2021年6月14日月曜日

嘘について

 匿名や偽名で言いたいことがSNSで世界に発信できてしまうご時世で、ディープフェイクなどの高度な成りすましまでが横行すると何を信じて良いものやら、分からなくなる。特殊詐欺の類も狙われればいとも簡単に引っかかってしまうらしいから、人間の特性を巧みに利用したという点で高度な犯罪だ。親切心や愛情などを悪用して無防備にさせる手口を知れば慎重にならざるを得ないし、スパイ映画ではないが恋人や家族などいない方が好都合という考えもある。いた方が目立たないなら代わりのきく嘘の家族を雇えば面倒もない。

表面だけの関係ならと軽くつく嘘もある。経歴や勤め先など自分を少しでも偉く見せたい場合など、一時はいい気分になれるのだろうか。不思議なことにその人は別れる時に「実はこうだったんだ」と聞いてもいないのに種明かしをしたりする。「他にもこんな浮気なことしてたんだ」なんて、もう会わないならずっと嘘をついていればいいのに。反省したふりなどして、好感を狙ったズルいやり方である。きっといいおじさんになってもしょうもない嘘をつき続けているんだろう。

嘘つきは泥棒の始まりというが、味を占めて罪悪感を失くしてしまうことが諸悪の根源という考え方である。保身のため誰かを傷つけた嘘に後になって苦しめられる人は、もしかしたら善人なのかもしれない。もっとも罪悪感のあるなしに関わらず、嘘などないに越したことはない。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...