2020年3月6日金曜日

何を好き好んでPTA

先に外国籍の友人からなんでPTAの役をやるの?と聞かれた話を書いた。
PTA本来の目的と意義から今回は大きく外れて、個人の参加動機についてレアな例をあげてみようと思う。

誰かがやらないと、というのが表向きの回答なのだが実は本当の理由があって、その一つは情報収集能力が低い上の苦肉の策というべきか。

女子的会話が極めて苦手で直接には無関係の人のマイナスイメージなど聞くと、もやもやする。それよりオフィシャルに集う人間関係から聞く情報が欲しい。男子は学校であったことなんて聞いても話さないし、話しても自分の話したくないことは言わないものだ。私だって親が心配するようなことに限って話さなかったから。

もう一つは話題の共有。夫は息子たちの中学校・高校には一度も足を運ぶことはなかった。必要がなかったと言うんだろうけど、寂しくないのかなと思う。私は女親が家族間の接着剤的役割を果たすこともあろうかと、学校の草むしりなどは積極的に行った。汗臭い体育館や壊れかけたウォータークーラーを見るだけの日もあれば、何の配慮かトイレのドアの男女のサインが外してあって困る日もある。何気ない先生の口調やふと気づいたことが、息子や夫との会話に繋がることもあるからだ。

さらに前年度の完全トレースであっても、引き継ぎから次へ引き継ぐまでに関わる人の個性はにじみでるもので、つまらない伝達や報告にしてもイマドキの方法やスマートな表現に触れるとやってて良かったと思える。

小学校のお役は確かに負担だ。小学校PTA委員選出の日など寒い教室で1時間以上役員が決まらずなんてことはザラにあったし、この役は無理なんですぅと泣かれて重い方の役を押しつけられたこともあった。裏でベロを出されていたかもしれないけど、逆に会うたび感謝されても気持ちが悪い。その活動たるや、ほんっと意味ねぇ!と思ったことは度々だったけれど他にやりたいことがあるならもっと早くに見つかっている筈と納得する。

悲しいかな、失敗や不快な思いをしないで暮らすことは生きている実感を失うことでもある。女子トークは、やっぱり苦手だけど。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...