようよね」みたいな流れになったのは、いかにも日本人らしいナイーブな男の甘えた心情の顕れだ。こんなものは他の先進国では通用しないし、それを許してしまう女も浮かれた馬鹿とも言える。

そんな曖昧なことなのにホテルのチャペルでにわか信者にさせられて、牧師に言われるまま永遠の誓いにサインをする。西洋文化では結婚は契約だから、当然違反すると罰則がという流れが自然と生まれる。病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、愛せなくなったらどうなるの?

恋愛が二人だけの世界のうちは気楽で自由だ。お互いに帰るところがあり、経済も別だから単純に気持ちを確かめ合うだけで良い。これは婚外恋愛にも言えることで、いいとこ取りだから楽しい。ゆえに世間ではズルをしているという認識で不倫と呼ぶ。いずれも言葉とスキンシップが重要な役割を果たす一方で、前者はさらなる展開の可能性があり後者は終わりに向かっている。それがどんなに有意義で良い関係であったとしても。

はんこレスの動きに婚姻届も離婚届もオンラインで随時提出できるようにする案が出ているそうだが、あまりに簡便すぎるのもどうだろうか。日本には戸籍制度だってあり、人の一生を左右する大切な手続きだけに、今一度「結婚」という言葉とその意味を問うてみたい。





どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...