2020年10月23日金曜日

命の質量

百年以上前、ある米国の医師が人の死の前後の体重を計測することで魂の重さを求めようとしたという。計測の杜撰さやサンプルがわずか6事例ということもあり完全にオカルトの分野にされているが、それでも繰り返し話題になるのは多くの人に「知りたい」願望があるからと思う。

太く短く花火のように散っていく人もあれば、病弱なわりに細く長い人生もある。新型コロナウィルスでも世界中で多くの人命が失われ経済のダメージも大きいが、戦争ほどには人の心に影響を与えないはずだ。太平洋戦争のそれも戦後のことを断片的に伝え聞くだけだが、異様な高揚感と人間臭さは今とは比べ物にならない。

母方の祖母は戦前、地方都市の優等生で学業・スポーツ・芸術と何をやらせても花丸のつく、美人でない以外は全てを独り占めしたような人だったと聞いている。身長も高いのにハイヒールを履くので、祖父は出かける時はソフト帽を浮かし気味に被ったとか。35歳で結核に感染して亡くなるが、その前の数年間が凄まじい。

昼は幼稚園で働き、休憩時間には3歳くらいの叔父をピアノの上に乗っけて英雄ポロネーズを弾いたりする。夜は社交ダンスを習いにいく。子供は妹に任せて毎週ホールで踊ったりする。戦後なのに豪勢な新年会とか誘われたりする。週末は電車で夫の入院するサナトリウムへ見舞いにいく。お土産は持ち込んだ蓄音器でかけるレコードや油絵の画材や画集。どこにそんなお金があるのか、病院で迷惑じゃないのか、子供はどうなってんだ、どこからそんなパワーが湧いてくるのか。

戦後に文化芸術を渇望する空気の中に、どうせ死ぬんだったらという諦めが後押しして爆発的エネルギーが出たのかなぁなどと考える。自分とは真逆で伝説の人である。



どうせ死ぬんだから

 「どうせもうすぐ死ぬんだから」と老人特有の僻みっぽいことを口にしながら、「年寄りは嫌よねぇ。若い頃はお爺さんやお婆さんがなんでそんなこと言うんだろうってずっと思ってたわ」と母は自分で言って笑っている。続けて「それはね」となかなかに深い話をしてくれた。 長く生きてもやっぱりあの世...