2020年10月11日日曜日

重荷というも思いなり

むかし祖母が「今度のひらきはおもに」と言ったことがあって、その頃は何のことやら全くの謎。後に「披キは重荷」と教えてもらったが、まだまだ解説が必要だ。つまりかれこれ20年ほど習いに行っている観世流の謡教室で、定期的に発表会らしきことをするにあたり、主役として謡う曲が「恋重荷」(こいのおもに)に決まったということらしい。本当に室町時代に書かれたの?と疑うほど艶っぽいタイトルだが内容は渋い。

本来、披キは能楽師が初めて難曲や大曲を演じることで、一定の技量を持ったことを周囲に認めてもらうためのお披露目の意味合いを持つ。素人の披キは、祖母のように謡だけ習っている場合はシテの部分を留袖で正座して謡う。本物の能舞台で先生方の地謡と囃子方がつくから、お礼だの何だの揃えると大変にお金のかかる発表会である。

さて室町時代から一度演じられなくなって、また江戸時代に復活したと言う「恋重荷」という曲。似たような話も他にあるのでご存知かもしれないが、あらすじを簡単に。

菊の好きな白河院のお庭で花の手入れをしていた山科の荘司という老爺。ある日お屋敷で女御の姿を目にして以来、ぼーっとして仕事も手につきません。女御の従者が言うには「そこに用意した綾錦で包んだ荷を持ってこの庭を百度、千度回ったら姿を見せるとあるじは言っておられるぞ。」「庭仕事には慣れておりますゆえ」と勇んで手をかけてもびくともせず。見かけは軽いが中身は岩。諦めるどころかお姿をいま一度見んと挑むこと数限りなく、終いに絶望し女御の酷い仕打ちを恨みつつ息絶えてしまう老爺。その亡骸に悼みいる女御、とたん身体が動かなくなり鬼と化した老爺と向き合います。死んでもなお地獄で苦しんでいると女御を責めながらも、いつか恨みも雪のように消えてしまうだろうと去っていきます。

姫小松の葉守の神となりて 千代の陰をまもらん 千代の陰をまもらん

復活前の演出では「お前に俺と同じ苦しみを与えてやる!」とばかり、担いできた荷で女御を押さえつけるとか杖で叩きのめすシーンがあったとか。江戸時代以降は、世阿弥の趣向ならば残酷シーンはない方が良いと控えめな表現になっている。一方的な恋が最終的に静かな愛に変化するところは現代人にも受け入れやすい。

この曲ではシテ(山科の荘司)の心情でが全てであって、ツレ(女御)については酷い女だとか身分差・年齢差がどうだというのはあまり重要でないと思う。ズバリ男の恋についてどうよ?超格好悪いのも格好いいだろ?みたいな。祖母にとっての女御はやっぱりセンセだったのかなぁ(爆)



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...