2020年12月18日金曜日

いまさらにジェンダーフリーについて

1990年代から2000年代はじめ、アメリカに遅れること10年くらいで日本でも行き過ぎたジェンダーフリー教育とそれに反発するバックラッシュ の動きがあったという。今また選択的夫婦別姓制度やLGBT問題などで新たな動きが出てきている。

私に関して言えば、ただ生きて家庭の主婦になれば上々という期待しかされぬ当時でも特殊な家庭環境で育ち、個人の適性の問題と相まって、どうしてもジェンダーフリー教育には納得いかぬ部分が多い。男女が同じ土俵に立てばどうしても体力面など女が不利になるから、それぞれの得意分野で活躍機会を均等にする動きは大いに賛成。ただそこへの前段階で、子供たちに行き過ぎたジェンダーフリー教育を施して社会を変えてやろうという発想は危険だと思う。一見男女の差がない世界に見えたとしても、それが裏切られた時の若者の失意を考えたことがあるだろうか。幻を見ていては心身を守る術が身につかない。

個人個人がその特性を家庭で話し合ってどう生きるか考えるのが理想であり、中にはジェンダーフリーな人がいて良いと思うが、そんな特殊な思想を学校で推奨するのはいかがなものか。男女区別のないトイレは性同一障害の人には優しいかもしれないが、生理中の女子や下痢で顔真っ青な男子にはキツいのだ。設備はそのままに生活慣習を強制的に変えただけで問題解決したようにドヤ顔しないでいただきたい。

行き過ぎたところに反発があり一般市民は振り回されがちではあるけれど、個人と共同体のあり方の終わりない関係を押したり引いたりしていくしかない。全否定するのでなく時代に合った変化も必要だろう。ただ強要だけはNOである。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...