自分に関して言えば三代前、岡山で種苗店を営んでいた曽祖父が一家で京都へ出てきて炭問屋を始めたという情報を深めてみたい。
炭を売るなら岡山から汽車で運べば良いというものだが、あえて曽祖父が京都に着目したのは大正から昭和はじめにかけての風流人人口の多さと教育レベルの高さが決め手だったと思う。加えて円町に店を構えたのは山陰線の駅前で物流の拠点だから。当時は煮炊きにも暖房にも木炭は欠かせなかったが、一般家庭だけでなく寺社や上流家庭向けに茶道用の炭の需要もそこそこあったのではないだろうか。茶道の心得は殆どないので一回の御茶事でどのくらい消費するかも分からないが、茶の湯炭は材質や形寸法など事細かに決まっており、セットで一箱何万円もする。裏千家・表千家・武者小路千家それぞれに使用する炭のサイズが微妙に違うので注文に合わせて切ったり、枝炭に胡粉を塗ったりもしていただろう。
バーベキューや焼き鳥で使用されるウバメガシなどから作る備長炭は火がつきにくいので、茶の湯炭のメインはクヌギが材料の黒炭。いずれもドングリをつける広葉樹で煙が少なめで火力の強いことが特徴だ。クヌギは「国の木」が語源と言われるほど日本人の暮らしに根付いた木で、古事記や万葉集にも登場する。植林から10年ほどで材木として使用可能であり切り株からも芽が出て繰り返し継続的に利用できる。
鹿が芽を食べないように切り株をわざと高めに伐採して、そこから枝が伸びてくると木は何とも言えない姿になり所謂「台場くぬぎ」になる。以前合宿で行った滋賀県マキノでは「やまおやじ」というんだと教えてもらった。古くなって一部根元が空洞になった姿は呻き声をあげているようにも見え、やまおやじの名前にふさわしい。その程よい太さの枝を切って椎茸のホダ木にしたり、乾かしておいて規格通りの炭を焼くのである。茶道で喜ばれるのは菊炭と言われる切り口が樹皮がぴたっと付いていて中心から細かな割れ目が均一に広がる上質な炭。やまおやじからすくすく伸びた枝でなければ菊炭は焼けない。
子供の頃住んでいた北摂の能勢は戦国時代から近現代にかけて銀や銅を採掘する鉱山があり、その精錬のための炭焼きが大変盛んだったという。茶道でも良質の炭の産地として西の池田、東の佐倉と言われたそうだが、この池田は能勢の山里から下りた玄関口に当たる地域である。かつて40軒ほどあった炭焼き業も今は2、3軒まで落ち込んでいる。下草を刈ったり年々ひどくなる鹿害の対策など里山の管理が難しくなっているのも一因という。茶道人口も減っているが茶の湯炭の供給も厳しくなっている。エネルギー革命とともに失われる文化を残すため、本物そっくりに見える二酸化炭素も排出しないフェイク炭を作るよりないのか。