LGBT理解増進法案が衆参本会議で可決し成立した。この法案はG7広島サミット前に成立させようとの動きから、異例の速さで立案・審議と進んだ。与野4党の修正案は、大多数の人への影響が少ない内容に変えられ、少し安心感が加わったが、それでも「差別」の内容は明らかになっていないし、ジェンダーアイデンティティ(以下、性自認と書く)やそれで困っている人への理解が、他の先進諸国と比較してどれほど「遅れている」かも明らかにしていない。わざわざ法律にするほどのこともないものを、これほど急ぐ理由は何なのだろう。
外圧、それから一般社団法人 LGBT理解増進会の立ち位置もよく分からない。修正案で削除された「民間団体等の自発的な活動の促進」をこの利権団体が制御するのだろうか。訳のわからない啓発活動の為に多くの税金が注がれるのだろうか。一方でこうした啓発活動を含め民間団体の勝手な行動についても、学校での教育や啓発について「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ」と文言を追加することにより、堂々と拒むことができるようになった。官製LGBT教育の方がまだましだと思うよりない。
LとGは外見や行為でそれとなく分かることがあり、まぁそんなものかという認識でいる。英会話の豪パース出身の先生はGと公表していたし、カナダに行ったウクレレの先生もGだと思う。もちろんBかもしれないし、TかQという可能性もないではないがどっちでも良いことだ。向こうから歩いてくる人が犬好きか猫好きか、くらいどうでも良い話と思っている。
Tの問題点は多くの人が指摘している通り、女性の安全と権利を侵害することに尽きる。シス女性もL女性も身体が女である限り、Tの権利を過剰に擁護することで不利益を被る。競技においては性転換手術やホルモン値ではなく遺伝子でもって性別を判断すべきだろう。遺伝子の差を人種や個体差と同等に考えるのは無理がある。もし地球上の人類に決定的に体格の違う種がいたならば人種別の競技も必要だったかもしれないが、幸いにして人類はみなホモサピエンスである。フェアプレーとかハンディキャップについて、いま一度考えなくてはならない。
性的マイノリティは昔から一定数いたし、学校のような集団環境において当事者は相当な困難を抱えているのだろうと思う。学校というのはそれでなくても居心地の悪い子供にとっては生命を脅かす地獄のような場所であり、生半可な啓発授業で改善するようなものではない。それだけに教育現場にLGBT法連合会がするような民間の極端な啓発キャンペーンを持ち込んで欲しくないし、しっかりと規制してもらいたい。性自認に限らず、いじめで子供が自ら命を断つ社会のままで良い訳がなく、もっとお互いを尊重し合い、自尊心を高める教育でなければやらない方がマシだと思う。
一部の活動家は今回の修正案について、当事者にとって何の利益もないと抗議しているようだけれど、彼らにはおよそ妥協という考えはない。同性婚、夫婦別姓、配偶者控除、相続税優遇などを要求し、ラクダがテントに入ってくるようにずうずうしく母屋を占領してくるだろう。
国民の大半が何が起こっているのか理解しないまま、LGBT理解増進法はギリギリのところで骨抜きにすることができた。その意図は非常にわかりにくいが、新しい全体主義から社会を守る試みとして悪くなかったと思っている。宗教団体との関連を騒ぎ立てている隙に、新たなイデオロギーがすばやく政治に教育にすべりこんでしまった。まさかアベガーの人たちや環境活動家が全員LGBT擁護に回るとは思えないのだけど、親和性が高いのも気になる。本当にこの国では裏で何があってどこへ向かっているのだろう。
(画像は 福田ますみ『ポリコレの正体』)