二代目龍村平蔵(光翔)著『錦とボロの話』(1967学生社 2018増補普及版)を入手する。長らく紙の本を定価で買うことがなかったので、私としてはちょっとした贅沢だ。読んでみると随筆、専門書、回想録を交えたようで、何かと楽しめた。
前半は仏教伝来までの原始・古代日本の繊維技術史が占めており、日本神話に出てくる絹織物や人形埴輪の着衣、『魏志』倭人伝で卑弥呼が賜った織物に関する記述の考察などが美術史家らしく感性豊かに書かれる。出版から50年以上経ち、考古学や古代史研究も進んで当時の推察がいくつか塗り替えられた点は仕方のないことだが、歴史の中で文化が伝播し発展する大きなうねりを捉えるのは文献や写真だけを追っていても不十分なのだろう。
初代龍村平蔵は若くして呉服商となり30代で「高浪織」や「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得、龍村の帯は一大ブランドを獲得。その一方で品質の悪い模倣品が大量生産されて訴訟に明け暮れ、結果ほとんどの権利を西陣織物組合に寄贈した。龍村が古代裂の復元という新開拓を試みる背景には、努力が報われぬ悔しさがあったのだ。
先日、結構昔からあるショッピングモールへ行ったら呉服屋が無くなっていた。私がこの地域に来た二十数年前は、既に年配の人でも冠婚葬祭かお稽古の時ぐらいしか着物を着なかったと思う。若い人はそれこそ花火大会の時の浴衣と七五三、あとは成人式と結婚式で着る人があるくらい。それでもそこそこ需要があったから最近までお店を畳まずにやっていたのだ。
今や着物は贅沢な民族衣装、裁断して小物に使うくらいだが、日本人が毎日着物を着ていた時代、正装はもとより訪問着に普段着、寝巻きにいたるまで着物に帯だった。
伝統芸能では所作の全てが着物でないと成り立たないのに、着物が非日常になれば自動的に伝統も遠のいてしまう。またどんなに美しい織物でも美術館に展示してあっては感動が薄い。祇園祭ではタペストリーまでも山鉾に垂らし動かして鑑賞するくらい、使ってなんぼのものなのだ。舞妓さんのだらりの帯もふらふら揺れるから魅力的なのだろうし、日本人なのに暮らしの中で着て触って分かる良さみたいなものと無縁で終わるんだなぁと寂しくなる。どう考えたって着物のある暮らしをする必要性も願望もない、にもかかわらずである。