2024年11月1日金曜日

ぼくの好きなおじさん

 やっと猛暑から解放されたと思ったら10月も終わってしまった。慌ただしく自民党総裁選、衆院選が行われ、さらには首相指名選挙と政治の空白期間に不安しかない。不安というなれば今から50余年前、私が赤ん坊だった頃の日本は沖縄が返還された一方で、ベトナムへ向かう米軍の出撃基地だった。母が里帰り出産で実家に滞在していた頃、川向こうの空港から戦闘機が飛び立つ轟音がすごいので窓ガラスを分厚いワイヤー入りに替えたと言っていた。

祖父の家の二階には叔父の部屋があって、分厚い本がびっしりと並んでいた。叔父は二浪の末に静岡大学で物理を専攻、学園紛争の時代まともな授業がなされたかは分からない。母が下宿を訪ねて行くと、暑いからと裸でフルートを吹いており、味の薄いカレーライスを振るまってくれたそうだ。卒業したものの就職に失敗し1年ほど祖父の会社に勤務していたが、やおら大学に戻りたくなり恩師を追って遠くニュージーランドに渡った。

昭和22年生まれの叔父はいわゆる団塊の世代で、背ばかり高くて身体が弱い。競争の苦手な叔父は中学で囲碁にハマって嫌いな科目は全く勉強しなかったため大阪府内の底辺高校に入学した。その入学式で校長が「おまえらは腐ったイワシだ」と言い放ったのに憤慨、猛烈に勉強しては熱を出し勉強しては腹を下し、毎回入試当日に下痢で早退する憂き目に悩まされた。

1ドル=360円時代、祖父の電線会社の景気が良い時でも当時海外留学させる費用はハンパではなく、航空券も高いからそうそう帰れない。一時帰国の際は学生なのに婚約相手まで連れてきて、たぶん私はその時が叔父と初対面だったのではと思う。次の帰国は新婚旅行を兼ねて3ヶ月くらい日本にいた。祖父とは激しい口論が絶えなかったと母は言うけれど、私には穏やかで愉快で子供好きな印象しかない。一緒に奈良公園を歩き、鹿に餌をやった。

叔父とお嫁さんがニュージーランドに戻る日が来て、空港のデッキで2人の乗った飛行機を家族で見送った。ところが半年も経たないうちに訃報が届く。心臓発作で急死とのことだった。

3ヶ月の日本滞在で実家がそれほど裕福でないことが分かったようで、安い研究員の給料とアルバイトで食費を削って暮らしていたのも健康を害した一因だった。祖父と母が現地に向かうことになったが、慌ててビザを申請しても最短で7日ほどかかってしまい、亡骸は傷みを隠すために化粧が施されていたという。

あれからニュージーランドには2回観光で行く機会があって、ネットの普及やらで南半球も感覚的にそれほど遠くなくなった。今も叔父が生きていたらどんなだったか、何の話をしてくれたろうかと思うことがある。


(2016年東映 原作:北杜夫 1972年)
タイトルはこの映画や別のフランス映画とも関係なく、RCサクセション「ぼくの好きな先生」の歌詞から。これも調べたら1972年リリース3枚目のシングルだった。忌野清志郎の♪ぼくの好きな先生 ぼくの好きなおじさん🎵 のフレーズ是非聴いてほしい。



2024年6月25日火曜日

断捨離再び

 もう25年も同じところに住んでいるうちにライフスタイルも変わり、使わなくなったものたちが出番もなくじっと停滞している。両方の実家から流れ着いた捨てられないものたちが、少しずつ堆積して埃を溜めている。さらに25年のうちに便利だ必要だと思って買ってしまったものの多いこと。調理器具、食器、工具、園芸用品、家電、寝具、服、靴、傘、置物。もう少し後のことを考えてじっくり選べなかったのかと、なぜ条件反射的に欲しいと思ったのか、決して気に入っているわけでもないのにずっとそこにある。気に入ったものほど早く傷んだり壊れて都度買い替えられているのに、衝動買いしたものは使わないから壊れない破れない。自らの浅はかさを恥じつつ捨てる罪悪感、積み上がるゴミ袋。

モノが無くて困った時代の人は余裕ができると大量に買い貯めた。モノで溢れかえった親の家の処分をしてきた世代には、せめて次世代に引き継ぐまいと身体が動くうちに片付けをする人も多いという。片付け、断捨離などと検索すると驚くべき数の動画が上がってくるということは、いかに不要なものを捨てスッキリ暮らすことが世の中の関心事であるか、裏を返せば不要なもので生活が荒らされモノに溺れていることの現れなのだ。

ひとたび棚のものを全部ぶちまけると、大量の埃の始末に続いて要不要の分別に労を要し、さらに残すべきものの収納を考える。棚一つ、たんす1棹処分するのがこんなに大変なんてやる前は考えもしなかった。おそらくこのペースでいけば何ヶ月もかかってしまうだろう。

