2020年1月8日水曜日

地元を作る

社宅アパートで幼少期を過ごしたことを書いた。
しげるちゃんと白黒テレビの画面を叩いて壊したことを繰り返し聞かされたが、思い出すのはしげるちゃん家のロボコンふりかけが羨ましかったこと、裏の田んぼで遊んだこと。

後にゴルフ場に囲まれた新興住宅地に移り住むが、母が町内会で旧地区の柄の悪い輩に絡まれたこともあり地元中学に進学しなかったこともあって、ここは故郷ではない。かといって父の出身地も縁あって学生時代過ごしたが、2、30年も経つとちょっと違う。

息子は幼稚園・小学校・中学校・高校まで全部市立で通している。旧市街ではなし、親が他府県出身だけにPTAでも多少浮いているが息子にとっての故郷はここ以外にない。生まれた時は育児ノイローゼ気味の私を案じて母が泊まり込みで世話をしてくれ、夫の弁当まで作ってくれた。赤ちゃんの時から長くここを離れたことなどないせいか、遠くの学校へ通うという発想がないという。それはそれで困ったことかもしれない。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...