2025年6月28日土曜日

戦後80年

 戦後80年の今年、そろそろ「戦後」という言葉をやめようかと言われている。1945年の終戦から遡って80年といえば幕末であり、いくらなんでも時代区分としても大雑把すぎるのではということだろう。もちろん「戦前」「戦後すぐ」という短い期間を指す言葉としては今後も使われるだろう。

明治を生きた人たちはひと世代前のことを指して「ご維新前は」と言った。80歳過ぎの母が子供の頃でも親類が集まると普通に出てくる言葉であったという。「御維新前」で検索すれば、夏目漱石・芥川龍之介・永井荷風の作品にも登場する。民族にとっての強烈なエポックは100年色褪せないということか。

その戦後80年、いよいよ戦争体験者が死に絶え直接語れる人がいなくなるのに際し、なんらかの形で生の声を残し平和を訴える活動が盛んに報じられる。「残し、未来に伝えなければならない」私たち中高年世代もそう言われて大人になったけれど、戦争を起こさないために何かしたかと聞かれたら答えに詰まる。それどころか経済活動にしろ外交問題にしろきれいごとでは国の存亡に関わると知ったら、戦争を放棄し武力行使の一切を認めない偽善と平和祈念を一緒にしがちな活動には距離を置くようになった。

戦争体験を「残し、未来に」と言うのはその真意が伝わっていないことの裏付けで、自分たちが全然理解出ていない故に、次世代に期待することで責任逃れをしているとは言えないか。もちろん体験者の話が無意味だとは思わない。身近な人が経験した悲惨な出来事は胸を打つし、自分にはとても耐えられないと悲観的になったり、こんなことは2度と起こってほしくないと切に願う。その貴重な戦争体験を80年経った2025年の日々に落とし込み、戦争の芽や風を感じ取れたら。もちろんなかなかできることではない。まずは戦後精一杯生きて、そんな中でも子供を産み育ててくれた祖父母に、尊敬と感謝の思いを伝えたい。

戦後80年

 戦後80年の今年、そろそろ「戦後」という言葉をやめようかと言われている。1945年の終戦から遡って80年といえば幕末であり、いくらなんでも時代区分としても大雑把すぎるのではということだろう。もちろん「戦前」「戦後すぐ」という短い期間を指す言葉としては今後も使われるだろう。 明治...