前回、骨董品の断捨離についてボヤいたが今は完全に吹っ切れて、むしろ具体的な値段がつかなくて良かったと思っている。二束三文で古道具屋に売っていたら、またこれはこれで陶芸作家さんとそれを気に入って買った祖父の両方に申し訳ない気持ちが残って面倒だった。いいものも悪いものの、持っているのに使えないのは不幸極まりない。飾る場所もなければ愛でる教養もない。

思い出グッズや写真、人から貰ったものなどは相当に始末に悪く、いっそ古くなれば勝手に朽ちて土に還ってくれれば良いのにと思う。とは言っても確かに前に整理した時よりは減っていて、あの時どうしても処分できなかった思い出が蘇る。思い出の思い出はひたる心地よさなど毛頭無く、案外あっさり捨てられたりするので、執着が薄れるまで残しておいて良かったのかもしれない。やはり段階的に捨てる時間的余裕があると葛藤やダメージが少ないらしい。役目を終えたものと認め、別れ、離れるには大変なパワーが必要だし、いつも出力100%というわけにはいかない。モノに向き合うことで自分に向き合わなければならないのが、これまで避けてきた最大の理由かもしれない。

2024年5月22日水曜日

灯台守の歌

『灯台守』という小学唱歌を知っている。学校で習うような年代ではないし、何かの機会に聞いたのだろう。Wikipediaによると昭和55年NHK教育テレビ「みんなのうた」で放送されたそうなので、おそらく能登の舳倉島灯台の映像と共に視聴したのではと思う。原曲はイギリス民謡ということだが19世紀アメリカの讃美歌で歌われていた曲とそっくりで、だいたい同じくらいの頃アメリカで歌われていた『仰げば尊し』にも似ている。日本には明治時代「旅泊」「助船」として小学唱歌に入り、戦後は新しい歌詞で『灯台守』として五年生の教科書に掲載された。著作権など無かった時代だから勝手に歌詞をつけたら本家の方で消えていったというような次第ではなかろうか。

例えとしては相応しくないかもしれないが「灯台守」という言葉が、実は私のしている小さな仕事を連想させて好きな歌の一つとなっている。私の関係しているとある団体のホームページには問い合わせフォームが付いているのだが、あまりに関係のないセミナーや営利目的のゴミメッセージが多いために、本来の問い合わせをより分けて本部へ転送している。

そこに来る本来の問い合わせには、育児や障害者支援の真剣な相談も含まれており、夜中に発信されていることが多く相談者は100%女性である。お盆・正月休みや大型連休明けなどは件数が増える。若い世代にとってまずはメールで問い合わせというのが自然であるだけでなく、昼間に直接電話をかけた方が話は早くても、それができない理由がある人には問い合わせフォームが最初の窓口になっている。

対応するのは顔も見たことがないスタッフで、そこからどうなっているのか分からないが誠実に対応してもらっていると信じている。真夜中の不安な闇の中、誰かの行き先案内になっているかどうかは手応えはないけれど、ただ毎日メールチェックしている。


灯台守 (作曲 不詳  作詞 勝 承夫 昭和22年)

1 こおれる月かげ 空にさえて

真冬の荒波 よする小島(おじま)

想えよ とうだい まもる人の

とうときやさしき 愛の心

はげしき雨風 北の海に

山なす荒波 たけりくるう

その夜も とうだい まもる人の

とうとき誠よ 海を照らす 





断捨離の初夏

 祖父が昔買い集めた壺や茶碗、着物の類がいくらかあり、この度欲しがっている人にあげたり引き取ってもらうことにした。といってもこれは私の所有するところではなく、母の実家の問題ではありながら、娘の私の了承は得ておこうということだった。もし私に茶道や生花の心得やいくらか教養があり、セレブな世界とご縁でもあれば譲り受けることもあっただろう。残念ながら今の私がもらったところで全く活用できないのだから仕方ない。もらえないのが残念なのではなく、興味もないのに執着する自分が残念なのである。

母の決めたことであるし何の異存もないのだけれど、もらう側は娘の私が了承しているのか、後で文句言ってこないか気になるらしい。価値が分かる人のところへ行った方がお道具も幸せでしょう、とは言ってはみるけれど100%爽やかでいられるほど人間ができていない。息子らの教育費はアホみたいにかかるし生活費は膨れる一方で、どこまで燃料が持つか自分たち夫婦の老後はと心配し出したらキリがない。けれど余裕があればあったで巣立ちの邪魔になりそうで、分相応の暮らしは死守しなければならない。微妙なバランスでなんとか飛んでいるのに、うっかりボーナスでも出ればたちまち気が緩んで墜落してしまう。

モノもカネも制御できる力がなければ人を苦しめ、吸って吐いてエネルギーを生み出す能力のある者のところでは人々を潤す。力のない者は中継ぎとなって配分する手、正しく使われるか見張る目の役割がある。モノはたくさんのエピソードを宿して空間を占拠するから、カネよりも厄介と言えるだろう。どんどん断捨離で身軽になる母を他所目に、私は貧相な呪縛に絡んだままである。



