2020年2月10日月曜日

同行二人。

弘法大師と常に共にあるという意味で、四国巡礼のお遍路さんが笠に書きつける言葉、同行二人(どうぎょうににん)。真言宗によれば、お大師様は姿や形を変えてそっと寄り添ってくださっているそうです。神羅万象あらゆるものに神が宿るというアニミズム的な要素を、さらに進化させてるなぁと勝手に解釈しています。

人間臭い、息遣いや鼓動の聞こえるようなリアル感、距離の近さがありますね。
共に歩み、降っても晴れても、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、一緒に泣いたり笑ったり。一緒に砂まみれになって行こうや、という明るさが人の心を捉えるのではないかと思います。それが現実の人だったらある意味、理想のパートナーの姿とも言えますね。

みなさんパートナーを呼ぶ時はなんて言いますか?我が家では「○○さん」「○子」と下の名前で呼び合っています。実家の父は母を「○子さん」、母は父を「おとうさん」でしたかね。時代ですね。「おい」とか「あなた」とかはほぼ消滅したのではないかと思っております。もし「おい」で呼ぼうものならちゃぶ台、が無かったら椅子を投げます(笑)

ともあれ日本語の1人称・2人称の呼び方ってバラエティに富んでますね。
年配の女性に「おうち」と呼ばれてむずがゆくなった経験がありまして、このブログのタイトルにしました。これは二人称で「あなた」の意味。関西の女ことばで「うち」は一人称。下町の男言葉で「われ」「自分」はいずれも二人称になります。

この頃は海外での仕事でも「○○-san, 」のさん付けが多いそうで、○○さんはオールマイティなのですが、家族や友達は呼び方も時と場合によって使い分けも必要。
呼び方というのは二人の関係性を表すだけに重要と思う、この頃です。

どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...