2023年10月28日土曜日

よみがえる昭和の歌謡曲

 先日テレビ番組で、女性シンガーのJUJUがコンサート会場を昭和のスナックに模して自らママに扮するという趣向のツアーを取材していた。JUJUは私より5歳ほど年下で、昭和的なものがどんどん消えていった世代だと思っていたが、幼稚園児の頃から頻繁にスナックに連れていかれおり、カウンターの隅に座って親たちがお酒やカラオケを楽しむのを見ていたという。そんな環境が個性的な人を育むのなら、特に害はないしむしろ英才教育とも言えなくもないが、むべなるかな歌も上手いが大酒飲みという。

昭和の後半はテレビ全盛期でチャンネルを回せば(回すのだ)ゴールデンタイムはたいてい歌番組で歌謡曲だった。我が家では歌番組を家族で見る習慣が無かったにも関わらず、結構知っている曲があるのはよほど大人も子供も歌謡曲に曝されていたということだろう。歌謡曲は当然ながら大人向けの歌なので、酒タバコ博打浮気不倫まみれで愚痴涙傷つけ合いの苦味に溢れた歌詞が連なる。恋愛ドラマは一方通行かすれ違いが基本だが、こちらは倫理的にアウトな男にばかり惹かれるM女がたくさん登場するので、甘えん坊でだらしない方がモテるかのような勘違い男を大量生産させたのではないだろうか。

この秋も谷村新司、もんたよしのりが逝ってしまった。今のヒット曲に比べるとダンスを意識しないので躍動感に欠けるが、昭和のヒット曲は何といっても歌詞にストーリー性があり当時の男女それぞれの恋愛観も含めてとても面白い。子供の頃には分からなかった意味が今になってじわじわ伝わってきて、当時あまりに幼かったので懐かしさがある訳ではないが、ひと世代前の遠い恋愛観や大人の世界がうらやましいような気持ちになる。そこはビートルズやカーペンターズでは良い子過ぎてジャズや黒人ブルースともちょっと違うのである。

歌謡曲とは少し離れるが、若い頃は全くいいと思わなかったのに最近は白髪うるわしい玉置浩二(安全地帯)のライブ動画を繰り返し見ている。歳をとって鈍感になった日常に、もはや妄想と体験が曖昧になった恋愛のジリジリヒリヒリ感が心地よい。結局大人味というのは苦み渋みエグさに行き着くのだろうか。





どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...