2020年9月17日木曜日

もしも娘がいたのなら

 子供の頃のアルバムの整理をした。最終的には数枚にして、それもデータでと思っている。私自身は女であるけれど、幼少期のことを全て覚えているわけでないし弟や妹もいないので子育てといえば育児経験のある男の子しかイメージできない。

ふと思う。今、女の子を育てるとしたらどんなだろうかと。

息子には洋式トイレで立って用をするように教えておきながら失敗するとケツを叩いたと恨みがましく言われたりする。あんなに愛らしいものを何も叩くことはなかった。近い将来ヨボヨボになって失禁した私のケツを叩くが良い。

当たり前だが女児は生まれ落ちたその日から女児だ。まずお尻拭きの抑えるべきポイントがあり、バイ菌が入らないように気を遣ってやる必要がある。幼少期は身体の成長も頭脳の発達も圧倒的に女児が優っている。女児は一般に男児より怪我・病気共にトラブルが少ない?らしいが、最近は10歳くらいで初潮を迎える子も一割くらいいるらしい。メンタル面がややこしそうだ。通信機能のある携帯ゲーム機やスマホを所有する低年齢化は深刻で、特に女児はSNSいじめなどのトラブルに巻き込まれやすい。ママ友同士の気遣いがいろいろあるらしい。幾つになっても続く送迎などなど。

母は私が高校生くらいの頃、「これからの女性は家事だけしていても幸せになれない。育児の頃は私が全面的に助けるから思ったことをやりなさい。」と確かに言った。だが実際その時になると体力は落ち時代は変わり介護も抱え「出来るだけサービスを頼らず自力で育児せよ」「家庭で勉強も遊びも何でもできる」「あれこれ悩むくらいなら本を読みなさい」と遠隔操作してくるように。母にはあらゆる面で感謝しているが、女子教育についてはあれこれ語る割に一貫性に欠ける。自分のわずかな経験で助言してもテンパっている人には全く役には立たぬということだ。実母でこれなのだから…。

かつて6年間通った女子校は校舎が修道院に直結しており、校長のシスターは「女性として生きる」ことをテーマによく講話されていた。筈だが、その頃の私は全く興味なしでうわの空。もったいないことをしたと今になって思う。シスターたちは朝から晩まで忙しそうに働き、祈る。若くて可愛いお姉さんみたいな人や、ふくよかで母性の塊みたいな人、塩をつまんだみたいなお婆さんなどいろいろである。とりあえずいつも動いている、最強の働く女性集団だ。私は学ぶべき何かを完全にスルーしてしまったらしい。

もし私に娘がいたら、この怠け者の母に激しく反抗してくることは間違いない。聞いてくれないかも知れないが、あえて言う、女で生まれてきたことを受け止めて生き方を探って欲しい。


幸福は甘くなかった

 福田恒存『私の幸福論』(ちくま文庫)を読む。平易な言葉で語られる、その内容は深く重厚で何度も読み返すことになると思った。昭和30〜31年にかけて講談社『若い女性』という雑誌に「幸福への手帖」と題して連載された。もう70年ほど前の文章だから、社会の事象は大きく変貌して日本人の生活...