この年度始めは、新入生や新入社員歓迎の宴で夕暮れの街は賑やかだったそうだ。そんなこととは全く無縁の暮らしをしているけれど、野外コンサートに行ってきた息子の話から想像してみたら、春風にふんわりとお酒の香りがするようだった。
かくいう私は筋金入りの下戸で全くと言っていいほど飲めない。残念にも大昔の誰かの遺伝子がそうさせているのだろう。お酒、特に日本酒はこの国の真髄とも言える米からできた、国土の恵みを象徴する存在ともいえる。嗜むくらいは飲めたら幸せなんだろうか。飲む人との間には大きな河が滔々と流れていて一人、篝火がゆらめく対岸を眺めているような気持ちでいる。
飲めないながらも若い頃は宴会にお供することもあった。酔っ払いの中に一人シラフでいると嫌な感じなので酔ったふりをするが、聞きたくない話を聞き、見たくないものを見せられるのは辛い。それを酔っていても覚えているくせに忘れているふりをする人、聞かれてお前覚えているだろうとばかり不愉快な人、泣く人ゲラゲラ笑う人怒る人泣く人、面倒くさい酔っ払いは苦手だ。とはいえ単に文化としてのお酒まで嫌いなわけではない。
最近は女性の杜氏も増えて酒造りに関わるのにもはや逆風は吹かないと思われるが、江戸時代から明治、大正、昭和と長く酒造りは女人禁制だった。文献によれば江戸時代中期あるいは後期から家内業から本格的な商業的生産に移行し、酒蔵に女性を入れない風習が根付いたと考えられている。作業工程が大規模になることによって重労働化かつ画一的チームワークの強化に対応するためともいわれる。
寛政10年(1798年)出版『摂津名所図会』「伊丹酒造」で描かれた、蔵で酒の仕込みをしている様子を見てみよう。中央上には赤ん坊を抱いた女性が立っていて、4歳くらいの子供が手を引っ張って「もっとあっちも見たいよう」とでも言いたげな感じだ。作業をするのは全員男性であるが、これといって女が入ったらいけない雰囲気はなく、ものを届けにきたか単に物見しているような風情である。
そこから女=穢れ思想の定着までがいまひとつはっきりしない。穢れの発想は古代に始まり中世以降、貴族階級を中心に人々に広まった。死・疫病・出産・月経、犯罪などを忌み嫌い、またそれを浄化する呪いが不可欠だった。そんな頃でさえ酒は他の食品の加工と同様、女性も積極的に労働に加わっていた。だから生物学的な性差が生産過程にもたらす影響、具体的には腐る不味くなるといったことは考えにくい。やはり信仰や迷信によるものなのか、その前にもう少し科学的な理由も考えてみたい。
食物全般を扱う女性は、様々な発酵食材に触れる機会が男性より多かったと思われる。例えば味噌・漬物・納豆のように強烈な細菌をつけたまま酒蔵に入ってしまえばどういうことになるか。現在のように全身を洗いエアシャワーをして滅菌服を着るようなことは不可能なので、せいぜい水浴びをしてふんどし一丁になるくらいだろう。
またセキュリティ面を考えてみる。門外不出の酒種や秘伝のコツを守るために、一般におしゃべりな女性には内緒にしておいたといったら不謹慎だろうか。娘なら隣村に嫁に行くこともあるし、行商人に「いい薬あるよ。おとっつあん病気なんだろ?安くしとくよ」なんて騙されて使用人がこっそり案内したり、これも時代劇の見過ぎだろうか。
確かに今だって農村の強烈な男尊女卑と儒教の影響で女=穢れの因習がまだこびりついている感があるけれど、元をたどれば案外なんと言うことのない理由による風習であったり、人々が助け合って暮らす工夫から転じた部分もあるのではと思う。
歴史はそれを読み解く人によって曲解されることもあるし、できるだけ中立にいきたいところだが、歴史を全否定するような見方は好きではない。浮世絵の人たちは活き活き働いていてなんだか楽しそうに見える。
『摂津名所図会』伊丹酒造 wikipediaより引用