2024年4月24日水曜日

伝えない自由について

 数日前のこと、郵便受けに奇妙なチラシが入っていた。何とかCOS MARTというタイトル字の下には、外国製と思われるパンの袋やジップロック、キッチンペーパーの写真が貼り付けてある。「食べてみたかった商品が食べ切り小分けに!」「おいて欲しい商品のリクエストも受付中🎵」近所の分譲地に防草シートを貼って、建設現場用プレハブを置いただけの粗末な店舗の写真と連絡先の電話番号を見てまぁ大体のことは分かった。しかしあまりに情報量が少なくはないか。

ぼんやりした50代主婦にでもCOSと「小分け」を読めば、個人も会員制で利用できる業務卸で人気のコストコ商品を小分けにして再販する店なのだろうと察しがつくし、配送や温度管理も素人レベルであることは容易に想像がつく。

それでも若い世帯の多いエリアではコストコのファンも多いだろうから、そこそこ繁盛するのではと思う。1980年代円高で1ドル80円くらいの時の輸入品を思い出すと、何がうれしくて臭いの強い洗剤やマーガリンどっさりのケーキをこの値段で買わねばならんのだとつぶやいてしまうが、30代にはその記憶がないから仕方あるまい。もちろん日本全国同じ商品に満ち溢れている中で、たまには気分を変えてみたいとか、海外旅行へいった気分になりたいとか、生活に変化を求めたい気持ちは分からないでもない。そして、そういう感覚こそ若さなのかなぁと思ったりもする。

話をチラシに戻して、どういう店なのか50代主婦にでも伝わったのならそれで万事いいのかという問題。この店主には広い年代層をターゲットに展開して売り上げを伸ばそうという野心はなく、自分の来て欲しい客層だけで楽しくやりたい雰囲気が漂う。そういえば昔、アパートの隣の奥さんが週に一回市場で野菜を仕入れてきて近所の人に販売していた。あの売り上げを確定申告していたか定かではないが、顔見知りにお安く提供しているんだから良いことしてるのヨ的なムードだった。再販売も税金を払いさえすれば別に悪いことではないし、本家のコストコもビジネスメンバーとして登録してくれたら全く問題ないということだ。

ただここは日本のありふれた住宅地であり、外国人であっても日本語を読み書き話す。せめて店の名前・場所の説明・営業時間・定休日・どんな商品を売っているくらいは日本語で書いて欲しかった。それに店があれば搬入や客の車が来たり子供が騒いだりゴミが散乱する可能性もある。広告とは、そこに店があることを必ずしも好意的に思わない人への挨拶状でもあるからだ。

何も考えず素直に見れば、よくある折込のセオリーにとらわれず、おしゃれで新しいチラシには違いない。これでいいのか?これでいいのだ。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...