2022年8月9日火曜日

活躍しなくても

 お盆が近くなると店頭に廻り灯籠や迎え火の用意など各種グッズが並び出す。祖母が元気な頃のお盆行事は迎え火に始まって、仏壇に三度の御膳を並べ、檀家を原付で一軒一軒大急ぎで回る住職に棚経をあげてもらい、16日の朝にはあらめの煮汁を門にまくという謎の儀式をする。お精霊さんは朝には去んでもろて一日京都見物を楽しんでもらいまひょ、というのが我家流。ただし祖母は岡山の生まれで少女期に京都に一家で移り住んできたから、これは全て嫁に行ってお姑さんに習ったことばかり。

祖母の実家は山陰線の駅に近く、木炭を商いするには便利なところだったらしい。炭の粉だらけの荷物を入れたり出したり、結構荒々しい商売ではなかったろうか。祖母の父は虎次郎という名に負けないくらい豪快な人だったという。さて祖母の母の方はというと、お内儀さんらしいことは何一つしないものだから使用人にも呆れられていたとか。京都のしきたりも、商売のことも分からないまま、干渉もされず自己主張もせず淡々と穏やかに生きたそうだ。晩年は長男夫婦のいる宝塚に移って90歳を越えるまで元気に過ごしたという。

今まで生きてきて、何にもできなかったなーと思ってしまう時、なぜか活躍しなかったご先祖の話を思い出すのが心地よい。みんないろいろ想いがあって、毎日買い物したりご飯作ったりしてたのねと思うと少し元気になる。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...