福田恒存『私の幸福論』(ちくま文庫)を読む。平易な言葉で語られる、その内容は深く重厚で何度も読み返すことになると思った。昭和30〜31年にかけて講談社『若い女性』という雑誌に「幸福への手帖」と題して連載された。もう70年ほど前の文章だから、社会の事象は大きく変貌して日本人の生活様式も言葉も考え方も当時とはかなりかけ離れているのだけれど、読むほどに著者が感じた危機感の延長線上にいることに気づく。
自分に責任を持つことは恥ずかしく情けなく、自分をありのままに受け入れることは時に苦痛を伴う。とりまく環境や社会のせいにすれば一時的に気が紛れるかもしれないが、根本的解決にはならない。自分にとって不快なものを排除したところで100%快適になるということでもないし、むしろさらに居心地が悪くなったりする。本書の言葉を引用すると「幸福というのは難しい」「たった一人の孤独なたたかい」なのである。
著者はたぶん、保守的に生きるとは例えばどういうことなのか、その通りにいかないことを前提に人生の地図をひろげてみせてくれているのだろう。もう私はとうにこの雑誌の対象年齢を超え、結婚育児を経て成人した子供達の巣立ちを待っている段階であるから、人生ゲームのコマも中盤を過ぎたところだ。形の上では70年前の女性のような道を辿り、かなりレアな存在としての生き方の先には想像以上の孤立が待っていた。もっとも多くの知り合いや仕事仲間に囲まれた暮らしに孤立がなかったかといえば、それはまた別の孤立や孤独があったことと思う。
もう人生をやり直すことはできないが、これから出会う幸福は味わい深いだろうけれど、決して甘くはないらしい。安易な快楽で気を紛らわせ、幸せになる準備に明け暮れ、本当は自分はこうじゃないと否定し、環境が悪いと不平を言う、不幸のスパイラルの落とし穴はどこにでも見える。幸福の女神はそうした誘惑に打ち克った者だけに微笑む、大変厳しいお方なのだ。
本書は著者が亡くなった数年後に文庫化、今年の暮れに第23刷が発行されており、今も多くの人に読まれている。