2020年1月12日日曜日

ある友人の素朴な疑問

年に数回、会うだけの近所の友達がいる。彼女は法律関係の仕事をしていて大変優秀な人なのだが、私のようなぼんやり主婦と仲良くしてくれている。もうずいぶん前になるが、彼女がPTAを辞めるつもりだと話してくれた時、こんな質問を私にしてきた。
「まる子さん(私のこと)ってどうしてPTAの仕事するの?」

はじめは彼女が外国籍だから日本のPTAの制度が理解できないのかな、と思ったのだが強制でもなく子供の為にもならないことを何故やるのか、という素朴な疑問だったようだ。

即答できたかは定かではないが、確かこのように答えたように思う。
「自治会活動とか、公立校のPTA活動については税の一種と私は捉えていて、連帯責任が地域や学校に課せられているから自分がやらないと他の人がするシステムになってる。」

そう、奈良時代の律令制度における租庸調(今の教科書では租調庸)の庸=都に出向いて労役に従事する税、もしくは地方インフラ整備の雑徭に相当するんじゃないだろうか。

公教育を税金の支えで格安に提供していただいているのだから、学校のために尽くすのは当然という麗しいボランティア精神で参加する人があるかもしれない。が、ほとんどの人はジャンケンで負けるかくじ引きでなんとか委員になって、妙な委員会からなんとか協議会に出ることになったり、学校行事でPTAの持ち場はこれだからと言われたままやっているうち何が何だか分からないうちに1年経って終わり、てなところだろう。

改革もやる気になれば出来ないことはないと思う。それには何年も役員を引き受け長になった段階でようやく意見できるものだろうし、そうなったらなったでさらに複雑な構図が見えてきて自分の生活と天秤にかけて諦めざるを得なくなりそうだ。

ママ達もみな仕事を持つようになり、忙しく有能な人ほどコアな役を引き受ける傾向がある。子供の学校生活が上手くいって夫婦の連携も良好な家庭ほど率先してボランティアを引き受ける。会議も夕方から始まり7時過ぎまでお腹が空いても文句も言わず図書室で待っていてくれる子供がいる。終わってから「これから食材の買い物」といって車に乗っていく。

そんな若いママ達に地域の会議に出てくれと頼めるだろうか。土日の貴重な休み、習い事に連れて行ったり保育園の行事に参加したり1週間分の食材の買い物や惣菜つくりのための大切な時間。パートの人なら収入が減る。少しの我慢で皆が助かるなら、と引き受ける構図となる。


どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...