2020年12月22日火曜日

親の役目は欲目

 ある高学歴タレントが、受験勉強中に両親にしてもらってうれしかったことを聞かれて「いつも通り普通に接してくれたこと」と答えていた。察するにこの人のお母さんは普段通りに食事を用意し服を洗濯してやり、時には頑張っとるねぇと労いの言葉をかけたりしていたのだろう。実際にはどうだか知らないが、ほのぼのと幸せに大きくなった雰囲気の漂う人である。

若くて血気盛んな親なら、子供にかけっこもお絵描きも1番をとってこいと叱咤激励するのだろうか。事実、心底競争が好きな人もいるからそういう家庭に生まれたことを感謝しているかもしれない。ただ常にてっぺんを目指す人でも相対的評価抜きで無条件に誉め、労ってくれる存在があるのとないのでは大きく違うと思う。それは祖父母や父母でもよいし妻や夫、親類、子ども、親友、恋人などもそういう存在になりうる。逆にこういう親しい人から手厳しい客観的評価を受けた時は悲劇を生みやすい。

子供の「初めて」を目撃する機会に恵まれた親は幸せだ。初めて寝返りができた時、初めて歩いた時、初めて意味のある言葉をしゃべった時。もしかして本当の初めてじゃないかもしれないけど、このスペシャル感はその後の親子関係構築に役立ってくれると思う。賢い親、良きトレーナーになれないなら、あの時あの必死に寝返ろうとしている赤子の姿を思い出してお馬鹿な親に徹した方が余程良い。

親切心から口出しせずにいられないとか、照れくさいから素っ気なくするとか、はっきり言ってあげた方が相手のためとか思うのは、家族の情がある故だろうか。引きずられないよう心がけたい。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...