2020年6月13日土曜日

慈母観音伝説

大正生まれの祖母は晩年、市街の北外れにあるサ高住に移った。年金で足りない分は父が出してあげて、それも祖母はご自慢であった。入居した頃のホームは自由な経営方針でイベントも盛んだったから賑やかな性格にぴったりだった。気に入った介護のお兄さんにこっそりチップを渡したり、高いフルーツを注文したり、食堂に行く時の服装にこだわって2人の娘(私からみて叔母と伯母)を呆れさせたり。

これまでだってお金持ちだったことは嫁入り前の数年しかないのに、ずっといいとこの奥様風で通す徹底ぶりだったとか。むしろ奥様風なのが却って嫌味がないというか、生来のコミカルさもあって愉快な人だった。

後で聞いた話だが、そんな祖母が94歳で亡くなる半年くらい前、ホームでセクハラ事件が起きた。問題になったのは介護の青年で、ある女性入居者から入浴介護中に意図的に身体を触られて嫌だという被害報告を受け、祖母の入浴もその青年の担当ということでホーム側から謝罪があった。母が見舞いに行って「お義母さん、かなんかったですねぇ」と労うと、祖母は笑って「どもあらしまへんえ。」とにこにこ嬉しそうに答えたという。

「おばあちゃん肌が白くてぽよぽよで鏡餅みたいなお腹だったから、思わずってこともあるんじゃない?」「家でお風呂入れた時、おっぱい可愛らしいわぁって褒めたらものすごく嬉しそうだったしね」さんざん母と笑った後、あれは件の青年への配慮に違いない、おばあちゃんはやっぱり偉いと締め括った。母曰く、あの青年は何度か見たが、何か屈折した感情があってもおかしくない暗さがあったそうだ。

夫婦の不仲や家庭内暴力、息子の精神疾患など苦労は多かったが、短歌や謡など趣味も欠かさなかった祖母。能楽関連の本もたくさん読んでいた。謡曲は古今東西の古典を引用しつつ老若男女貴賤都鄙の情感を詰め込んでおり、普段口にしにくいような恋慕や執着も多く題材にある。

祖母もまた文学の中に人生を投影し、味わい深く生きたのだ。だからあの青年の暗い部分も優しさで包み込むことができたんじゃないかと、長生きの意味を見せられたような気がした。本人に真相を聞いたとしても、おまんを頬張りながら「そんなことうち知りまへんえ。」なんだろうけど。

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