2024年5月16日木曜日

可笑しくて哀しい

 2024年度上半期の朝ドラは『虎に翼』でヒロインは伊藤沙里が演じている。朝ドラヒロインとしては知名度高めで演技が安定した人を選んできたなと思った。コミカルな役が上手いのでドラマの名脇役的な印象があるけれど、映画にも多数出演している。

映画ホテルローヤル(2020日本:波瑠、松山ケンイチ、安田顕、余貴美子ほか。原作は桜木紫乃、直木賞受賞作。)ではヒロインがやむなく家業を継いだ釧路湿原を望むラブホテルの一室で、高校の担任教諭と心中してしまう女子高生の役だった。コミカルなのに哀しい、コメディの真髄をついていて、往年のチャップリン映画のように無邪気に笑いながらホロリとさせる。

登場人物の誰もが問題を抱えていて、一生懸命なのにどこか笑えてしまう。原作の方がその辺りは描写が細やかだったけれど、雄大な釧路湿原とものすごく寂れたケバケバしい建物の対比は映像の方が伝わったと思う。




気候変動と核戦争

 映画オッペンハイマー(C.ノーラン監督2023アメリカ)が話題なのでどうかなぁと思いながら、重いテーマを3時間も耐えられるかとためらっている。暗い映画館の大スクリーンで観ると内容に集中できるのはいいとしても、本編の前には必ず予告編があってやたら大きな音を鳴らすので、初夏など頭痛の起きやすい季節にはきついものがある。この作品は躁鬱気質の主人公が核兵器開発に携わる葛藤を描いているだけに、こちらまで心の不安定を誘発されそうで、たぶんそれは言い訳でどうもないのだけれど単純に一人で足を運ぶのが億劫である。

このノーラン監督がNHKのインタビューの中で、息子さんにこういう映画の企画があると話したら「僕らの世代では核兵器より気候変動の方が重要な問題なんだよ」と言われて衝撃だったと語っていた。アメリカのZ世代、だけでなく西側諸国の若者がそういう状態であることの危険性を感じながらこの映画を制作したという。確かに気候変動は人類共通の脅威であるし、生死に関わる大きな課題ではあるけれど、たとえ全人類が一丸となって環境問題に立ち向かったところで地震も火山も止めることはできない。太陽がほんの少し輝きを増したり勢いを弱めるだけで、地球上の生物は丸焦げにもカチカチの冷凍にもなるのだ。異常気象でコーヒー豆が不作なのも嘆かわしいが、原爆誕生から80年これまでにない緊張感で核戦争の一歩手前まで来ていることを今一度意識したい。どちらが喫緊の課題なのか、核兵器の扱いはこのままで良いのか。

世界には今も「原爆投下は戦争終結のために必要で正しかった」という意見がある。日本人としてそこはどうしても同意できないが、広島長崎の惨事を訴えることだけで核廃絶を求めるのは不十分に思う。廃絶運動の活動団体は核兵器放棄協定に国の代表がサインをしさえすれば世界平和が来るようなことを言うけれど、そこは決定的に何かが欠落していて論理の飛躍が生じている。人類史上戦争が無かったことはなく、外交の最終手段が武力行使=戦争であるなら、約束や取引の中で最終兵器を作ったり引っ込めたりして危うい時間稼ぎをするよりないのかもしれない。動画配信始まったらオッペンハイマー観ましょうか。



2024年4月27日土曜日

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。

長く生きてもやっぱりあの世へ行くのは勇気がいるから、この世の執着を少しずつ解いていくことを自分に言い聞かせているのだそうだ。地べたの世界に絡まった紐をするすると外して、最後の一本を解き放った瞬間、まるで気球のように空に向かって飛んでいくなんて素敵な発想だなぁと思った。

同じ死ぬのでも、幼い子供を残して逝かねばならない人、故郷に恋人を残して戦場で散っていく人などはこの世への思いを無惨に断ち切られ、心配と不安の中でこの世の記憶はどうなってしまうのだろうと重たい気持ちになる。私が今この瞬間「あなたは死にます」と言われたら、手足をばたつかせて「今は困ります。どうかもう少し猶予をください。」と未練たらたら懇願するだろう。

平和なうちに歳をとり、生まれた順番に逝くことの有り難さ、爽やかさを年寄りから学ぶ良い機会となった。お母さん、ありがとね。

ぼくの好きなおじさん

 やっと猛暑から解放されたと思ったら10月も終わってしまった。慌ただしく自民党総裁選、衆院選が行われ、さらには首相指名選挙と政治の空白期間に不安しかない。不安というなれば今から50余年前、私が赤ん坊だった頃の日本は沖縄が返還された一方で、ベトナムへ向かう米軍の出撃基地だった。母が...