2021年6月13日日曜日

父の日に

 今月20日は父の日で、母の日と同様にアメリカ由来の行事とのこと。私にも父がいて、数年前母と一緒に施設へ会いに行ったきりである。最近施設の月報紙に掲載された父の姿を見たが、既にその人らしい特徴を失っていることが想像できた。認知症を発症してかれこれ10年になるから、昔の記憶は断片的に何の脈絡もなく浮かんでは消え、感情もぼやけて植物のように呼吸をし栄養を吸っては排泄する毎日なんだろうと思う。

かつて義母は「…夢を見てるみたいで、よう分かりませんわ。」とただ不機嫌につぶやいた。誰にでも、何かやりかけたような続きをしなければならないような気持ちで夢から覚めることがあると思う。そういう感じがいつもしているのは、頭が良くたくさん仕事をこなして来た人ほど気分の悪いことなのかもしれない。

認知症の人の心理をいくら理解したところで治療方法が分かるわけではない。初期の混乱が落ち着き、脱走や抵抗する体力はないが自力で食事や排泄ができる程度を保ち、寝たきり時間を最短にすることを目標に、施設の人は世話をしてくれている。母が何ヶ月か前、モニター越しに会った時は誰が来たのか分からなかったようだが、それでも帰りたいと訴えたそうだ。

帰りたい先はいつの時代のどこの家なのか。現役時代の家族3人の家、それとも子供時代の母親の待つ家?私はそのどっちもが混ざり合った幻想の家なんだろうと思う。夢の中の母親は30代でも妻は40代だったり娘は3歳くらいで、もしかしたら息子もいたりそれが自分だったりと無茶苦茶に現れては消えてという具合に。時には暑苦しい開発研の部屋で怖い上司の顔が、手を挙げる父親に重なったり、取引先の訪問で冷や汗をかいたり、夜通し目覚ましをかけながら測定記録を取ったり、夢の中で結構忙しくしているのではないかと想像する。

関わりの薄い親子だったけれど、それだけ別れも淡い感情で済んで、ある意味幸せなのだろう。滅多に怒られることはなかったけれど、数少ない割に言葉は的確だった。それがすごく嫌だったくせに、今はあの時の父に、とても会いたい。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...